第1046話 謎の男(2)

統一歴九十九年五月十日、午後 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 ドナートの反論によどみは無い。それは万万が一、レーマ側に見つかってしまった場合に備えてあらかじめ用意しておいた言い訳だった。もちろん、事前にディンキジクに相談してある。

 このような言い訳などレーマ軍の幹部トリブヌスがこの場にいたなら通用しなかっただろう。せいぜい現場指揮官ケントゥリオ軍団兵レギオナリウスを戸惑わせ、判断を鈍らせて時間を稼ぐくらいにしか役に立つまい。だが相手は余所者で一般市民……少なくとも軍人ではない。だからドナートもこの苦しい言い訳を自信をもってぶち上げることができた。そして実際、このハッタリは効いているようだ。相手から返ってきた返事の声からは余裕が失われている。


『なら何故、こんなところを通って帰る?

 ダイアウルフに襲われた犠牲者が居るんだぞ!?

 レーマ軍に事情を説明しなくていいのか!?』


 言葉は攻撃的だが相手の余裕の無さはドナートの自信へとつながった。物理的にも精神的にも奇襲されて落ち着きを失いかけていたドナートは冷静さを取り戻す。


「レーマ軍とは軍使を通じて連絡をとっている!

 お前が心配することじゃない!!」


 ドナートが突き放すと、今度は再び長い間が開いた。思わぬ反撃に絶句しているのか、それとも状況を整理しているのかもしれない。いずれにせよ、このチャンスは逃すべきではない。ドナートたちに後ろめたい部分があるのは間違いないのだ。舌戦ぜっせんでの優位は所詮仮初かりそめの勝利でしかない。


「我々はレーマ帝国軍ハン支援軍アウクシリア・ハン・インペリイ・レーマニとして行動しているのだ。

 軍の作戦に素人が要らん邪魔だてをするな!」


 ドナートは一喝して相手をひるませると、小さい声で背後の部下たちに「行くぞ」と命じ、愛狼テングルの肩を軽く蹴って前進を命じた。


 相手が何者かは結局分からなかったが、これ以上関わるべきではない。速やかに撤退すべきだ。ドナートたちにとって最優先にすべきは速やかな撤退……これ以上、傷口を広げるべきではない。

 話しかけてきた謎の男の正体や目的が気にならないわけではないが、ここまで話をしても最後まで姿をさらすことなく、隠れ続けていたほどの実力者だ。下手にこちらから攻撃をしかけても討ち取れない可能性が高い。それどころか不用意な戦闘は要らぬ損害を招くだろう。

 相手は事情を知らない素人でドナートの言った詭弁きべんを信じているかどうかまでは分らないが、少なくとも否定する材料は持っていない。言葉の上では誤魔化せているし、今このまま撤収すれば先ほどドナートが言った言い訳……ドナートたちは逃亡したダイアウルフを回収しに来ただけでダイアウルフで攻撃を行っていたわけではない……は、そのまま通用するだろう。その言い訳を否定するような証拠は誰も持っていないのだ。

 だがもしここで謎の相手を攻撃し口封じしようとすれば、さきほどの言い訳は通用しなくなる。それは先ほどの言い訳は嘘だとわざわざこちらからバラすようなものだ。ハッタリをより効果的にし、嘘を貫き通すためには、ここはあえて攻撃に踏み切らない方が良い。


 そのドナートの判断は間違っていなかったようだ。謎の男は話しかけて来なくなったし、おそらく謎の男の飼い犬であろう例の黒い巨犬は何か困った様な顔をしてドナートと、おそらく主人が潜んでいるであろう森の方を交互に見比べながらたたずんでいる。

 ドナートはそれらを無視して川へ向かって斜面を降り始めた。夕日の残る川の明るさで不利を経験したばかりだが、しかし今更謎の相手のひそんでいる森の中へ分け入っていく気にはなれない。森の中は間違いなく相手の領域だ。あの相手が味方ならともかく、敵になるかもしれないのなら、迂闊うかつに森へ入り込むのは危険でしかない。


「た、隊長、いいんですか!?」


 部下の一人、アルダリクが抗議でもするかのように尋ねたが、ドナートとアルダリクの間にいたプチェンがキッと睨み、その視線だけでアルダリクを黙らせた。


 よし、このまま粛々とこの場を去るんだ。

 あとはエッケ島まで帰還することだけに集中する。


 愛狼テングルの背に揺られながら、ドナートは決意を新たにする。が、彼らの前に再び黒い犬が立ちはだかった。


「「「「!?」」」」


『お前たち、随分と大荷物だな』


 驚き立ち止まったドナートたちに再び謎の男の声が聞こえた。最初に話しかけてきた時と同じような自信と余裕とを帯びた声だ。


『逃げたダイアウルフを探しに来て、そして見つけ、それを連れて帰るんだな?』


 正面に立ちはだかった犬に目を奪われていたドナートたちは、姿勢はそのままに目だけを動かして周囲を探る。しかし声の主は相変わらず姿を見せない。


『レーマ軍の書類を見た。

 グナエウス街道に出没するダイアウルフは五頭……そしてお前たちのダイアウルフも五頭だ。』


 チッ……ドナートは小さく舌打ちをし、身体を捻って振り返る。


「何が言いたい!?

 軍の作戦の邪魔をするなと警告したぞ!?」


『お前たち、その大荷物を担いで歩いてきたのか?

 それとも、ダイアウルフたちはその荷物を背負ったまま逃げたのか?』


 ドナートたちが騎乗するダイアウルフの背中には、ドナートたち騎兵以外にも彼らが活動するための数日分の物資が乗せられていた。十歳ぐらいのヒトの子と同じくらいの体格しかないゴブリンには、明らかに多すぎ、大きすぎ、重すぎる荷物が……

 街道に出没するダイアウルフが五頭でドナートたちが騎乗し、あるいは連れているダイアウルフも五頭。逃げたダイアウルフが五頭でドナートたちがそれらを捕まえたというのなら、ドナートたちはここまで歩いてきたことになる。が、それにしては荷物が多すぎる。その矛盾を合理的に説明する手段は、ドナートたちには残されていなかった。


 このまま相手にしていてはダメだ。

 多少強引にでも突き放し、いち早くこの場を離れなければ……


「お前には関係のないことだ!

 もう一度言うぞ、軍の作戦の邪魔をするな!」


 ドナートは鞍にくくりつけられたホルスターに手を伸ばし、短小銃マスケートゥムの柄に手をかける。弾は込められていない。曇りばかりで雨が多く、温暖ながら湿度の高いアルトリウシアでは、銃に弾を込めっぱなしにしていると一時間もしないうちに火薬が湿気って撃てなくなるか、あるいは極端に威力が下がってしまうからだ。乾燥しているライムント地方ならともかく、アルトリウシアでは銃に弾を込めっぱなしにしないのは行軍中の鉄則である。

 弾を込めるのに二十秒くらいはかかるだろうか……この敵がどこに潜んでいるか分からない状況で、なおかつドナートたちが徒歩なら、弾を込め終わる前に奇襲を受けてやられてしまうかもしれない。だが、彼らは今ダイアウルフに乗っている。奇襲を受けてもダイアウルフの索敵能力と機動力なら、かわすことはできるだろう。そして彼らはハン支援軍の騎兵は、走るダイアウルフの上で銃に弾を込める訓練を重ねている。そのために銃の方にも独自の改良を加えてある。さすがに起伏の激しい山の中でダイアウルフが跳ねまわっているような状況では無理だが、弾込め作業を中断されることにはなってもダイアウルフが跳ねた拍子に銃を取り落としてしまうようなヘマはしない。


『早まるな。

 別にお前たちの邪魔をしようとか、レーマ軍に突き出してやろうとかいうんじゃない。

 むしろお前たちを助けようとしてるんだ。』


 あくまでも強気なドナートの言葉、そして更に銃に手を伸ばしたドナートの殺気ゆえか、男の態度は打って変わって柔らかなものとなる。


「助けるだと!?」


 揶揄からかっているようにも聞こえる男の言い様に、ドナートは不機嫌そうに口元を引きつらせた。姿も見せず、名乗りもせず、自分だけ安全地帯に身を置いて相手の都合の悪いことを無遠慮に指摘し、いい気になってるような奴など信用出来るわけがない。いくら「助けてやる」「味方してやる」などと言ってきたところで、そんなものは以外の何物でもない。手を結んだら最後、いいように利用するだけされて使い捨てにされるのがオチである。


「我々は助けなど必要としていない!

 軍の作戦に口を挟むな!!」


 ドナートはそう叫びながらホルスターから銃を引き抜いた。

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