第1364話 魔導具下賜への対応

統一歴九十九年五月十二日・朝 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ネロの報告を聞いたルキウスは、自分の額を両手に持った杖の頭に押し当てるようにして目を閉じた。そのまま悩まし気にコツンコツンと杖の頭に額を打ち付け、うなりとも溜息ともつかぬ声を鼻の奥から響かせる。


「……養父上ちちうえ


「釘を刺しておくべきだったか……」


 アルトリウスの呼びかけに応えることなく、ルキウスはひとちる。


 大協約体制のヴァーチャリア世界では魔道具マジック・アイテムは決して世に広めてはならないものだ。ルクレティアが魔導具を受け取ったのは法的にグレーはグレーなのだが、厳密には黒である。限りなく黒に近いグレー……ムセイオンあたりに知られれば追及はまぬがれまい。しかし完全な黒ではない。完全に無罪放免というわけにはいかないまでも、まだ言い逃れの余地は残されている……要するに危ない橋を渡っていた。にもかかわらずルクレティアが魔導具を受け取ることを認めたのは、ルクレティアを聖女サクラにするためだった。


 せっかく《暗黒騎士リュウイチ》が降臨したのだ。その血筋をこの地に残せるのなら多少の危ない橋を渡るくらいわけはない。どうせルキウスには子はいなかったし今後も出来ない。それでいてアルトリウシア子爵家には既にアルトリウスという立派な跡取りが居る。ならば、最悪の場合ルキウス一人が責任を負えば済む話だ。さすがにスパルタカシウス家の令嬢が魔導具を受け取った責任で、血のつながりがないどころか種族さえ異なる子爵家がまるごと取り潰されることなどあるまいし、ルキウス個人にしても命をとられることにまではなるまい。

 ルキウスの目論見は功を奏し、ルクレティアはリュウイチから強力な魔導具を受け取ることができた。リュウイチは自らの不用意な申し出によりルクレティアが不安定な状況になったことを悔い、自責の念によって勝手に追い詰められてくれ、自縄自縛じじょうじばくおちいったあげくルクレティアの同衾どうきんに同意せざるをえなくなった。おかげでルクレティアは実際にはまだ手は付いていないだろうが名目上は聖女サクラとなったのだし、それにふさわしい力も手に入れた。最早ルクレティアのリュウイチへの輿入こしいれは確定……あとはルクレティアがリュウイチの子を宿してくれれば目的は達成される。


 ルクレティアが子を成せばアルビオンニア属州の、そしてアルトリウシアの繁栄は約束されたも同然だ。スパルタカシウス氏族は代々地属性の精霊との親和性に優れ、リュウイチは全属性で桁外れの魔力を誇っているのだ。その子はきっと地属性にひいでた聖貴族コンセクラトゥスに育つに違いない。アルトリウシアの南に広がる広大なアルトリウシア平野……今は亡き兄グナエウスが開発を夢見ながら、土地全体が濃い塩分を含んでいるがために開発そのものを断念せざるをえなかったあの広大な湿地帯も、リュウイチとルクレティアの子の力があれば豊かな穀倉地帯に生まれ変わらせることが出来るだろう。帝国南端の辺境はアヴァロニウス氏族の新たな楽園となるのだ。

 スパルタカシウス家も降臨者リュウイチ外戚がいせきとして往年の勢力を取りもどすだろう。生まれた子供は成長するまでムセイオンに預けられることになるのだろうが、ルクレティウス・スパルタカシウスはムセイオンに留学経験があり、ムセイオンにはそれなりに太いコネクションがある。子供が成長するまでの間、ルクレティウスはしっかり子供を守ってくれ、成長した子供がアルトリウシアへ戻れるよう氏族を挙げて尽力するはずだ。


 そのための……そのための魔導具マジック・アイテムだった……


 ルキウスの見たところリュウイチは大人しく温厚で真面目な性格だ。常に他者を尊重し、他人に迷惑をかけることを嫌う傾向が強い。確かに突飛な行為に走ることもあるし、警備の目を盗んで夜の街へ出て行ってしまったこともある。結果的にリュキスカと言う娼婦をさらって来てしまったこともあった。しかしそうした行為はこの世界ヴァーチャリアの、レーマ帝国の文化や風習、常識にうとかったことから生じたもので、ルキウスはじめ周囲の人間を困らせてしまうことを承知で行ったわけではなかった。基本的には善良なのだ。

 リュウイチは他人を助けることをいとわないが、たとえ人助けだとしてもそれを行うことが周囲にもっと大きな迷惑を及ぼすと分かっていれば、あえて自分を殺して我慢することも知っている。善意だの正義だのを盲信しないだけの落ち着きがある。理性と善意が高度にバランスを保った人格者……ルキウスのその評価はもしかしたら過大だったのかもしれない。


 リュウイチは前回ルクレティアに魔道具を下賜かしした際の騒ぎではだいぶ神妙になっていた。この世界での魔導具や聖遺物アイテムがどれほど存在感の大きなものかはあの時理解した様子だった。だからリュウイチの性格からしてこれ以上魔導具を広めるようなことはしないだろう……そう安心していたのだ。

 だがリュウイチはここへきてリュキスカにも魔導具を与えようとしている。リュキスカは既に聖女だ。リュウイチの夜伽よとぎ幾夜いくやもこなしており、自身も既に並の聖貴族を上回る魔力を得、その魔力はリュウイチとは血が繋がっていないはずの赤ん坊にまで引き継がれようとしている。ルクレティアとは違い、本物の聖女となっているのだ。ルクレティアとリュキスカ……聖女としての格があるとすれば、リュキスカの方に軍配が上がるだろう。にもかかわらずルクレティアが魔導具を得ながらリュキスカが得られないというのは確かに道理に合わない。

 魔導具を譲り受けることは大協約で禁じられている。それをルキウスは“柔軟な法解釈”によって規制をくぐってみせたわけだが、今度はリュウイチが同じ方便で魔導具をリュキスカに渡そうとしている。ルキウス自身が前例を作ってしまった以上、ルキウスには今回の魔導具の下賜を制止できる自信は無い。リュウイチが魔導具をリュキスカに下賜するのは、認めざるを得ないだろう。


 リュキスカ様に魔導具マジック・アイテムを譲渡……考えないではなかった。

 しかしリュキスカ様が求める様子も無かったし、リュウイチ様の性格からして当面は無いだろうと思っていた。

 見通しが……甘かった……


 リュウイチから魔導具を受け取るヴァーチャリア人が増えれば増えるほど歯止めは利かなくなっていくだろう。魔導具の氾濫はんらんを許すようなことになれば、さすがにその責めはまぬがれようはない。せめてルキウスの首一つで済む程度に納めてもらわねば、アルトリウシアの発展どころの話ではなくなる。

 ルキウスは杖を降ろし、顔を上げた。


「残念だが、リュウイチ様を御諫おいさめ申し上げることはできん」


 結局のところ迂闊うかつだった、軽率けいそつだったということなのだろう。決まりごとに対する柔軟性とは、常にこういう形で返って来るのだ。


「では、そのままお認めになるのですか?」


 ルキウスの諦めたような物言いにネロがゴクリと唾を飲み、アルトリウスが尋ねる。


「どう言ってやめさせるというのだ?

 ネロの報告の通りなら、リュウイチ様のおっしゃりようは筋が通っておる」


 答える際、ルキウスはアルトリウスはもちろんネロとも目を合わさなかった。それどころか、誰とも目を合わさないようにするかのように視線を誰も居ない方へ逸らす。その姿をアルトリウスは立ったまま見下ろしていたが、上体を仰け反らせて口をへの字に引き、鼻から長く息を吐くとルキウスの顔を覗き込むように身を屈めた。


「しかしどこかで歯止めをかけねば!

 際限なく聖遺物アイテムが流出すれば……!?」


 アルトリウスが訴えかけるとルキウスは面倒くさそうに眼を閉じ、左手をかざしてアルトリウスの言葉をさえぎった。


養父上ちちうえ!」


わかっているインテリーゴ!」


 ルキウスはようやくアルトリウスに向き直る。その視線に気後れしたわけではないが、アルトリウスは屈めていた身を起こした。身を屈め、背の低い相手に顔を近づけると相手に威圧感を与えてしまうらしいことをアルトリウスはこれまでの経験で知っていたからだ。相手を見下ろすことになってもあえて身体を逸らして顔を放すのは、アルトリウスなりの相手の話を聞く姿勢だった。


「もちろんこのまま何もせんわけではない。

 リュウイチ様も実際にリュキスカ様に魔導具マジック・アイテムを下賜される前に、我々と話をするおつもりだそうではないか。

 その時、魔導具マジック・アイテムの内容と今後について、お話させていただくとしよう」

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