第1047話 姿を現した男

統一歴九十九年五月十日、午後 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 ドナートに続いて部下たちも次々と銃を抜き、銃口を上に向けて肩ぐらいの高さに、まるで松明たいまつのように掲げる。森の中は既に互いの顔を見分けるのも苦しいくらいの暗さだが、その中でもこちらの荷物からドナートの嘘を見抜くほどの観察力があるなら、ドナートたちが何をしたかぐらい把握しているだろう。軍人が武器を抜いて掲げるということは、それを容赦なく使うという意思表示……つまり彼らは本気だということだ。


『虚勢を張るな。

 何も見えてないくせに。』


 男の声は嘲笑あざわらうかのようではあったが、先ほどよりも緊張感がにじんでいる。ドナートたちの武器の誇示は確かに虚勢以外の何物でもなかったが、それでも心理的に相手を圧迫するという効果は発揮したらしい。


「そう思うなら試してみるがいい。

 姿を隠さなければ話も出来ないような臆病者イグナーウスに割く時間など、我々には無い。」


 臆病者……男はどこまでも男らしくあること、女はどこまでも女らしくあることが求められるヴァーチャリア世界において、それは決して言ってはならない侮蔑の言葉である。不用意にそのような言葉を用いれば、激昂した相手に殺されてしまったとしても文句は言えない。逆に世間からそのように言われるような状況に追い込まれでもすれば、男は自ら命を絶つことも躊躇ためらわないだろう。その言葉をあえて使うということは、いわば最後通牒さいごつうちょうを突き付けたようなものだ。

 ドナートは言うだけ言うと愛狼テングルの肩をかかとで軽く蹴って前進を促した。テングルは牙を剥いて目の前の黒犬を威嚇していたが、口を閉じるとフンッと鼻を鳴らし、正面の黒犬を睨みつけたまま前へ足を踏み出す。ドナートが前進を始めると背後の部下たちも……というか、部下たちを乗せたダイアウルフたちもテングルの後を追うように歩き始めた。黒犬は頭をあげ、スンッと鼻にかかった様な高い声で小さく鳴くと、二歩三歩と歩いてテングルに道を譲る。

 テングルとドナートはそれぞれ、自分たちの進路上から獣道の外へ避けてたたずむ黒犬を横目で見ながら、黒犬の前を通り過ぎる。黒犬からは敵意のようなものは感じられなかった。


 意外だな……このまま行けるか?


「まあ、そう急ぐな。」


 声に驚いたドナートが視線を黒犬から正面に戻すと、そこに見たことも無い黒ずくめの男が立っていた。


 何だコイツ?

 今までどこに隠れていた!?


「我々はもう少しの間、ダイアウルフにグナエウス街道で暴れてもらいたいだけだ。」


 驚きのあまり言葉を失ったドナートに男は笑いかける。とはいっても、森の中は既に真っ暗で前方を流れる川が反射する夕日だけがこの場の光源になっている。ドナートと川の間に立っている男の表情は、ドナートからは逆光になって全く見えない。笑いかけるというのは、男の声の調子からドナートたちにはそのように感じられたということだ。実際にどのような表情を浮かべているかはわかったものではない。


「誰だお前は?

 何が目的だ?」


 テングルはビクッとして一歩身を引いたが、テングルに騎乗したままのドナートは辛うじて驚きを隠し、凛とした声で尋ねる。


「言っただろう?

 ダイアウルフにもう数日程、グナエウス街道で暴れてもらいたいのだ。」


「答になってないぞ!

 私が尋ねたのはお前が誰かと、そのダイアウルフを暴れさせたいという理由だ。」


「グナエウス街道を封鎖したいのだ。」


「何のためにグナエウス街道を封鎖する!?

 それからお前は誰だ、さっきからワザと答えをはぐらかそうとしているな?」


 語気を強めるドナートに男は観念したように両手を上げ、フンと鼻を鳴らした。


「いいだろう。

 話してやる。

 だから銃を降ろせ、どうせ弾は入ってないんだろう?」


 ドナートは無言のまま男を見下ろしていたが、数秒ほどしてテングルが小さくクシャミをしたのを合図にするように銃を下げた。とはいってもホルスターには戻さず、左手の手首に銃の負い革を軽く巻きつけながら左手で銃身を掴み、そのまま握りグリップを持っていた右手を放して銃を左側へ下げる。銃は確かに下へ降りたが銃口は上を向いたままであり、何かあれば素早く弾を込められる態勢だ。負い革を手首に巻き付けたのは、何かの拍子にダイアウルフが急に動いても銃を落としてしまわないための、騎兵特有の工夫である。というより、レーマ軍の歩兵用の短小銃マスケートゥムに負い革は付いておらず、負い革は騎兵だけの装備だ。負い革の有無を除けば短小銃は騎兵用も歩兵用も全く同じである。

 ドナートはそのまま鞍の上で身体を起こし、右手を腰に当てて胸を張った。


「話してみろ。」


 ドナートがそう言うと遅ればせながら背後の部下たちもドナートと同じように銃を左手で持って左側へ降ろす。男はそれを見届けると両手を降ろした。


「俺はファド、さる高貴な御方にお仕えしている者だ。

 グナエウス街道を封鎖したいのは、スパルタカシア様の御一行の足止めのためだ。」


「スパルタカシア様だと?」


 ルクレティア・スパルタカシアのことはドナートたちももちろん知っている。スパルタカシウス家はアルビオンニア属州で最も高貴とされる家柄の聖貴族コンセクラートゥムだ。その当主の一人娘となのだから属州領民でその名を知らぬわけがない。ドナートもさすがに面識があるわけではなかったが、式典や公式行事などに出席する父ルクレティウスに伴われた少女の姿を、警備兵の一人として幾度か目にしたことはあった。


「そうだ、スパルタカシア様は祭祀さいしのためにアルビオンニウムへ行っておられたのだが、予定では今日から明日にかけてグナエウス峠を越えてアルトリウシアへお戻りになられることになっている。」


「何故、スパルタカシア様の足止めをする?」


 ドナートはあからさまに胡散臭うさんくさそうに顔をしかめる。聖貴族はこの世界ヴァーチャリアにおいて特別な存在である。《レアル》から文明をもたらした降臨者本人や近しく接した者たちの末裔まつえいとされ、先祖から受け継いだ魔力やスキルをもって世に貢献する存在だからである。ゆえに世俗の体制や支配者が替わっても、彼らの身分は保証され敬われ続けるのが常だ。代わりに、世俗権力からは切り離される傾向がある。

 聖貴族がもしも世俗の権威を欲すれば、俗貴族(聖貴族以外の貴族)はまず対抗できない。聖貴族を盲信する民衆は少なくないし、実際に彼らは魔力という超常の力を行使できる分、その権威は魔力を持たない宗教家などとは比較にならないのだ。が、そうであるがゆえにもしも政道を間違えた場合、取り返しのつかないことになる。聖貴族が世俗権力を手にすれば、その影響力はほぼ絶対的なものとなるからだ。絶対的権力は絶対に腐敗する……批判は許されず、過ちは犠牲によってあがなわれ、誰もブレーキを掛けられない暴走列車と化した国は、社会は、絶望的な未来へと突き進むことになる。そうした悲劇は、このヴァーチャリアの歴史では幾度となく繰り返されていた。聖貴族が権力を握った国同士の戦争は、宗教戦争と同じく始末に負えない苛烈なものとなる。

 そうした地獄の現出を防ぐため、聖貴族は世俗権力からは距離を置くのがレーマ帝国では一般的であったし、また俗貴族や民衆の側も聖貴族を政争に巻き込むことを忌避する傾向にあった。にもかかわらずこのファドと名乗った男はスパルタカシウス家の姫君ルクレティア・スパルタカシアを武力をもって足止めしたいという……そこに胡散臭さを感じない貴族や軍人は居ないだろう。


「俺の仕える主人の御友人……この方も大変高貴な御身分の御方なのだが、スパルタカシア様にお会いしたいのだ。」


 ファドはドナートの表情の変化に気づかぬ様子で話を続けた。


「スパルタカシア様御一行は今宵グナエウス砦にご宿泊なされるが、その御方は今ごろシュバルツゼーブルグに居られ、スパルタカシア様御一行とは一日の距離だ。

 だが、その御方は事情があってアルトリウシアには参れん。ゆえにスパルタカシア様がアルトリウシアに御着きになる前に、スパルタカシア様の御一行に追いつくためには、スパルタカシア様の御一行にグナエウス砦にお留まりいただかねばならんのだ。」

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