第1079話 アルトリウシアの通行可否

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ゴティクスの、捕まえたハーフエルフをサウマンディアへ送れないかもしれないという話にマルクスは耳を疑った。彼はつい先ほど、ペイトウィンの身柄はカエソーに引き渡されていると言ったばかりだったし、ルーベルトも捜査のためにサウマンディウムへ送られるのは当然であると認めたばかりだ。


ゴティクスカエソーニウス・カトゥス殿……ハーフエルフ様をサウマンディウムへ送れない、そうおっしゃられましたか?

 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは捜査に協力していただけないのですか?」


 今更ハーフエルフが欲しくなったのか!?……マルクスの胸中には疑惑が頭をもたげ始める。脱走したムセイオンの聖貴族の身柄はカエソーの管理下にはあるそうだが、物理的にはアルビオンニア属州にある。多少強引な手を使ってでも我がものにしたいという欲が出てきても不思議ではない。現にルーベルトも明確にアルビオンニア側の権利を主張したではないか。


「協力しないとは言っていません。」


 疑念を滲ませるマルクスにゴティクスは持ち前の何の感情も感じさせない声と表情で答えた。


ルーベルトアンブロス殿もおっしゃられたように、捕虜の身柄をサウマンディアへお送りするという方針は我々も共有しております。

 ただ、協力するかどうかと、実際に送れるかどうかは別です。」


「さて、ハーフエルフ様をサウマンディアへお送りするのに、何か不都合がおありですか?」


 捕虜をサウマンディアへ送る意思が無いわけではないらしいと悟ったマルクスは険のある態度を改め、話を聞く姿勢を見せる。他の列席の貴族たちも居住まいを落ち着かせ、ゴティクスの次の説明を待った。


「理由は『勇者団』ブレーブスの追撃と、《暗黒騎士リュウイチ》様の存在です。」


「リュウイチ様ぁ?」


 『勇者団』とリュウイチがどうつながるのか話が見えないマルクスは怪訝そうに片眉を持ち上げ顔をしかめるが、ゴティクスは気にする風でもなく小さく首肯して続ける。


カエソー伯爵公子閣下は捕虜を連れルクレティアスパルタカシア様の御一行に同行しておられます。

 陸路アルトリウシアを経由して船でサウマンディウムへ向かうおつもりらしく、アルトリウシアの通行許可と船の手配を求める先触れの手紙が届いております。」


 マルクスは忌々し気にわずかに表情を曇らせた。捕虜をサウマンディアへ護送するのにわざわざアルトリウシアを回るという無駄に遠回りをする愚行、そして先触れの手紙を出すタイミングと要領の悪さがかんさわったのだ。

 奪還の恐れのある捕虜をアルビオンニウムからサウマンディウムへ送るなら船で直行するのが一番のはず。それなのにわざわざ遠回りして陸路をアルトリウシアへ向かうなど、わざわざ『勇者団』に捕虜奪還の機会を与えてやるようなものだ。現にシュバルツゼーブルグでは脅迫状まで届けられたそうではないか……。

 そして先触れの手紙……昨日のティトゥス要塞カストルム・ティティでの会議ではそのような話は聞かされなかった。今の会議でもカエソーが捕虜を連れてルクレティアの一行に同行していると聞かされて驚いていたアルビオンニア貴族が何人かいたくらいだから、先触れの手紙というのも今日か昨日あたりに届けられたに違いない。アルトリウシア経由で帰るといつどうやって決めたかわからないが、他人の領土を部隊を率いて移動するのなら領主の都合だってあるのだから、決める前に通って良いかどうかの打診をせねばならないはずではないか。

 大方、メルクリウス捜査に関しては一個大隊コホルスまでの部隊を自由にアルビオンニア属州内を移動させて良いという事前合意があったから、それを理由にすれば許されると思っているのだろう。だがそれは緊急の対応が求められる場合を想定したもので、出来る手続きを怠って良いというわけではない。


 一体何をしているのだ、カエソー閣下は……


 上級貴族パトリキらしからぬ軽率さにマルクスは頭痛すら覚えるが、マルクスの胸中などゴティクスは気にすることなく話を続ける。


「このままではカエソー伯爵公子閣下は捕虜と共にアルトリウシアへ参られることになりますが、我々としてはこれを受け入れることはできません。」


 マルクスは目をいた。


「何故です!?

 ハーフエルフ様の護送とリュウイチ様と関係があるのですか?」


 サウマンディア軍団は一個大隊までの部隊ならメルクリウス対策のためアルビオンニア属州内で自由に行動できる権利を認められている。『勇者団』は今回のメルクリウス騒動の容疑者であり、捕虜となった聖貴族は重要参考人だ。その重要参考人を調のためにサウマンディアに護送するカエソーが、部隊を率いてアルトリウシアを通過することに法的な問題は何もないはずである。それなのに受け入れることが出来ないというのはマルクスには納得できなかった。


「もちろん。」


「得心いたしかねますが?」


「残りの『勇者団』ブレーブスが捕虜奪還のために追撃してきているからです。」


「ならばなおの事、一刻も早くアルトリウシアへ迎え入れ、サウマンディアへ送り出すべきでは!?

 まさかアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア『勇者団』ブレーブスから守れないとでもおっしゃるつもりか!?」


 このマルクスの発言の後半は完全に勇み足だった。この場の相手がゴティクスだけならば問題なかったかもしれないが、生憎とアルトリウシア軍団の主要な高級将校が勢ぞろいしているのに、アルトリウシア軍団そのものを挑発するようなマルクスの言葉にアルトリウシア軍団の将校らが一斉に表情を曇らせる。ゴティクスは表情こそ変えなかったが、マルクスの失言に呆れて溜息を噛み殺した。


「我々は『勇者団』ブレーブスを恐れているわけではありません。

 『勇者団』ブレーブスだけを考えていればいいのなら対応はできるでしょう。」


「他に何を考えねばならぬというのですか?」


「《暗黒騎士リュウイチ》様です。」


 またそれか……さっきから何なんだ……


 マルクスは背もたれから背を浮かせてはいたが、ゴティクスを見つめたまま上体を脱力させて小さく嘆息する。ゴティクスからすれば溜息をつきたいのはこちらのほうだったわけだが、あえて気にすることなく話を続ける。


「我々のような凡人には分りませんが、強い魔力をお持ちの尊き御方たちには、居ながらにして離れたところにいる人物の魔力の気配を察知することができるそうですな。

 先のアルビオンニウムでも《地の精霊アース・エレメンタル》様のその御力により、敵の場所と行動とを居ながらにして察知し、戦を優位に運べたとか?」


「つまり、リュウイチ様が『勇者団』ブレーブスの存在に気づくかもしれないということですか?」


「それもありますが、我々が懸念しているのは逆です。

 『勇者団』ブレーブスの皆様が《暗黒騎士リュウイチ》様の気配に気づいてしまうかもしれないということです。」

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