第514話 カエソーとメークミーの朝食

統一レ九十九年五月七日、朝 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「本日は招待に応じていただきありがとうございます、ジョージ・メークミー・サンドウィッチ様」


「いや、こちらこそお招きいただき感謝します、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下。」


 メークミーはカエソーからの今朝の朝食イェンタークルムへの招待に素直に応じ、神殿テンプルム内の大食堂トリクリニウム・マイウスに来ていた。やはり痘痕面あばたづらの女神官に直接髪を触られるのを嫌ったメークミーは苦心して一人で何とか身だしなみを整え、昨日よりはちゃんとした格好をしている。


「もう、魔力は回復なされたのですかな?

 そういえば昨日より顔色がよさそうだ…どうぞ、おかけください。」


 カエソーはほがらかに言うと自分の右となりの席に座らせた。ホストであるカエソーの右隣は古風な呼び方をすれば「執政官の座」とも通称される主賓席である。


「それについては一言謝らねばならないことがあります伯爵公子閣下。

 昨日、確かに魔力が回復していなかったのは事実でしたが、ご招待を断らねばならぬほどのことではありませんでした。にもかかわらず、昨日の私の態度は貴族にあるまじき不躾ぶしつけなものでした。

 どうかお許しいただきたい。この通り、正式に謝罪いたします。」


 メークミーは着席に先立てカエソーに向かい合うと、昨日の意地を張った態度がウソのような真摯な態度を見せてそう言うと頭を下げた。


「おお、どうかお気になさらずに!

 ムセイオンからの長旅の果て、見知らぬ辺境で思いもよらず虜囚りょしゅうの身となられたのです。多少の混乱は致し方ないことでしょう。

 私の方こそ、昨日はいささか態度が悪かったかもしれません。

 しかし、これも大協約の求める務めを果たさねばならぬが故のこと。どうかお気を悪くしておられねばよいのですか?」


「いやっ、悪いのは我々の方だったのです。

 閣下のお立場からすれば、ああしたことは大協約の定めにたがわぬためには致し方なき事。気を悪くするのは筋違いというものです。

 間違っても閣下を御恨み申し上げることなどありません。」


「それを聞いて安心しました。

 さあ、どうぞお掛けください。

 パン以外は昨夜の残り物を温めなおしただけの粗末な物ですが、冷める前にいただきましょう。

 昨夜は良く寝られましたかな?」


「おかげさまで、ムセイオンを出て以来もっともよく眠れた気がします。」


 二人は席に着いた。

 カエソーは「粗末な物」と言ったが、カエソー自身が説明したように昨夜の晩餐ケーナの残り物である。元々メークミーを歓待して機嫌を直させようと用意した御馳走の残り物だけあって、内容はおおよそ朝食とは思えないような豪勢な内容だった。中には、朝から食べるにはクドすぎるだろうと思われるようなコッテリとした味付けの重たい料理なども並んでいる。


「ゆっくりとお休みになれたのなら良かった。

 よく飲み、よく食べ、暖かくしてよく休む…これに勝る健康の秘訣はありません。」


「おっしゃる通りです伯爵公子閣下、一晩ぐっすり寝てようやく気持ちが落ち着きました。

 昨日の私は気がどうかしていたのです。まったく、お恥ずかしい。

 忘れていただければ幸いです。」


 席に着いた二人は早速料理に手を伸ばした。夕食と違って朝食では料理が次から次へと順番に運び込まれると言う事はない。最初から食卓メンサに並べられるだけ並べられており、並びきれなかった料理は少し離れたところに盛られている。パッと見た感じはビュッフェ・スタイルのようだが、もちろん彼らは自分で料理を取りに行くことはなく、指示すれば使用人が運んできてくれる。


「疲れがたまっていたのでしょう。

 初めての場所で魔力欠乏まで起こし、身動きの取れなくなっていたところを捕虜になったのです。混乱しない方がおかしい。

 忘れろとおっしゃるのであれば忘れましょう。罪を憎んで人を憎まずと申しますからな。」


「ありがとうございます。

 伯爵公子閣下には感謝しかありません。

 そういえば、アヴァロニウス・レピドゥス殿と言われたか?

 かの御仁ごじんにも随分と無礼を働いてしまいました。」


 カエソーがスライスして表面がカリカリになるまでトーストした焼きたてのパンに、ニンニクの風味付けをしたリコッタチーズをたっぷりと塗り付けながら言うと、メークミーもそれにならいながら反省の弁を述べた。


 レーマ人は料理は基本的に柔らかいモノを好む。大抵は煮るか蒸すのが中心で、硬くなるように焼いたり揚げたりといった料理は全体からすると少ないと言っていいだろう。口に入れれば噛まなくてもほぐれて崩れるような柔らかい料理が好きなのだ。

 だが、パンは例外で硬い物が好まれる傾向にあり、無発酵のまるでビスケットのようなパンが主流だった。貴族ノビリタスの間では発酵パンも良く作られたが、柔らかい発酵パンを柔らかいまま食べることはあまりなく、表面がカリカリに硬くなるまでわざわざ焼いて食べるのが好まれる。カエソーの好みもそうした傾向に沿ったものだった。


「彼に伝えておきましょう。

 サンドウィッチ様が気にしておられたと…なに、心配せずとも彼もさほど気にしてはいないと思いますよ。」


「だと良いのですが、そう言えば彼は今朝はおられないのですか?」


 広い食堂トリクリニウムで食事をしているのはカエソーとメークミーの二人だけであり、他には給仕しかいない。


「ええ、彼は仕事熱心な男でしてね。

 先に済ませて今日の準備に取り掛かっておるのです。」


 カエソーは口の中に溢れるパンとチーズとニンニクの濃厚な風味を水で割った白ワインで流し込んでから説明した。実際のところを言うとメークミーが招待に応じなければセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスがカエソーと同席するはずだったのだが、今朝はメークミーが招待に応じたことからメークミーの昨日の態度からどうやらホブゴブリンや亜人種に対してあまり良い感情を持っていないようだからと言って遠慮させたのだった。

 セプティミウスはセプティミウスで、もしもメークミーに種族差別的傾向があったら、無理に自分が出ていくとアルビオンニア属州全体にとっての不利益になるかもしれないという恐れを抱いており、メークミーとの会食はもう少し様子を見てからにしたいという意向もあったので、カエソーに遠慮してほしいと言う要望には素直に応じている。

 なお、スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルは今日は最初から招待していなかった。昨日の彼の様子から少し距離を置いた方が良いと判断したからだ。


「今日の準備…ということはサウマンディウムへの移送ですか?」


 メークミーも口いっぱいに広がったパンとチーズとニンニクの風味を薄い白ワインで流し込むと、まっすぐカエソーの顔を見ながら問いかける。それは彼にとっての一番の関心事だった。


「ええ、ヴァナディーズ女史を船でサウマンディウムへお送りいたします。」


 カエソーは南蛮鶴グルーイ・サウマニスの煮込みに添えられたデーツの実を摘まんで口に放り込んだ。南蛮鶴の煮汁でふやけたデーツをニッチャニッチャと噛みながら、その強烈な甘みを堪能する。それを見ながらもメークミーは今度はカエソーに倣わず、わずかに緊張した面持ちでカエソーの方に身を乗り出す。


「彼女だけ?私は送らないのですか?」


「ヴァナディーズ女史が身の安全に不安を訴えておられましてね。

 たしかに、先日まで命を狙っていた人物と同じ船に乗せられるとあっては落ち着いてなど居られないでしょう。」


 カエソーはメークミーの顔をまっすぐ見つめ返し、デーツの実を飲み込んで笑った。サンドウィッチはハッとして自分もデーツの実に手を伸ばす。


「それは…彼女には申し訳ないことをしました。

 しかし、昨日スパルタカシア殿に約束しましたように、私は既に彼女の命を狙ってはおりません。」


 デーツの実を口の放り込んだメークミーを見たままカエソーは続ける。


「それは存じておりますし信用もしております。

 ですが、やはり警備上の理由もありまして、サンドウィッチ様には別の便でサウマンディウムへおいでいただくことになります。」


 メークミーはゴクリとデーツを飲み込んだ。


「別の便?」


「はい。サンドウィッチ様もお送りしますが、ひとまずアルトリウシアまで私と御同行願います。」

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