第1366話 ネロの失態

統一歴九十九年五月十二日・午前 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



「リュウイチ様には手間をおかけすることになりますな」


 リュウイチは会議とか報告会とかをあまり好んではいない。というより、面倒くさがっている。そもそも饗宴コミッサーティオもあまり好んではおらず、二日に一度ぐらいにするように言われているのだ。報告会は陣営本部から一時的に退去しなければならないという事情と、本人が普段退屈していることから協力してもらえてはいるが、そうした事情がなければリュウイチは出席しようとしない可能性が高い。実際、報告会を開くと最初に説明した時も「そんなのはいいですよ」と言われたぐらいなのだ。


「やむを得まい。

 リュキスカ様の御為と申し上げれば、納得もしてくださるだろう。

 リュウイチ様は、こちらへ既に向かわれておるのか?」


「マティアス司教がそろそろ到着する時分でしょうから、おそらく……」


 アルトリウスは天井近くにある窓の方を見上げて答えた。

 この司令部の建物は真北を向いている。四角形の建物の窓はそのほとんどは東西南北のいずれかの方角を向いていた。このため薄絹を張った明かり窓から差し込む光の角度から、だいたいの時間をし測ることができるのだ。


「ではリュウイチ様の控室の前で待つとしよう」


 ルキウスはそう言って椅子の肘掛けに手を置き、体重をかけた。そして立ち上がろうとして踏みとどまる。


「待て、話す内容はそれだけなのか?」


 立ち上がろうとして急にやめたルキウスを見て一瞬、腰痛の容態を心配したアルトリウスにはルキウスが投げかけて来た疑問の意味が分からない。一度ネロと顔を見合わせてから、一度は部屋から出ようと向きを変えかけていた身体ごとルキウスへ向き直る。


「……それだけとは?

 他に何かございましたか?」


 ルキウスはアルトリウスの顔を見上げたまま渋面を作る。


「忘れたのか、女奴隷セルウァだ!

 サウマンディアから送りつけられてきたヘルミニウス氏族の娘!!」


 アルトリウスは声にこそ出さなかったが「あっ」と目と口を開き、サッとネロへ視線を走らせる。ルキウスもネロの方を見ると、ネロは愕然とした表情をして固まっていた。


「どうなのだ!?」


 アルトリウスが尋ねるとネロは小刻みに震えながら鯱張しゃちほこばった。


「申し訳ございません!!」


 答になっていない答えにアルトリウスも渋面を作る。


旦那様ドミヌスはリュキスカ様に二つの話があると冒頭におっしゃいました。

 一つはリュキスカ様の御子について……もう一つはおそらく女奴隷セルウァのことかと思われますが……」


「思われますがどうした、聞かなかったのか!?」


 アルトリウスが問いただすとネロは棒を飲んだように背筋を伸ばした。


「ハッ、申し訳ございません。

 リュキスカ様の御子の話から魔導具マジック・アイテム下賜かしされるという話になり、そこで旦那様ドミヌスは自分にこちらへ報告に行くよう命ぜられました。ですので……」


「もう一つの話を聞く前にか……」


 ネロが報告を終えないうちにルキウスが結論を先取りすると、ネロは口を真一文字に引き結んだ。アルトリウスとルキウスが揃って重々しく溜息をつき、ルキウスは一度は立ち上がるために起こした身体を再び椅子へ沈めた。そのまま沈痛そうに目を閉じ、再び杖の頭を自分の額へ押し付ける。

 アルトリウスはその様子を見届けると溜息を噛み殺し、ネロへ向き直った。


「ネロ」


「ハッ」


「一応確認するが、貴様はリュウイチ様に女奴隷セルウァについて何か意見したのか?」


 ネロはアルトリウスでもルキウスでもなく、ただ正面をまっすぐ見据えたまま口を真一文字に結び、その唇をフルフルと一瞬震わせてから躊躇ためらいがちに答えた。


奴隷女セルウァはサウマンディアの女諜報員エーミッサーリアなので、う、受け取るべきではないと……進言いたしました……」


 ルキウスに続きアルトリウスも渋面を作る。ルキウスは目を閉じ、額に押し付けた杖の頭で眉間をグリグリと揉みこむように首を振った。重苦しい雰囲気にネロがゴクリと喉を鳴らす。


「貴様はその意見を、リュウイチ様に求められたのか?」


「……い、いえ……」


 つまり、奴隷という身分も忘れ、出しゃばって求められても居ない意見を述べた挙句、面倒くさがられて追い出されたのだ。これでは何のために彼ら奴隷たちをアルトリウスの被保護民クリエンテスにしたんだかわからない。

 しかし仕方がないと言えば仕方がなかったのかもしれない。リュウイチはヴァーチャリア世界のこと、レーマ帝国のことにうといこともあって文化風俗、慣習や社会的な仕組みといった常識について手近な誰かに尋ねることが多い。時には自分の考えについて、これからやろうとしていることについて、この世界の常識に照らし合わせてどうかと意見を求めることもある。

 そうしたリュウイチの質問に答えるのは本来ルクレティアの仕事だ。しかしルクレティアは今、グナエウス砦ブルグス・グナエイにあってマニウス要塞カストルム・マニには居ない。他に貴族が居ればリュウイチも貴族に尋ねるが、都合よくいない時は身近にいる奴隷に尋ねる。リュウイチの八人の奴隷たちの中で、最も多くその矢面に立つのはネロだった。まだ現役の軽装歩兵ウェリテスだった頃、ネロは一番若いが彼らの十人隊長デクリオだったし、騎士エクィテスの称号を持つ下級貴族ノビレスの家に生まれ育っただけあって彼らの中で最も高度な教育を受けていたからだ。ネロもそうした役割を率先して果たしていた。

 そうした中で、ネロはリュウイチに意見することに慣れてしまったのかもしれない。意見を求められ、その答えを取り入れてもらえる……それは誰かに認められたいという若者が特に強く持つ承認欲求を満たす甘美な経験だったことだろう。だが承認欲求とは、満たされれば満たされるほど自我を肥大させ、自らを過信させ、際限なく増長させていく副作用を伴うのだ。ネロもまたいつしか、自分でも気づかぬうちに自分が奴隷であるという自覚が薄らいでいたに違いない。


「もう良い、……」


 アルトリウスに向けて発せられたルキウスの指示は、ネロの心に鋭く突き刺さった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る