アルビオンニウムからの出立

第513話 心機一転

統一歴九十九年五月七日、朝 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



 この世界ヴァーチャリアの現在のこよみは完全に太陽の動きを基準に定められている。一年の内で年末に太陽が年老いて力が弱まるとともに日照時間が短くなって死に、そして新たに太陽が生まれ変わって新しい一年が始まる…そういう考え方から日照時間の最も短い冬至を年末と定め、その翌日を元旦と設定したものだ。一か月は三十日を基本とするが、この世界の一年は三百六十六日なので余った六日を偶数月に振り分けている。だから冬至は十二月三十一日、夏至は六月三十一日、春分と秋分は四月一日と十月一日になる。もちろん、南半球は冬至と夏至、春分と秋分が北半球と逆転する。


 時計が普及しておらず、日の出から日の入りまでの日中時間と日の入りから日の出までの夜間時間をそれぞれ十二等分する不定時法ふていじほうが一般的なレーマ帝国では、地域によって、そして季節によって日中の一時間と夜間の一時間では、同じ一時間でも長さに差が生じてしまう。ここ、アルビオンニアは南半球で比較的高緯度にあるため、昼夜の時間差が最大化する冬至や夏至ともなると、その差は三倍ほどにまで広がってしまう。

 秋分を過ぎてひと月と七日、日の出の時刻は冬に向けて、少しずつだが着実に遅くなっていた。


 だが夜が長くなったからといって、じゃあそれだけ長く寝ていられるかというとそんなことはない。日が暮れる時間が早くなり、それだけ寝る時間が早くなってしまえば目覚める時間も早くなってしまうものだ。

 夜の明けきらぬ内から使用人たちは起き出して朝の準備を整える。そして夏ならば日が昇っても使用人たちが起こすまで寝たままでいる主人たちも、日の出前から起き出すようになってくる。目覚めた時に日が昇っていなかったとしても、睡眠時間が既に十分であれば、二度寝しよう惰眠をむさぼろうなどという気にもならない。

 ましてや昨夜は『勇者団ブレーブス』の襲撃に備えて警戒態勢を敷いての緊張の夜を過ごしたのだ。交代で絶えず立哨りっしょうを立たせ、非番の者でも軍人たちは寝る時も一兵卒はもちろん軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムに至るまで軍装のまま武器をかたわらに置いていたのだ。惰眠を貪りたいという願望はあっても、実際に惰眠を貪ろうという気などはなから無い。

 緊張の夜が明けてもなお、緊張を解けないままでいた彼らは落ち着かないからこそ、そのまま整然と朝の準備を始めている。何もしないより何かしていた方がマシなのだ。


 しかし、全員が落ち着かない夜を過ごしていたかと言うとそうでもない。

 一昨日はファドによる放火のせいで使えなくなっていた暖房が昨日から使えるようになっていたからだ。一昨夜は『勇者団』の襲撃があった上に、暖房が使えなくなって寒くてろくに寝れなかったこともあって、温かさを取り戻した寝室に身を横たえた貴族ノビリタスたちはここ数日間は無かったほど深く熟睡したのだった。一昨夜、捕虜となったジョージ・メークミー・サンドウィッチもその一人である。


 彼は捕虜という立場もあってか、使用人が早い時間から起こしに来ると言うことがない。普通ならば朝一番に身だしなみを整えるために使用人たちが起こしに来るであろう時間になっても、彼は起こされなかった。だから彼が自然に目を覚ました時、既に外は明るくなっていた。

 寒さで目が覚めた昨日と違い、ヌクヌクと暖かく快適な寝室で夢も見ずに熟睡したメークミーは目が覚めた時、自分がどこで寝てどこで目を覚ましたのか、一瞬思い出せなかったほどだった。

 明り取り用の天窓や、窓を閉ざす木戸の隙間から挿し込む外光によって、室内は既に十分明るくなっている。その広さはあるが無駄な調度品類は一切置かれていない、ほの明るい殺風景な部屋を見回し、メークミーはようやく自分が捕虜になったことを思い出した。


 そうか、夢じゃなかったんだ…


 あまりにも心地よく寝ていたせいか、捕虜になったことはもちろん、ムセイオンから脱走してここまで冒険してきた事まで全部が夢だったのではないかと疑いたくなってしまうが、ベッドから身を起こして見渡す室内の様子、そして自分の衣服は間違いなく一昨夜捕虜になってから与えられた物だった。


「ふぅ…」


 一つ大きくため息をついてから伸びをすると、身体中がゴキゴキと鳴った。よほど深く寝て寝返りも打たなかったのだろう、身体の節々ふしぶしが痛い。だが、不思議と不快な感覚は無く、むしろ満足感があった。よく寝た…まさにそんな一言しか出てこない。

 メークミーは部屋に置かれたオマルナイトポッドに朝一番の用を足し、再びベッドに腰掛ける。


「ハァ~…やっぱり捕虜になっちゃったんだなぁ…」


 これからどうなるんだろう?


 まあ、ゲーマーの血を引く自分を酷い目に会わせることはないだろう?これまでの奴らの態度からもそれは間違いはない。扱いも罪人っていうよりは貴族って感じだし…

 世話係に痘痕面あばたづらのNPCを充てるのはどうかと思うけど、食べ物とかは意外と酷い物じゃないし…むしろムセイオンを出てから一番いい物を食べてるかもしれないな…


 ああ…でも、やっぱりムセイオンに送り返されちゃうんだろうなぁ‥‥


 剣も盾も取り上げられちゃったし…ホントにムセイオンに着くまで返してもらえないのかな?


 あのサウマンディウス伯爵公子って奴、酷いよな…聖遺物アイテムの持ち主が目の前にいるのにムセイオンに送り届けるって、意地が悪過ぎるだろ…


 帰ったらママに怒られるだろうなぁ…


 みんなはどうしてるんだろう?

 助けに来てくれなかったって事は、やっぱりみんなもスライムにやられてたのかな?

 エッジロード様は歩けなくなったくらいだから多分、同じくらいやられてたんだろうな…ソイボーイ様は大丈夫だったんだろうか?


 ちゃんと食べる物食べて、しっかり寝ればもう回復できてるだろうけど…


 確か、一旦サウマンディウムへ送るっていってたな…

 サウマンディウムって海の向こうだよな?


 送られちゃったらみんな助けたくても助けに来れなくなっちゃうよな…


 どうする?どうにかして逃げ出すか?


 でも剣と盾…せめてどこにあるか分かればなぁ…


 いや無理か…あの《地の精霊アース・エレメンタル》がいるんじゃかないっこない。


 あれが普通の精霊エレメンタルならさ、どんだけ強力でも術者に魔力切れを起こせちまえばそれ以上ちょっかい出してこなくなるだろうけどさ…あの精霊は術者から魔力も取らずにあれだけのことをやっちゃうっていうんだもん。どうしようもないよなぁ…

 あれじゃママと変わんないよ…ひょっとしてママより強いんじゃないの?

 みんなで束になってかかったのに全然相手にもならなかったもんなぁ…


 あんな凄い精霊に守られてるって…あのスパルタカシアって子、凄いよなぁ…


 あの子自身の魔力はそんなに大したこと無さそうなのに、あんなに凄い治癒魔法使うし、あんな精霊にまで守ってもらえてるし…


 ルクレティア・スパルタカシアだっけか…


 こんな辺境だっていうのに…あんな凄い子が…しかも若いし…何歳くらいなんだろう?


 結構かわいいよな?


 うん、なんか立ち居振る舞いもさ…なんか清楚な感じだよな。

 ムセイオンの女の子たちみたいに、スレてる感じがしないしさ。


 ムセイオンの女ってなんでああも高飛車って言うかさ、気位が高いっていうかさ、こう、ツンツンしたようなさ…何で同じゲーマーの血を引いてる貴族の男相手にあんなに偉そうなんだか…あれじゃ男に好かれるわけないだろうにさ…


 別に使用人みたいになれっていうんじゃなくてさ、こう…やっぱスパルタカシアみたいにさ…おしとやかって言うの?


 何かホントに「姫」って感じだよなぁ…


 ルクレティア・スパルタカシアかぁ…


 ルクレティア…ルゥ?ルーシー?


 ああ、そう呼んでみたいなぁ…怒られるかなぁ?


 ムセイオンの女だったら絶対怒るよな。フンッとか鼻で笑ってさ…突き放すみたいにさ…


 あの子はそんなこと無さそうだよなぁ…


 降臨者スパルタカスの末裔か…ゲーマーじゃないけど、一応降臨者の血を引いてんだよな…

 ブルーボール様はNPCと同じだって言ってたけど…あれだけの実力だもん、NPCなんかじゃないよ。


 付き合っちゃみんなに笑われるかな?


 ゲーマーの血を引いてないっていっても、あの実力なら俺たちと変わんないし?


 真面目に付き合ってって言えばOKしてくれるよな?

 だってこっちはゲーマーの孫だし?

 普通、断らないよな?


 ああ~…でもサウマンディウムへ送られちゃうんだよなぁ…これじゃ仲良くなるタイミングが無いじゃないか…


 なんとか待ってもらえないかな?


 う~ん…でもあのサウマンディウス伯爵公子かぁ…融通利かせてくれそうな相手じゃないよなぁ…あと、あのホブゴブリンも…何だっけ…アヴァロニウス・レピドゥス?

 アヴァロニウス?


 ああ、ひょっとしてアヴァロニウスか…滅ぼされたんじゃなかったんだな…


 いや、今はそんなこと…でもなぁ…う~ん…いやでもっ、何もしないうちから諦めたんじゃ何も始まらないぞ!?


 そうだ、ひとまず頼んでみない事には聞き入れてくれるかどうかもわからないじゃないか。

 昨日はホラ…お互いに虫の居所が悪かっただけかもしれないし…


 うん、こう、子供の仲直りとかじゃないけど、何ていうの?歩み寄り?


 そう、歩み寄りだよ!

 うん、こう意地張っててもしょうがないし、剣と盾も返してもらえるもんなら返してもらいたいし…まあ、そっちはムセイオンで返してもらえるから無理に急がなくてもいいけど…



 いつの間にかベッドに再び横になっていたメークミーがゴロゴロと転がりながら思案しているとドアがノックされた。


「何だ?」


「手洗いの水と御召し物を御用意いたしました。

 入ってもよろしいでしょうか?」


 昨日と同じ痘痕面の神官の声だった。

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