第79話 雨を降らせたもの

統一歴九十九年四月十日、夕 - ナグルファル号船上/アルトリウシア



 アンブースティア、アイゼンファウストの両地区で発生した火災は懸命の消火活動にもかかわらず火勢は衰えず、《火の精霊ファイア・エレメンタル》の発生は防げなかった。

 アンブースティア、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリア、アイゼンファウスト各地区で発生した《火の精霊》は誰はばかりなく傍若無人ぼうじゃくぶじんに暴れまわった。

 午前の段階で全住民に放棄されてしまった海軍基地城下町はともかく、アンブースティアとアイゼンファウストの住民たちはそれぞれの地区の郷士ドゥーチェの指揮の下、火勢の及んでいない地域のバラックや住宅を破壊して延焼範囲の極限する懸命の努力を続けていた。

 しかし、《火の精霊》が発生してからはその攻撃範囲内に近づく事が出来ないため、必然的に破壊消火はかいしょうかの範囲を広げざるを得なくなり、拡大してしまった破壊消火活動範囲の面積に対する投入可能人員の払底ふっていから、《火の精霊》の抑え込みは夕刻前には絶望視されるようになってきていた。


 だが、夕刻に差し掛かった頃から風が弱まるとともに幸運にも雨が降り始め、火勢は急速に衰えていく。


 景色が茜色に染まりはじめるころには火災現場で発生した《火の精霊》は全て消失し、破壊消火範囲を残存人員で処理できる程度に極限することが可能となった。

 以後、海軍基地城下町以外では人々が火に水や砂をかけたり、燃えている木材等を火災現場から引き抜いて叩いて消したりと、より積極的な消火活動が展開されるようになっている。


 ただ、人々は雨を降らせてくれたことを神に感謝するべきかどうか迷った。


 降ったのが通常の清らかな水の雨ではなく、黒かったからだ。人々は降り始めた雨を最初は喜んだが、雨に濡れるにしたがい却って黒く汚れていく顔や衣服に気付き気味悪がった。

 黒い雨は様々な憶測を呼んだが、誰もそれに対する明確な答えを持ち合わせていなかった。人々は不気味な黒い雨に不安を抱いたが、火勢を鎮め《火の精霊》を退治してもらえた事を考えると否定的にばかりも考えていられない。

 何とも釈然としない、ぼんやりとした不安が残されたが、今夜からの食事と生活の場をどうするのかというより深刻な問題に立ち向かわねばならない人々は、黒い雨についてひとまず忘れる事にした。



 赤い夕陽を浴びながら、『ナグルファル』はセーヘイムの港へ静かに入港しようとしていた。

 一旦は当初の計画通りに海軍基地カストルム・ナヴァリアの方へ入港しようとしたのだが、大量の火薬で爆破された海軍基地は火災こそ爆風と雨でほぼ鎮火していたもののあらゆる施設が破壊しつくされており、海軍基地が面しているウオレヴィ川にも爆破されて飛んできたのであろう海軍基地の残骸が多数漂流していたり、また川底に突き刺さった木材が水面から飛び出ていたりと、とてもではないが入港できるような状態では無かったので入港を断念したのだった。

 帆はウオレヴィ川の河口に入る前に既に収納されている。その際、張綱はりづなのいくつかはやはり切断しなければならなかった。



 海軍基地に入港しようとした際に浴びた雨のせいで帆布はんぷが黒く染まり、ただでさえ昼でも薄暗いのが余計に暗くなってしまった後甲板こうかんぱんのテントの中にはリュウイチとルクレティアとヴァナディーズの三人が座っている。《火の精霊》と《風の精霊ウインド・エレメンタル》は入港の際に人目に付かないようにするため、帆を降ろすタイミングで一度消えてもらっていた。

 ルクレティアは向かい合って胡坐あぐらをかいているリュウイチに尋ねた。


「・・・ひょっとして、あの雨もリュウイチ様が降らせたのですか?」


『は?』


「あんな黒い雨は初めて見ました。

 リュウイチ様が魔法かスキルを使ってこの雨を降らせていらっしゃるのかと・・・」



 ゲイマーガメルたちがドラゴンさえほふる強力な力の持ち主である事は誰もが知っているこの世界ヴァーチャリアの常識である。

 ただ、ゲイマー同士を比べた場合、その能力に著しい偏りがある事も良く知られている。優れた武器を使って戦士のように戦うゲイマー、魔法に優れたゲイマー、何かを作りだす能力に秀でたゲイマーも存在した。そして、ゲイマーは自分の得意分野以外の部分については、基礎体力はともかく能力的には人間とあまり変わらないのも一つの事実であった。

 そして記録によれば、彼らは意図的に自らの能力を偏らせることで、特定の分野で突出した性能を発揮するようにしているのだという。

 たとえば攻撃魔法に特化したゲイマーは回復魔法を使えないとか、戦士としての能力を極限まで高めたがために魔法は一切使えないとか・・・。

 もっとも、そういう魔法が使えないゲイマーであってもメルクリウスに付与された精霊の加護は問題なく受けられたようなので、多分メルクリウスの精霊付与はゲイマー本来の力とは別なのだろう。


 《暗黒騎士ダークナイト》はこの世界ヴァーチャリアで最も知名度の高い伝説的存在ではあるが、その正体も能力もほとんど知られていない。仮にゲイマーであるならば対ゲイマー戦に特化したデザインがなされたゲイマーなのであろうと考えられていた。

 例えば《ゲイマー喰らいガメル・コメデンティ》という魔剣の性能とそれを使う能力にすべてを注ぎ込んだ剣士であろうという説は、ゲイマー研究の専門家たちの間ではかなり有力視されている。


 そして今日、《暗黒騎士リュウイチ》本人の口からゲイマーであることが明言された。

 しかし、同時にこれまでの仮説を裏切る事実も明らかになっている。


 まずは精霊だ。おそらく歴史上どの降臨者も使役しえなかったであろう程の強力な精霊エレメンタルを複数同時に召喚し使役できている。

 次に魔獣の召喚。《地獄の軍馬ヘル・ウォー・ホース》とかいう見た事も聞いたことも無い炎をまとった巨大な馬を召喚して乗りこなしていた。

 《ソロモン王の指輪リング・オブ・キング・ソロモン》という魔道具マジック・アイテムの力を借りているとはいえ、動物を使役する事もできていた。この事実はおそらくモンスター・テイマーとしての能力も持っているであろう事を示唆している。

 更に魔法。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軽装歩兵ウェリテス七人を戦闘中に眠らせた。

 また、アルビオン海峡を司る《水の精霊ウォーター・エレメンタル》アルビオーネによれば大災害を引き起こしたであろう規模の大攻撃魔法を過去に使っているらしい。

 そして先ほどは致命傷を負ったヘルマンニを一瞬で回復させる程の強力な治癒魔法を使って見せた。


 おまけに大砲の砲弾の直撃を頭部に受けたのに平然としていた。同じ砲弾を肩に受けたヘルマンニは、鎧下イァック鎖帷子ロリカ・ハマタを身に着けていたにもかかわらず致命傷を負ってしまったというのにだ。



 少なくとも「《暗黒騎士》は魔剣と剣術に特化した剣士タイプのゲイマー」という仮説は完全に否定されてしまった。

 それどころか、並のゲイマーが他の能力を犠牲にすることでようやく獲得できるであろう水準の能力を、複数の分野にまたがって使いこなすことができる事が明らかになってしまっている。


 もうこの方リュウイチに出来ないことなど無いのではないか?

 仮に天候さえも自在に操れたとしても、それを意外だとは思えない。



『いや、何もしてませんよ。

 あの雨は自然の物でしょう。』


「では、何故あの雨は黒かったのでしょうか?」


『そりゃあ・・・大規模な火災があったので、上空に煙と一緒に舞い上がった大量のすすが雨に混ざって降ってきたんじゃないですか?』


「そういうことが現実にあるのですか?」


『ええ、ありますよ?』



 日本人なら「黒い雨」と聞くとすぐに広島や長崎の原爆投下後に被爆地に降ったという放射能まじりの黒い雨を思い出す事だろう。

 あれは核爆発によって大量の煤煙ばいえんが上空高く舞い上げられ、その粒子が上空の水分を吸って重くなり、雨となって地上に降り注いだものだった。雨のもととなった粒子には少なからぬ放射性物質も含まれていて、雨を浴びた人を被曝ひばくさせてしまったこともあって、不気味な黒い雨は当時の人々の記憶にむべきものとして後々まで深く刻み込まれた。


 日本人にとって「黒い雨」というと原爆の印象があまりにも強すぎるが、実際はと言うと決して珍しい現象ではない。大規模な戦闘や大火災の後に雨が降る事や、その雨が煤で多少黒ずんでいたりすることは割とよくある現象だったりする。

 まあ、それらは原爆の後に降った墨汁ぼくじゅうのような雨に比べかなり色が薄いのだが・・・。


 また、こうした現象を逆手にとって人工的に雨を降らせる方法も研究され、その研究成果の一部は現実に利用もされている。

 リュウイチはその人工降雨のために日本のどこかで飛行機からドライアイスの粉をバラまく実験をしているとかいうニュースを、だいぶ昔に仕事中にラジオで聞いたことがあった。



 リュウイチはテレビやラジオで聞きかじった知識をもとにルクレティアに黒い雨の正体とメカニズムについて説明したが、その話にはルクレティアよりヴァナディーズの方が強く興味を持ったようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る