第1078話 アルビオンニア側の要求

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ツカツカと歩み寄った従兵にゴティクスは手紙を渡した。マルクスは待ち遠し気に従兵から手紙を受け取ると目を通し始める。その様子はいささか優雅さに欠け、貴族的とは言い難い。

 落ち着きなく手紙を読み漁るマルクスを横目に、侯爵家の筆頭家令を務めるルーベルト・アンブロスが咎めるように咳ばらいをした。


「オホンッ!

 『勇者団』ブレーブスのハーフエルフ様の身柄を確保できたのはまこと重畳ちょうじょう

 残りのハーフエルフ様方もいずれは取り押さえられましょう。

 しかし、属州のまつりごとを預かる身といたしましては、その後のことも考えねばなりません。」


 正面を見据えてそこまで言ったルーベルトはグイッとマルクスの方へ身体ごと向き直る。


「私といたしましては、捕えられたハーフエルフ様方の身柄につきまして、我らがアルビオンニアが預かるのが至当と存じ上げます。」


 ルーベルトは侯爵家の筆頭家令という立場にある。家令というと家政を担う使用人をイメージするかもしれないが、ここは封建主義社会……領土の運営は貴族の仕事であり、その仕事の実務を担うのは使用人たちの仕事であった。ルーベルトは属州の運営を担っており、アルビオンニア属州を一つの国家に例えるなら筆頭家令は宰相に相当する役職である。当然、ルーベルトは侯爵家というよりも侯爵家の治める属州の利益を中心に考え、発言する。アルビオンニア属州で捕まえたハーフエルフについて権利を主張するのは当然と言えよう。

 ルーベルトの掣肘せいちゅうにマルクスは手紙を読むのを中断し、姿勢を正し、態度を毅然としたものに改めた。


『勇者団』ブレーブスは今般のメルクリウス騒動における最大の容疑者です。

 メルクリウス騒動の捜査は我らが主、プブリウスウァレリウス・サウマンディウス伯爵が責任をもって執り行っておられます。

 アルビオンニアの皆様にはご理解とご協力が得られるものと確信しております。」


 メルクリウス対策は国際的な取り決めに基づいており、レーマ皇帝でさえその方針には従わないわけにはいかない。今回のメルクリウス騒動はサウマンディウムで起きた謎の爆発事故に端を発しており、捜査の責任と指揮権は領主であるプブリウスが持つことになっていた。そのことはエルネスティーネもルキウスも騒ぎが起きた先々月から既に承知しており、公式に同意もして協力も進めている。それなのにその容疑者がハーフエルフだったからといって、今更権利を主張するなど無理筋というものだ……マルクスはルーベルトの主張を認めるつもりは全くなかった。

 取り付く島もなく突っぱねるマルクスに、しかしルーベルトも負けてはいない。


「それはもちろん協力は致します。

 ですが我がアルビオンニア属州は『勇者団』ブレーブスによって少なからぬ損害を受けました。

 三つもの中継基地スタティオを潰され、ブルグトアドルフでは百人からの住民が命と住む家を奪われております。

 これで何もせずに放免するなど認められるわけはありません。」


 マルクスは片頬を引きつらせた。その顔には苛立ちと愛想笑いが綯交ないまぜになった冷笑が浮かんでいる。


「被害については我らサウマンディアといたしましても悲しみと苦痛をアルビオンニアと共にするものであります。

 ですが彼ら『勇者団』ブレーブスがメルクリウス騒動の容疑者である点は揺るがしようのない事実。伯爵閣下は大協約の定めに従い、事件と彼らを捜査する責務を負っておられるのです。」


「もちろんです!」


 ルーベルトはまるで冗談でも披露されたかのように両手を左右に広げて見せた。


「もちろんですとも!

 『勇者団』ブレーブスのハーフエルフ様方は伯爵閣下の御取り調べをお受けすべきできです。我々もそのことに何の依存もございません。」


 マルクスは予想外の反応に「なら何が言いたいんだ?」とばかりに眉をしかめてルーベルトを凝視する。


「ですが御取り調べは永久に続くわけでもありますまい?

 伯爵閣下は『勇者団』ブレーブスのハーフエルフ様方を御取り調べになり、そして真実を見出し、結果を報告するでしょう。

 その後、ハーフエルフ様方を御引き渡し頂きたいのです。」


「その後!?」


 驚いたマルクスはまるでしゃっくりでも始まったかのように身体をピクンと跳ねさせるように顎を引いた。


「そう、捜査が終わったのなら、ハーフエルフ様方をサウマンディアに留め置かれる理由も必要もありますまい?

 サウマンディアでの御用が御済になりましたら、その後で我らに引き渡していただきたいのです。

 何故なら我らは彼らから大きな被害を受けたのですから。」


「んむむ……」


 マルクスのアルトリウシア訪問の役目の一つはアルビオンニア属州内で暴れまわっている『勇者団』に対する捜査権を確認し、侯爵夫人や子爵に認めさせることであった。『勇者団』の聖貴族の身柄を独占し、サウマンディア属州の利益を最大化するためである。幸い、『勇者団』にはメルクリウス騒動の容疑がかけられており、メルクリウス騒動への捜査権は既にサウマンディア側に帰属することが確認されている。このまま『勇者団』はメルクリウス騒動の容疑者だからと説明すれば、アルビオンニア側は容易に認めるだろう。そうすれば『勇者団』捜索のためにサウマンディア軍団はアルビオンニア属州内で活動し続けることができたし、アルビオンニア側が捕えた『勇者団』もサウマンディアが要求すれば引き渡さざるを得なくなる。その交渉をしやすくするために、ムセイオンから聖貴族が脱走したという帝都レーマからの通知と捜索指示がアルビオンニアに到着するのを意図的に遅らせる真似すらしていた。

 しかしルーベルトはサウマンディア側の捜査権は認めつつ、サウマンディアの捜査が終わったら引き渡すように要求してきた。捜査終了後もムセイオンからの迎えを待つとか何とか適当な理由をつけてハーフエルフたちをサウマンディウムへ留め置き、そのまま女をあてがって子を産ませようという目論見だったのに、ルーベルトの掣肘によって瓦解しようとしている。

 たしかにプブリウスが持つ捜査権はあくまでもメルクリウス騒動の……もっと言えばメルクリウス本人を捕まえて降臨を阻止するためのものだ。そして、捜査権はあるが刑罰を与える権利までは無い。メルクリウスは逮捕されればケントルムに移送し、国際裁判を受けさせねばならないからだ。捜査によって明らかにすべき情報が全て明らかになれば、捜査はその時点で終了しなければならないし、それ以降プブリウスに『勇者団』に対するいかなる権利も発生しない。ルーベルトはそこを突いてきたのである。


『勇者団』ブレーブスがアルビオンニア属州内で引き起こした事件は明らかに降臨とは関係ないものも含まれます。

 我らはそれを捜査し、必要とあれば賠償を請求せねばならないでしょう。

 我々にはその権利があります。」


 ルーベルトの熱弁が進むにつれ、会議室内のアルビオンニア側の貴族たちの視線にも熱が帯び始めていた。


 ま、まずいぞ……

 ひとまず身柄は確保できるが、捜査後の権利を主張されては抵抗しきれん……


「わ、私にはそこまでのことについては交渉権が及びません。

 一度持ち帰って、伯爵閣下に御意向を確認してから回答させていただきます。」


 マルクスは『勇者団』はメルクリウス騒動の容疑者だから身柄は引き渡すようにと要求したばかりだ。つまり彼は捕虜となった聖貴族たちの扱いについて交渉を行うよう指示と権限とを与えられている筈である。にもかかわらず交渉権が及ばないとして誤魔化そうとするマルクスに、アルビオンニア側の貴族たちが不満を露わにした。


「馬鹿な!」

「属州内で起きた犯罪の捜査権は属州領主ドミナ・プロウィンキアエに帰属するのは当然ではありませんか!?」

しかり、伯爵閣下がお持ちの捜査権はメルクリウスに関してのみの筈!」


 思わぬ騒ぎにルキウスは驚きわずかに目を見開き、エルネスティーネは肘掛けをギュッと掴んで身を乗り出し、場内を見渡した。ルーベルトの主張自体は彼らのあずかり知らぬところではなく、むしろ彼ら自身も思っていた事である。ルーベルトは自分一人の主張を口にしたわけではなく、アルビオンニア側貴族の思うところを代表して口にしたに過ぎなかった。が、こうも場が荒れてマルクスが非難されるのは不味い。サウマンディアはアルビオンニアの最大の支援者であり今後も良好な関係を保たねばならないのに、アルビオンニア貴族の一時の感情で関係を壊すわけにはいかないのだ。


 止めるべきか……


「まあ皆さんご静粛に!!」


 ざわめきだした会議室を納めたのは二人の領主ではなくゴティクスであった。


「今、ハーフエルフ様の身柄を云々するのは時期尚早です。

 これから時間をかけて話し合えばいいでしょう。

 我々はそれ以前に、本当にハーフエルフ様をサウマンディアへ送れるかどうかを心配しなければなりません。」

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