第78話 黒い雨
統一歴九十九年四月十日、午後 - マニウス要塞/アルトリウシア
それでも住民たちがパニックを拡大させる事なく、比較的短時間のうちに落ち着きを取り戻して被害者たちの救助活動が迅速に行われたのは、
いかなる暴虐も跳ねのける力強い守り手の存在は、人々を安心させるとともに勇気を
実際、
重傷者は
その間、マニウス要塞の要塞司令部では
アンブースティアとアイゼンファウストで大規模な火災とテロが発生し、各地区
その後、アンブースティアとアイゼンファウストからはゴブリン兵が駆逐されたがウオレヴィ橋とヤルマリ橋が落とされた事とリクハルドが民兵を率いて
彼らの立場上求められる対応は多岐にわたったがしかし、マニウス要塞に残されていた兵力は限られており、それゆえ彼らが取り得る選択肢は多くなかった。
「結局、いつだって人手が足らない・・・」
ティトゥス要塞から届いたルキウスの命令により軍団幕僚たちがなけなしの二個
迎撃から帰還した彼は借りていた兵士と装備を返し、司令部に出頭して軍団幕僚らにこれまでの経緯を報告。
その後、仕事を与えられないまま司令部でただ情報を集める以外何もできずに手をこまねいている軍団幕僚らを眺めて時間を潰していた。こういう時、部下のいない部隊指揮官に回って来る仕事など無いのだ。
かといって帰る事も出来ない・・・今日ここに来た目的を果たすまでは。
彼は自分の部隊が担当している上水道工事現場の協力者たちの住居を冬までに用意しなければならない。その数は概算で一万人分以上。
今日はその手配をしに来たというのにハン支援軍のおかげで全くそれどころではなくなってしまった。
話に聞く限りでは焼け出された被災者の数はアンブースティアとアイゼンファウストの両地区だけでおそらく二万人を超えているだろう。
彼が面倒を見なければならない上水道工事協力者の家族等も含めた全員三万のうち、冬までに新たな住居を用意してやらねばならない者は現時点で一万人だが、住居があると言っている二万人ももし今回の火災で家が焼けていたら、その分も追加で手配してやらねばならなくなる。
最悪、五万人分以上の住居を冬までに用意しなければならなくなる?
単純に収容する事だけを考えて軍団が使ってる兵舎と同じものを作るとしても、収容人数は一棟あたり最大九十六人だから五百棟以上は建てなきゃいけなくなる。兵舎一棟作るのに必要な木材は杉の丸太がざっと百八十から二百本ってところだ。二百本と考えて五百倍だから十万本は調達する必要がある。最低でもだ。
兵舎は二間続きの一部屋に八人が寝るだけの建物だ。八人分の寝棚が据えられた一間二ピルム×一ピルム半(約三・七×二・八メートル)の広さの寝室に、一ピルム×一ピルム半(約一・九×二・八メートル)の
寝室と納戸の他はキッチンもトイレも風呂も居間も無く暖炉すらない。
独り者なら耐えられない事もないかもしれないが、家族持ちの一般民間人がそんなところに家族構成も無視してただ単に頭割りで突っ込まれても、とても耐えられないだろう。
やはり一家族あたり五人と考えたとしても一万戸分以上は建てなきゃいけないって事だ。
今は四月、山の中の上水道建設工事現場に雪が降り始めるまで
今やってる上水道工事を即停止して人員を全部住居建築に回しても間にあわないぞ・・・そもそも工具も足らないじゃないか。
クラウディウスは暇に任せて頭の中でそんな計算を繰り返した。そして気分が暗くなった。
やめよう・・・空しくなるだけだ。
何となく小腹が空いている事に気付き、表の
「クラウディウス!こちらでしたか。」
「セウェルス、どうかしたのか?
持とうか?」
声をかけてきたのはセウェルスだった。手に書類の束を抱えている。
「ありがとうございます、でも大丈夫です。
それより今時間はありますか?」
「ああ、忙しい
何か食べに行こうかと考えていたところさ。」
「それでは仕事を頼んでも大丈夫でしょうか?
「いいとも、退屈で死にそうだったんだ。
いっそ人助けのつもりで何でも言ってくれ。」
「そう言っていただけると助かります。
実は難民の収容を指揮していただきたいのです。」
「難民の収容?」
「ええ、アイゼンファウスト地区の火災で焼け出された避難民です。
「なるほど、
「いえ、向こうから歩いてきますので、兵舎への割り振りと誘導です。」
「お安い御用だ。だが、足りるのか?」
マニウス要塞は
おまけにアルトリウシア軍団は一昨年の火山災害に巻き込まれて兵力を半減させている上に、領内のインフラ工事へ二個
遠征中の部隊はもうすぐ帰ってくるが、それでも使われていない兵舎が八割以上あるから、単純に考えれば八千人程度は収容できるはずだった。
しかし、先述した通りその収容人数は極端に狭い部屋に人を押し込んで実現されている数字である。一般人を中長期にわたって収容するのであれば、実際に収容できる人数はその半数がせいぜいだろう。
「ひとまず収容の対象は怪我人と女子供だけです。」
「男たちは?」
「軒並み消火活動に動員されてるそうで・・・あと、彼らの分は軍団のテントを設営して貸し出す予定です。」
「そっちはいいのか?」
「はい、それは
「じゃあ
「要塞司令部の前に
「やれやれ、爺さんどもか・・・」
「そう言わないでください。
もう他に使える兵士がいないんです。」
「わかってるさ。
他には何かあるか?」
「事務官が一緒に集合してるはずです。
収容計画書を持たせてますから詳細はそちらに・・・あと、記録も彼らに任せれば大丈夫です。」
クラウディウスは眉を寄せた。ちょっと用意が周到すぎる。そこまでお膳立てされたらもうクラウディウスが考え判断しなければならないことなど何も無い筈だ。ただ神輿として担がれてるような、そんな気持ちになって来る。
「おいおい、ひょっとして
「
セウェルスはそう言って苦笑いを浮かべた。
復帰兵は一度除隊した元軍団兵でありいずれも年配者だ。プライドも高く、経験の浅い若輩者のいう事を聞きたがらないところがある。
対して事務官の方は戦場で活躍できそうになくなった傷痍兵か最近入隊したような若者しかいない。そして、外に出て歩き回らねばならない仕事は基本的に後者が行うから、復帰兵たちが彼らの指示を聞きたがらないであろう事は想像に難くなかった。
「なるほど、それもそうか。
じゃあ、行ってくる。」
「お願いします。」
クラウディウスとセウェルスはお互い笑って別れた。
クラウディウスが要塞司令部前の広場に出た時、雨が降り始めていた。
小雨に打たれながら整列している老兵たちは不安げに空を見上げて何やら騒いでいた。
歴戦の勇士たちがたかが雨に動揺している?
まあそれも無理もないだろう。その雨が黒かったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます