第711話 自由へのカギ

統一歴九十九年五月九日、朝 - ブルグトアドルフ礼拝堂/アルビオンニウム



 アーノルド・ナイス・ジェークの問いに対し、神官は明確に否定や肯定をすることを避けた。ルクレティア・スパルタカシアはスパルタカシウス氏族宗家出身であるという事実のみを伝え、自分たちはスパルタカシウス・プルケル家であるという点には触れなかった。


「ふぅ~~ん‥‥‥」


 小さく、硬く、水気が少ないリンゴに手を伸ばし、ナイスは関心がありそうな無さそうな、何とも言えない反応を示した。酸味と渋みの強いリンゴには蜂蜜がかけられ、甘みの不足を補っている。

 本当ならは蜂蜜漬けとかにでもして加工するためのリンゴであり、このようにそのまま食べることは、少なくとも貴族の食卓に昇るようなことは無い代物である。そのような粗末なものがこうして貴族の食卓に昇ってきたのは、昨夜の戦闘で用意してあった食料の一部が失われたためであり、ブルグトアドルフに残されていたわずかばかりの食料から足らない分を買い取るかたちで供出させたものであった。正直言ってナイスに出して良い物かどうかは最後まで不安の残る代物ではあったが、他にまともなフルーツが手に入らなかったこともあり、「卵からリンゴまで」というレーマ料理の伝統を抑えるため仕方なくあえて使っている。

 不味いリンゴにナイスが腹を立てることもある程度覚悟はしていたのだが、その心配は不要だった。ナイスは表情も変えずにリンゴをガリガリと噛み砕き、ゴクリと飲み込む。


「ルクレティア・スパルタカシアには会えないか?」


 ナイスの唐突の問いかけに、神官たちは再び戸惑う。


「その‥‥‥ご希望はお伝えしますが、お会いになれるかどうかは我々では何とも‥‥‥」


 困惑を隠せない様子の神官たちの顔を、ナイスは今日初めてまともに見上げた。


「何故だ?

 ここに居るんだろう?」


 ムセイオンに収容されている聖貴族同士ならともかく、ナイスのような聖貴族が聖貴族以外の者やムセイオンの外にいる聖貴族に会いたいと希望してそれが叶わないということは滅多にない。ムセイオンがあるケントルム市内に居る人物ならば、身分にかかわらず大抵は応じてくれるのが普通だ。特にそれが年頃の異性となれば、まず断られることは無い。もし、それによってムセイオンの聖貴族とよしみを結ぶことができれば。それが将来ゲイマーガメルの血を引く子を儲けるきっかけとなるかもしれないからだ。


 今の今まで何やらすさんだ心の内を滲ませてたナイスとは真逆の、子供が不思議なものを見つけた時みたいな純真と言って良いほどの真直ぐな視線を向けられ、神官はドギマギしながら言い難そうに答えた。


「その、ジェーク様は只今囚われの身にございますから‥‥‥」


「ああ!」


 えらく間抜けな表情でナイスは驚きの声を上げる。


 言われてみればそうだった‥‥‥囚われるというのは、こういう事なのか‥‥‥


 暢気ノンキにも感心しながらナイスは口元に手を当て、視線を再び目の前の食卓へ戻した。麦粥はほぼすべて食べ終え、ゆで卵と蜂蜜のかかったリンゴだけが残されている。


 いかなゲイマーガメルの血を引く聖貴族と言えども、悪さをすれば当然罰せられることもある。場合によっては謹慎させられることもあるし、監視が付けられて軟禁状態に置かれることもある。当然、その間は友人知人に自由に会うことはできない。

 だがナイスにはそうした経験は無かった。要領の良いところのある彼は、友人らが罰せられる様子を見たことはあったが、幼少の頃より友人たちからも一歩引いて人と付き合う癖が身についていた彼は、自分がそういう目に遭うようなことを無意識に避け続けていたからだ。


 どうしよう?

 ということはまず許してもらわないと誰とも会えないのか?

 こんな辺境で、痘痕面あばたづらのNPCに囲まれて!?

 ‥‥‥いや、そりゃそうだよな‥‥‥

 反省して、ママがイイって言うまで多分このままだ。

 いや待てよ‥‥‥てことはムセイオンに連絡が言ってママが来るまでこのままってことか?

 ムセイオンは遠いぞ!?どれくらいかかるんだ?


 ナイスは頭の中で計算を始める。

 自分たちがムセイオンを脱走してからサウマンディアまで来る行程を思い出す。だがそれらは脱走した後の行方をくらますための偽装工作であちこち迂回していたこともあって直接参考には出来ない。


 ‥‥‥えっと‥‥‥そうだ、ブルーボール様はママが来るまであと一か月か一カ月半くらいって言ってたな‥‥‥

 てことは最低でも一か月はこのままなのか?

 その前にサウマンディウムへ送られちまうじゃないか!?

 サウマンディウムは海の向こうだ。確か、このアルビオンニアとは別の国なんだろ?あっちは伯爵領で、こっちは侯爵領だし‥‥‥

 スパルタカシアはアルビオンニアの貴族だから、サウマンディウムへ渡っちまったら、いくらこっちが会いたいって言っても来られないかもしれないぞ‥‥‥


 ムセイオンはケントルムと呼ばれる都市の中に造られた施設だ。ケントルムはかつての大戦争の最後の決戦が行われた戦場であり、時のレーマ皇帝その真ん中に剣を突き立て、ここを世界の中間として東と西に分けようと、連合国側に停戦を呼びかけたという逸話が残されている。ケントルムという都市名はその逸話が基になっているのだが、レーマ帝国側と啓展宗教諸国連合側の中間地点にあたるため、両陣営のどちらにも属さない中立地帯として設定されている。そして、中立地帯という政治的性質上、そしてムセイオンが設置されてゲイマーガメルの血を引く子供たちが集められていることもあって、そこへの出入りは一定の制限が設けられていた。

 このため、ムセイオンの聖貴族が誰かに会いたいと希望したとしても、ケントルムの中にいる人間であれば比較的自由に会えるのだが、ケントルムの外にいる人物が相手だと簡単には会えない。特にそれが有力貴族だったりすると、猶更なおさら会うのは難しくなってしまう。ムセイオンを訪れるどころか、ケントルムに入って来ることが出来ないからだ。


 そういう感覚をレーマの属州にも当てはめて考えた場合、サウマンディアに居るナイスがアルビオンニアにいるルクレティアに会いたいと言ったところで、ルクレティアは簡単にサウマンディアへ渡って来ることは出来ないであろうことが予想できる。


 ルクレティア・スパルタカシア‥‥‥ファドの報告が正しければ『勇者団ブレーブス』の作戦を三度に渡って阻み、ナイスを二度も捕らえた精霊エレメンタルを使役する強力な魔法使いだ‥‥‥そいつをどうにかしないと何もできんぞ。

 このままじゃアイジェク・ドージを取り返せないし、アイジェク・ドージを取り返せないんじゃ脱出も出来ない。脱出出来たとしても、また捕まっちまう。


 ナイスは一度スプーンを手に取ったが、うーんと唸ると再びスプーンを置く。


 待て待て待て待て、考えを整理しろ。冷静になれ。

 まずはアイジェク・ドージを取り返さなきゃいけないんだ。それが一番だ。

 アイジェク・ドージを取り返して、それから解放してもらう。駄目なら脱出だ。

 そのためには、一度スパルタカシアって奴に会わなきゃいけない。

 それであの《地の精霊アース・エレメンタル》をどうにかできないか、ヒントを見つけるんだ。アイツが居る限り、脱出なんて出来ないし、自由になったとしてもあんなのに邪魔され続けたんじゃ間に合わない。降臨が成功する前にママが来ちまう。

 でもスパルタカシアに会うためにはママに許してもらう必要があって、それには一か月は待たなきゃいけない。一か月もサウマンディウムでママを待つのか?

 いや、多分その前に俺はムセイオンに送られて‥‥‥てことはムセイオンでアイジェク・ドージを返してもらうことになるのか?

 それじゃもうみんなのところへ戻れないじゃないか‥‥‥


「あの、ジェーク様?」


 朝食を続けるでもなくジッと動かなくなったナイスに神官の一人が声をかける。食事が終わったのなら片付けねばならないし、食べ終わってないのなら終わるまで待たねばならない。いや、それ以前にまた気分が悪くなったのなら、嘔吐する前に手桶か何かで準備をせねばなるまい。

 だがナイスはそんな神官たちの心配など気にもせず、声にも気づかずに考え続ける。


 待てよ、ママは関係ないんじゃないのか!?


 まるで天啓でも受けたかのようにナイスは顔を上げた。


 そうだ。俺たちがここに居ることはまだママは知らない。

 レーマの兵隊たちはママの命令で俺を捕まえたわけじゃないじゃないか!

 だったらママじゃなくて別のヤツに許してもらえばいいんだ。

 俺を捕まえてて、俺を解放できる権限を持った奴‥‥‥いったい誰だ!?


「あの、ジェーク様!?」


 再び神官が声をかけると、ナイスは神官の方へ耳だけを向けた。


「俺を捕まえているのは誰だ?」


「ジェ、ジェーク様を!?」


 あまりにも今更な質問に一瞬、何を訊かれているかわからず神官が訊き返す。ナイスは特に苛立いらだちをつのらせるでもなく、更に顔をわずかに動かして自分の傍らに立つ神官に横顔を向ける。


「そうだ、俺は囚われの身なんだろう?

 じゃあ、俺を捕虜としているのは一体誰だ?俺は誰の捕虜なんだ?」


「その‥‥‥ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下であらせられます。」


「あいつか!」


 ナイスは再び顔を前へ向けた。

 ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子という名にはもちろん覚えがある。ケレース神殿を襲った時に神殿前で『勇者団』に立ちはだかったレーマ軍の指揮官であり、そして昨日ナイスの尋問をしようとし、無礼にもアイジェク・ドージをムセイオンへ送るからそこで受け取れと言った男だ。


 そうか、アイツが俺を解放できるのか‥‥‥

 ひょっとして、だからアイツをマジック・アローで撃とうとしたら《地の精霊アース・エレメンタル》が出しゃばって来たのか?

 いや、不味い相手にマジック・アロー向けちゃったかな?

 いっそ殺しておけば‥‥‥いやいや、殺せなかったんじゃないか‥‥‥

 とにかく、アイツをどうにかできれば俺はスパルタカシアにも会えるし、自由にもなれるんだ。

 なんだ、答は案外簡単だったか?


 ナイスの顔がわずかにほころんでいることに神官たちは気づいていなかった。ナイス自身も気づいていなかった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る