降臨者来航

第77話 ティトゥス要塞の喧噪

統一歴九十九年四月十日、昼 - ティトゥス要塞/アルトリウシア



 ティトゥス要塞カストルム・ティティはかつてレーマ帝国がこの地に進出して来た際に一番最初に建設された拠点である。建設したのは当時はまだアヴァロンニア支援軍アウクシリア・アヴァロンニアと名乗っていたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアだった。

 それはティトゥス街道敷設工事のための拠点として夏の間だけ利用するために建設された夏季駐屯陣地カストラ・アエスティヴァで、毎年冬になるたびに放棄されるのを前提としたものだった。


 こうした背景からティトゥス要塞は要塞カストルムと言うわりに永久陣地カストラ・スタティヴァにありがちな稜堡りょうほ等の本格的な防御設備をほとんど何も持っておらず、恒久化の話が持ち上がった際には既に周囲を城下町カナバエが囲ってしまっていて防御拠点としての能力を付与する事は最初から無理な状態だった。

 もっとも、その必要があったかと問われれば全く無かったというのが正しい答えだろう。ティトゥス要塞の恒久陣地化という話自体が、そもそも軍事的な目的によるものではなかったからだ。


 すぐ南に本格的な防御拠点たるマニウス要塞カストルム・マニが存在する以上、ティトゥス要塞の軍事的価値はほとんど消失している。

 実際、つい一昨年までティトゥス要塞はティトゥス街道を利用する通信・連絡のための中継拠点として、その敷地内のごく一部の施設だけが街道沿いのブルギ中継基地スタティオなどのように利用されているような状態だったのだ。

 そのティトゥス要塞をわざわざ恒久化することになったのは一昨年アルビオンニウムを襲った火山災害が原因だった。


 初代アルトリウシア領主グナエウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスは演習中に指揮していたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアごと火砕流に巻き込まれて重傷を負い、それが元で八日後に死亡する。

 その後ごたごたと御家騒動が起こり、結果的にグナエウスの長男であるアルトリウスではなく、弟のルキウスが家督を継ぐこととなった。ただし、ルキウスは持病の腰痛のためかなり前から軍務を退しりぞいていたため、アルトリウシア軍団はアルトリウスが軍団長レガトゥス・レギオニスに就任することで、その指揮運用の実務を担うこととなった。


 生前グナエウスは領主ドミヌスとして政務を執るかたわらで軍団総司令官ドゥクス・レギオニウスとして軍務も直接執っていたため、政務関連の機能もマニウス要塞に集約されていたのだが、代が替わって政務を司る人物と軍務を司る人物が分かれたことから、政務機能をマニウス要塞の外へ移転しようという事になった。

 そこで目を付けられたのが半ば放棄されて久しいティトゥス要塞だったのである。


 敷地内の建物はそれなりに古くなっていて、特に兵舎や厩舎などはティトゥス要塞が建設された当初の一番古い仮設の物がそのまま残っており、さすがに築云十年でまったく使われていないものともなるとかなり傷んでいて一部は倒壊の危険すらあったのだが、要塞司令部プリンキピア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム等の宿舎プラエトーリウムなどは仮設ではなく石材、レンガ、コンクリート等を使った本格的な建築物であったので、わずかな手直しを施しただけでほぼそのまま使えるような状態だったのだ。

 これを利用しない手はない。


 ティトゥス要塞はアルトリウシア子爵ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスと、アルビオンニウムから避難してきているアルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネ・フォン・アルビオンニアらの生活と政務のための場となった。


 侯爵や子爵といった領土持ちの貴族パトリキ屋敷ドムスとしてみると敷地の広さはともかく建物は酷く簡素であり、みすぼらしくすらある。

 体面を何よりも重んじる貴族としては耐えがたいアバラ屋といっても良いかもしれず、普通の領主貴族であれば真っ先にティトゥス要塞を貴族にふさわしい屋敷に建て替えていた事だろう。

 しかし、要塞の持ち主であるルキウスは「支援軍アウクシリア」という肩書を与えられた傭兵部隊を率いる没落貴族の次男坊として生まれ育っていたし、今現在要塞に間借りしている侯爵夫人のエルネスティーネも元々は商家の生まれである。貴族として体面は重んじなければならない事ぐらい知ってはいたが、体面よりも現実の方に重きを置いてしまう習慣が骨の髄まで染みついていた。

 アルビオンニウム放棄後の難民救済と領地の復興を最優先に考える二人の領主は、そうした性質からティトゥス要塞再利用に際しても最低限の改修工事に努め、古い兵舎の撤去さえ後回しにし、傾注可能なリソースの大部分を領地内のインフラ整備と難民救済に充てていた。

 

 彼らの身辺を警護する衛兵も軍団兵レギオナリウスでやっていけそうな者は全て軍団レギオーに編入させており、今ティトゥス要塞を守っている兵士は侯爵家と子爵家を合わせても百二十名ほどしかいない。

 ティトゥス要塞・・・その名から連想される規模や能力のイメージと比べると、その実態は敷地面積の広さを除けばかなり貧弱なものにすぎなかったのである。

 


 その貧弱なティトゥス要塞は戦場のような混乱の最中にあった。

 原因は勿論もちろん、今朝の要塞前の城下町で起こった大規模テロ事件である。


 当初は門扉もんぴを閉ざし、城下町で発生した重傷者のみを受け入れていたのだが、人々の挨拶が「おはようグーテン・モーゲン」から「こんにちはグーテン・ターク」に替わる頃になってようやく重症者の収容と応急手当が一段落ついたと思ったら、今度はティグリスの指示によってアンブースティアから逃げてきた避難民たちが続々と姿を現し始めたのである。見る間に数千人に達した避難民は助けを求めてティトゥス要塞の門前へ押し寄せ、ついには街道も裏路地も埋め尽くしてしまった。

 やがて、住民と避難民の間での衝突も起き始めると城外の混乱は最高潮に達する。


 要塞内ではルキウスと衛兵隊長らが状況把握に努めてはいたが、城外は既に人の往来すら困難なほど騒然としており、各方面に伝令を放ちはしてもその先もことごとくテロや火災で混乱を極めていて各地区の郷士ドゥーチェとの連絡すらつけられない有様だった。



 ハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱を起こしたのだという程度の事は分かる。問題は彼らハン族の行動の狙いだ。

 少なくともアルトリウシアのほぼ全域で破壊活動が行われたことは確かである。彼らの限られた兵力でこれだけ広範囲に破壊活動が行われたという事は、おそらく何らかの陽動のつもりであろう。アルトリウシア側が火災やテロの対応に忙殺されている間に、本来の目的を達成するための行動を開始するはずだ。

 だが、それを推定するために必要な情報が一切入ってこない。


 やつらハン支援軍の目的は何だ?


 ティトゥス要塞の攻略というのも十分に考えられる。

 ティトゥス要塞の警備は薄く、衛兵はわずか百二十人しかいない。それもほとんどが軍団を退役した老兵や傷痍兵だ。忠誠心と士気だけは現役軍団兵さえ凌ぐほど旺盛ではあるが、身体能力的には現役軍団兵に敵うはずもない。

 弱兵とされるハン支援軍のゴブリン兵が特に策を弄することなく力攻めしたとしても、今のティトゥス要塞なら陥落させることが出来るだろう。


 そして、ティトゥス要塞にはある程度の武器弾薬その他軍需物資が備蓄されており、エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵という二人の領主とその家族も滞在している。

 ティトゥス要塞をとして軍需物資を抑えるとともに領主とその家族を人質にとれば、やりようによってはハン族が再び一旗揚げるくらいはできるかもしれない。


 それは最終的には破滅しか待っていない無謀な企みでしかないのだが、彼らハン族はそういう馬鹿な事を実行に移してしまいかねない迂闊うかつさを兼ね備えている事をルキウスは良く知っていた。


 城下町に現れた少数の騎兵エクィテス部隊はテロ事件を起こした後で撤収しているが、だからといってティトゥス要塞がもう攻撃されないと判断するには早すぎる。

 ハン支援軍は本来騎兵が主力の部隊だが、現在はダイアウルフを多く失ったせいで大部分が歩兵となっている。

 その歩兵をティトゥス要塞に侵入させるために各地で混乱を巻き起こし、避難民をティトゥス要塞へ誘導していることも考えられなくはない。避難民に混じってしまえば、ホブゴブリンやゴブリンが要塞内に侵入するのは容易なはずだからだ。


 少なくとも、ハン支援軍の目的がティトゥス要塞ではないことが確認できるまで、不用意に門を開放すべきではない。


 それがルキウスと二人の衛兵隊長の統一見解だった。

 そうした見解を反映した当然の対応として実施されていた要塞の閉鎖が部分的に解除されたのはエルネスティーネの介入があったからである。


 南西の空を覆う大量の煙から尋常ならざる事態が発生している事に気付いた彼女は衛兵隊長につかいをやって説明を求めた。そして事情を知るやいなや、要塞司令部に自ら赴いて領民のための対応を要求したのだった。


「すべての婦人の名誉のためにお願いします。」


 彼女は懇願するようにそう言った。

 それはアルビオンニア侯爵家を頂点とするランツクネヒトの末裔たちにとっては最上級の誠意を表す言葉であり、侯爵夫人からそのセリフが出たとあれば聞き入れない訳にはいかない。

 まずアルビオンニア侯爵家に仕える衛兵隊長のゲオルグがこのエルネスティーネの言葉に折れ、ルキウスらも渋々妥協をせざるを得なくなった。


 このため、当初は重症者のみを受け入れていたものが女性と子供の受け入れも許可されるようになった。ハン族には王族以外の女性が残っていなかったから、女性と子供を受け入れる分にはゴブリン兵の侵入を許してしまう危険性は無いだろうとの判断からだった。

 だがそれでも受け入れ対象となったのは相当の数に上った。アンブースティアの成人男性は大半がティグリスによって消火活動に動員されており、ティトゥス要塞に逃げてきたのは最初から女性か子供か老人ばかりだったので、結果的に押しかけてきた避難民のほとんどを受け入れる形になってしまったからである。


 やがて、昼前になってティグリスから伝令を通じてアンブースティアからゴブリン兵を掃討した事とウオレヴィ橋が落とされた事が報告されたことから、ハン支援軍によるティトゥス要塞に対する攻撃の危険性はなくなったとの判断が下り、避難民の全面的な受け入れが開始された。


 要塞内の衛兵や使用人では人手が足らず、城下町の住民や避難民の中から有志を募っての怪我人の手当てや炊き出し等が始まると、エルネスティーネは「軍の指揮は殿方にお任せします」と言葉を残し、要塞司令部を去って自ら炊き出しの先頭に立った。


 ルキウスは昼過ぎになってようやくマニウス要塞ならびに各地区郷士らとの連絡体制を確立し、マニウス要塞に残っていた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムらを呼び寄せるとティトゥス要塞司令部に対策本部を設置することができた。

 ルキウスらがアルトリウシアの状況を把握できたのはハン支援軍蜂起以来ではこの時が初めてだった。

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