第712話 ナイス・ジェークの擦り寄り

統一歴九十九年五月九日、午前 ‐ ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



「さて、それでは改めてお話をお伺いできますかな?」


 ブルグトアドルフで最も大きな建物である礼拝堂の一室で、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は向かい合って座るアーノルド・ナイス・ジェークと互いに挨拶を済ませて席に着くなりそう語りかけた。その顔に愛想笑いは浮かんでいるが、その目は笑っていない。前日、危うく殺されかけたことを彼は忘れていなかった。それはカエソーの隣に座るアロイス・キュッテルもほぼ同じである。


「その前に、まずは昨日のことを謝罪したい。」


 ナイスは昨日とは打って変わり、貴族然として背筋を伸ばして座り、まっすぐカエソーに向くと、そう口をひらいた。


「昨日の私は貴公に対し、貴族としてあるまじき態度をとり、あまつさえ弓を引く暴挙を働いた。

 アイジェク・ドージを奪われるという想いもよらぬ状況に混乱していたとはいえ、あれはあり得べかざる誤りであった。

 父祖、ナイス・ジェークの名を継ぐ聖貴族として恥ずかしく思う。

 正式に謝罪しよう。どうか、許してもらいたい。」


 そう言うとナイスは自身の両膝に手を乗せたまま、ペコリと頭を下げた。


 今回の尋問は昨日中断してしまった尋問の続きであり、元々やる予定だったものではあるが、朝食を終えたナイスの方から是非、伯爵公子閣下と話がしたいと要望があって開かれたものでもあった。ナイスのその意向を伝えて来た神官からの報告にもナイスはどうやら心を改めたようだとあったが、それでも今のナイスの落ち着き方は昨日魔法を使って暴れようとした荒れっぷりからは想像もつかない変わりようである。

 カエソーは思わず隣りのアロイスと目を見合わせ、無言のまま驚きを共有すると、頭を下げたままのナイスに声をかけた。


「どうぞおもてをお上げください。

 ムセイオンから遠く離れた辺境の地で虜囚りょしゅうの身となったのです。多少の混乱はやむを得ぬものでしょう。」


「‥‥‥かたじけない。

 そのように言っていただければ、多少は気持ちを落ち着かせることもできようというものだ。」


 余りの変わりようからその場しのぎで適当な事を言っているのではないかと内心で疑っていたカエソー達であったが、顔を上げたナイスの表情は誠意と反省とに染め上げられ、彼の言葉に嘘偽りがあるようには思えない。


「アイジェク・ドージに尽きましては、先日ご説明しましたようにすぐにはお返しできませんが、構いませんかな?」


 誠意ある態度を示すナイスであったが、カエソーはそれでも用心深く探りを入れる。どれほど誠意ある態度を示そうとも、それがアイジェク・ドージを返してもらうための演技ではない証明することはできないし、またその誠意に応えたくとも出来ないことはある。アイジェク・ドージは返せない‥‥‥それでもなお、このように落ち着いた貴族然と振舞ってもらえるのならありがたいが、そうでないのなら別の対応を考えねばならないだろう。


「ムセイオンで返してもらえるのであろう?

 それが確かなら止むを得まい。ムセイオンで受け取ろう。」


 ナイスは泰然たいぜんとした態度で頷き、そう言った。


「よろしいのですか?」


「我々は大望たいもうのためとはいえ帝国の臣民に対して害を成したのだ。その罪を想えば、貴公の処置はやむを得ぬものではあるし、むしろ寛大かんだいと言っていいくらいだ。

 それなのに私は貴公に対し暴言を繰り返し、あまつさえマジック・アローを放とうとした。礼節はおろか理性すら欠いていたことは認めざるを得ない。

 今思い出すだけで顔から火が出そうな、恥ずべき愚行だったと思う。」


 どこか唖然とした表情でカエソーの隣からナイスの顔を覗き込むように問いかけるアロイスに対し、ナイスはやはり落ち着き払った態度で答える。言葉遣ことばづかい、所作しょさ、表情‥‥‥いずれも昨日の荒くれ者と同一人物とは思えない変わりようだった。昨日はナイスが混乱していたが、今日はカエソーとアロイスの方が困惑を禁じ得ない。


「もうあのようなことはしないと誓おう。

 名誉にかけて、父祖の名に恥じるような卑劣な行いはしない。

 どうか、信じてほしい。」


 キッパリと断言されるとカエソーとしてもそれ以上猜疑心さいぎしんを露わにするわけにはいかなくなる。すぐに警戒を解けるかと言うとそれほど簡単な話でもないのだが、しかしこうも礼儀正しくされてはせめて表面上だけでも礼節を持って応えねばならないだろう。


「いえ、もちろん信じますとも。

 ご理解いただけたのでしたら、我々としても安心できるというものです。」


 カエソーはそう笑みを浮かべ、打ち解けたようにふるまう。もちろんそれは演技にすぎないのだが、カエソーらにしてもナイスの態度の変化が歓迎すべきものであることには違いない。せっかく誠意を示してくれているのに、不必要に疑い続けて軟化した態度を再び硬化させては元も子もない。


「では改めて、お話を伺ってもよろしいですかな?」


 当初よりはよほど自然な笑みを浮かべ、カエソーは話を仕切りなおした。


「無論だ。

 ただ、私の裁量で話せることはいくらでもお答えするが、私としても仲間を裏切るようなことはできない。

 ムセイオンの貴族は、互いの秘密については他人に話さないことになっておるのだ。どうかその点は、ご容赦願いたい。」


 ナイスの言っているのは『勇者団ブレーブス』のことではなく、ムセイオンに収容されているゲイマーガメルの血を引く聖貴族たち全員が等しく守っている紳士協定に関してだった。

 ゲイマーは強大な力を持ってはいたが、全知全能ではなかった。その力には偏りがあり、強みもあれば弱点もあった。たとえばナイス自身についていえば。魔法が不得意で地属性の低位魔法しか使えないが例外的に無属性魔法でマジック・アローだけは使えるとか、あるいは保有している魔道具マジック・アイテムの性能とかだ。

 そうした情報は当人にとって死活問題に成り得るものであるため、一般に秘するのが当然とされている。そして、万が一他人のそれを知り得たとしても、知らないフリをして口外しないのがムセイオンの不文律となっている。もっとも、当人が公表しているものもあるため、全部が全部秘密と言うわけでもない。

 ナイスが何故このことを持ち出したのかと言うと、カエソーが『勇者団』のメンバーを逮捕するためにまだ捕まっていないメンバーたちの弱点を教えろと要求してくるのを警戒してのことだった。


「もちろん、その点は理解しております。

 事件について、話せる限りのことをお話しいただければかまいません。」

 

 カエソーが機嫌よく答えると、ナイスはこの日初めてカエソーらに対して笑顔を見せる。ナイスが先にムセイオンの聖貴族間で結ばれる紳士協定を持ち出したのは、それにかこつけてカエソーからナイスに黙秘権があることを認める言質げんちをとるためでもあったからだ。

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