第80話 セーヘイム入港
統一歴九十九年四月十日、夕 - ナグルファル号船上/アルトリウシア
『ナグルファル』号
「では、魔法やスキルなどを使わなくても、雨を降らせることは可能なのですか!?」
『ええ、上空の大気が乾燥しすぎていると無理らしいですけど、空に雲ができる程度に湿気っているなら人工的に雨を降らせることはできるらしいですよ。』
「雲が出来る程度に・・・ちょっとの雲でもいいんですか?」
『目に見える雲ってのは水蒸気じゃなくて水の粒の集まりだから、あれができるということは周囲には結構な水蒸気があるはずなので大丈夫だとかなんとか・・・』
「じゃあ、あとは雨の
『風が吹いて煙が流されたりすれば流れた先で雨が降ったりするでしょうし、ピンポイントで降らせるのは難しいかもしれませんけどね。』
「でも、《レアル》では成功してるんですよね?」
『飛行機やロケットで空へ直接雨の素になる物を
でも、地上から煙を上げて人工的に雨を降らせた人もいたって聞いてますよ。名前は・・・何だったかなぁ・・・ちょっと思い出せませんけど・・・。
その人は「
「レインメイカー!!
その人は、どうやって!?」
ヴァナディーズの食いつきようは、実際に話をするリュウイチも脇で見ているルクレティアも思わず引いてしまいそうな程の勢いがあった。
『それが詳しい事は分かってないんですよ。
二十年間以上も人工降雨を成功させてて、生涯で雨を降らせられなかった事は二回だけだったらしいんですが・・・』
「おお!!」
両手を組んで身をよじり、目を輝かせて飛び上がらんばかりの彼女の興奮は今や最高頂に達している。
『ある時、雨が降りすぎてダムを決壊してしまって裁判にかけられて・・・』
その一言に
「まさか、有罪に!?」
『いえ、逆です。雨は天の恵みであって人が降らせる物ではないから無罪だと判決が降りたそうで・・・』
「ああ、良かった。てっきりそれで処刑されたのかと・・・」
今度は一度浮かせた腰をおろし、さも一大スペクタクル活劇を大団円まで見終えた観客のように胸をなでおろした。
『大丈夫でした。
ただ、刑は
今度は上体を小さく跳ねさせ、目を見開いて両手で口元を覆い、驚きと同情を全身であらわすヴァナディーズに、内心こんなに表情豊かな女性だったのかとリュウイチは驚いていた。
「まあ、なんてことを!」
『そのせいでその人が具体的にどうやって雨を降らせたのかは謎のままなんです。』
「じゃあ、何もわかってないんですか?」
『なんか、こんな形の
リュウイチは絵を描くように床を指でなぞって、台形と台形の底辺から垂直に直線二本を伸ばして、かつてチャールズ・ハットフィールドの生涯を紹介したTV番組の再現イメージ映像で見た櫓を表現した。
「そ、それを後で絵に描いていただけませんか!?」
「ちょ、ちょっと、ヴァナディーズ先生・・・」
さすがに目に余ると思ったのかルクレティアがヴァナディーズを止めに入った。
「だって、人工的に雨を降らせられるのよ?
魔法もスキルも使わずに!
これは
「そうだけど、
ヴァナディーズの専門は降臨の歴史であり、現在抱えている研究テーマは降臨が起きた場所の地勢的要件の調査だった。
「専門じゃないけど、そんなの関係ないわ!
これがどれだけ凄いことか分かる!?
私の故郷は乾燥していて土と岩だけの土地よ。
まるで砂漠みたい!砂漠よりマシだけど。
雨が降らないと川も井戸もすぐに干上がってしまうのよ。
世界にはそんなところが沢山ある!
そこで雨を降らせられるなら
「でも、《レアル》の
ここで
大協約・・・今、
地域や国によって降臨者の質は様々だ。多く恩寵を受けた国もあれば、ハン族のように原始的な文明しか得られなかった地域や民族もある。ただ単に降臨を絶つというだけでは、結果的に恩寵を多く受けた国だけが文明力を独占する事になってしまい、恩寵を多く受けられなかった地域や国は大協約への参加に消極的にならざるを得なくなる。
参加する国や地域が減れば、大協約は意味をなさなくなってしまう。
このため、大協約では降臨者の
しかし、ヴァナディーズは勝ち誇ったように胸を張り、笑みを浮かべる。
「あらルクレティア、あなた忘れたの?
私はムセイオンから来たのよ?」
ムセイオンとは《レアル》世界の古代ヘレニズム世界に存在した学堂の名を冠した
大協約に参加する国家は代表研究員を派遣し、自国が有するメルクリウスに関する情報と降臨者が齎したとされる知識や技術といったものをすべて開示することが義務付けられており、代わりにそこへ集積されたあらゆる情報は持ち帰って活用する権利が与えられる。
ヴァナディーズはムセイオンの学術研究員の一人で、研究員としては最低ランクの学士号の学位を持っている。
今回は修士号論文のためにアルビオン島以南での降臨の記録を調べるべく約二か月前からアルトリウシアに滞在しているのだが、閉鎖的で大協約にも参加していない
彼女の専門はあくまでもヴァーチャリアにおける歴史上の降臨の記録と降臨という現象そのものであって、《レアル》世界の知識や技術については全くの門外漢で素人同然である。
しかし、いくら素人ではあっても常に水不足に悩まされつづけている乾燥地帯で生まれ育った彼女には、人工的に雨を降らせるという事がどれだけ重大な価値を持つかを切実に理解できていた。
「でも、リュウイチ様のおっしゃり様では実際に行うには分からない事だらけみたいだし、あまり突っ込んだお話をおねだりしても御迷惑になるわ。」
ルクレティアは半ば意地になっているようだった。実を言うと何故リュウイチとヴァナディーズの話をこうもムキになって止めようとしているのか自分でも良くわからない。
『ああ、大丈夫ですよ。どうせ今暇だし。』
「ほら、御本人がこうおっしゃってるわ。」
嬉々として調子に乗ってるヴァナディーズに対し、ルクレティアは恨み節を吐くように釘を刺す。
「ヴァナディーズ先生、一応お断りしておきますけど、リュウイチ様と降臨の事実はまだ秘さねばならないのですよ?」
「それは
どうせムセイオンには報告しなきゃいけないし、その報告書は侯爵夫人か子爵が書くことになるのでしょうけど、降臨に立ち会ったムセイオンの人間として私の名前があった方が良いのではなくて?
なら、私もそのために色々話を聞いておきたいわ。
どうせ私もムセイオンへの報告書は書かないといけないんだし。」
ヴァナディーズは学術畑一筋でまだ二十代半ばだというのに
対してルクレティアはレーマの神学校を中退している
別に頭が悪かったから中退したわけではない。レーマ留学中にアルビオンニアで発生した火山災害のため父のルクレティウスが被災し、大怪我を負って神官としての職務に深刻な支障が生じたため、父の職務を引き継ぐために致し方なく中退して帰郷したのだった
この二人がいくら言い合ったところで勝負は見えている。
ルクレティアの根拠定かならぬ抗議が通るわけがなかった。
しかし、せっかく勝利を納めたヴァナディーズだったが、彼女の求めた話の続きは残念ながらお預けとならざるを得なかった。
セーヘイムに入港した『ナグルファル』号の接舷作業が完了したからである。
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