第1048話 暗中問答

統一歴九十九年五月十日、午後 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



「ふぅーーん……」


 ドナートは暗闇でも分かるほど不満げな表情で溜息をついた。背後の部下たちはバレないようこっそりと、ポケットに手を突っ込んで弾薬包に手を掛ける。

 弾薬包は弾丸と一発分の火薬を一つの紙袋に包んだものだ。銃に弾を込める時はその紙袋を歯で噛み切り、一部の火薬を火皿に、残りを銃口から薬室へ入れる。弾と火薬を別々の容器に入れて、イチイチ順番に入れるよりも装弾作業の手間と時間を大幅に節約できるうえ、油紙に包まれた火薬も湿気からある程度守ることが出来る。

 普段は弾薬盒だんやくごうと呼ばれるバッグにまとめて入れて持ち歩くのだが、そこから取り出すには弾薬盒を手繰たぐり寄せて蓋を開け……と手間がかかり緊急時には反応が遅れてしまう。その上、ダイアウルフを走らせながらだと振動で蓋を開いた弾薬盒から弾が零れ落ちてしまうこともあるため、彼ら騎兵は最初に撃つ二~三発分だけはポケットに入れ、緊急対応や走りながらの装弾作業に備えていた。


「我々はその御方のために何とか足止めする方法を探していたのだが、ちょうどグナエウス街道にダイアウルフが出没しているという噂を聞いた。

 更にレーマ軍の指令書を偶然手に入れてね」


「レーマ軍の指令書だと!?」


 ドナートが胡散臭そうに問いただすと、ファドはドナートが興味を示したと思ったのか、ファドの口調が少し明るくなる。


「ああ!

 それはアルトリウシア軍団司令部トリブニ・レギオニス・アルトリウシイからスパルタカシア様の護衛部隊に宛てたもので、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアがダイアウルフを取り除くまで、スパルタカシア様にグナエウス砦ブルグス・グナエイにお留まりいただくというものだったのだ。」


 ファドはボディーランゲージまで使いだしたが、ドナートの反応は冷淡だった。不満げな表情のままファドをジッと見下ろしている。とはいっても既に人の表情を読み取れるほどの明るさではない。ファドは暗視魔法によってドナートの表情が一応見えていたが、ドナートからはまだ明るさを残す川を背景にファドのシルエットだけが見えているような状態だ。


「その話が本当だとして……」


「本当だとも!」


 ドナートの疑問をファドは咄嗟に遮るが、ドナートは構わず続けた。


「……本当だとして、何故スパルタカシア様に直接お待ちいただくように頼まないのだ?」


「頼んださ。

 だがスパルタカシア様はお待ちくださらない。」


「なら諦めろ。

 スパルタカシア様には、その高貴な御方とやらとお会いする御意思は無いのだ。」


 ドナートはそう言うとダイアウルフの肩を踵で軽く蹴り、愛狼テングルに前進を命じる。テングルがドナートの指示に従って前進を始めると、ファドは広げた両手をドナートの方へ突き出して制止した。


「ま、待ってくれ!!」


 テングルは二歩ほど進んだだけで停止し、不満げにフンッと鼻を鳴らす。


「話をしたいと言ってきたのはスパルタカシア様の方からなんだ!

 その御方はスパルタカシア様の御要望に応える形で御面会をお求めになられておられるのだ。」


「そんな話、信じられるか!」


 ドナートは吐き捨てるように言った。ファドに向けられたドナートの目は、まるで汚物でも見るかのようである。


「本当だ!

 誓って、嘘じゃない!!」


 向きになって反駁するファドにドナートは語気を強めた。


「スパルタカシア様はこのアルビオンニアで最も高貴で最も徳の高い御方だ。

 御父君のスパルタカシウス様が御倒れになられてからは、レーマ留学を中断してお戻りになられたほどの御方だぞ!?

 そのスパルタカシア様がお前の言うような筋の通らぬことをするはずがない!」


「事実だからしょうがない。」


「まだ言うか!?」


 ファドが両手を広げ、肩をすくめながら言うとドナートは声を張り上げた。


「だいたい、お前の言うその御方が真に高貴な御方だというのなら、堂々とお会いになればよいではないか!?

 名も身分も隠してコソコソするなど、おおよそ貴族の行いではない。卑怯者ティミダスのすることだ。

 お前の言うことなど、信用できん!!

 そこを退け!!」


 ドナートがそう言うとファドは腰の剣に手をかけた。


「我が主君を侮辱するのは許さんぞ!?」


 ファドの声に怒気がこもる。その怒気に触発されたのかドナートを乗せたテングルは今にも飛び掛かろうとするかのように姿勢を低くして牙を剥き、唸り始めた。だが常人ならばそれだけでひるむはずのダイアウルフの威嚇を受けても、ファドは剣の柄を握ったまま構えを崩さない。

 そのまま睨み合っているとドナートの背後からもダイアウルフたちの唸り声が次々と上がり始めた。ドナートはその唸り声に背中を押され、自信を得たのか余裕を見せ始めた。低い声で囁くようにファドを挑発する。


「お前の主君とやらが、真に身分卑しからぬ者ならば、堂々と名乗りをあげればよいだけだ。

 名乗りをあげず身分を隠してコソコソするような奴は、レーマ帝国では貴族とは認められん。」


 ドナートは別にレーマ貴族というわけではない。レーマ帝国では蛮族とされるハン族の戦士であり、彼の文化や価値観はハン族のそれだ。だが、彼もハン族がレーマに敗北し、ハン支援軍アウクシリア・ハンとしてレーマ帝国軍に組み込まれてから生まれ、レーマの気風の中で育っている。レーマ貴族がどういうものか、その名誉の在り方についてはそれなりに理解があった。

 レーマ帝国での貴族に求められるのは、常に堂々としていることだ。公明正大であることだ。男は男らしく、女は女らしくあることだ。ゆえに、レーマ貴族の男たちはドナートが言ったように身分を隠してコソコソすることは許されない。恋愛も正々堂々とすることが求められ、恋人と交わす恋文でさえ世間に公表してしまうほどである。愛人との付き合いも、隠そうとはしないくらいだ。

 そうしたレーマ貴族の価値観、常識に照らし合わせると、ファドの言う事情は到底納得できるものではない。ドナートの言うように、正々堂々と会いに行けばいいのだ。身分を隠してコソコソと密会しようなど、レーマ貴族にあるまじき卑怯な行いでしかないのである。

 ファドはレーマ帝国の生まれではない。ムセイオンのある中立地帯、ケントルムの街で生まれ育っている。だが、それでもレーマ帝国貴族がそう言うものであるという程度のことは知っていた。だから反論できない。ギリッと悔しそうに歯ぎしりし、ドナートを睨みつける。


「だいたいだな、お前の話がでっち上げで、お前の言う高貴な御方とやらが本当はスパルタカシア様に害をなさんとする賊だったらどうなる?

 我々は賊をたすけ、スパルタカシア様に害をなすことになるではないか!?」


「賊だと!?」


 よりにもよって賊呼ばわりされたことに驚いたファドは頓狂とんきょうな声をあげた。ドナートは攻守逆転を確信し、気を大きくして続ける。


「ただでさえ我々はレーマにのだ。

 ここでスパルタカシア様に何かあれば、このを解く機会を永遠に失ってしまうではないか!?

 そのような真似などするわけにはいかん。」

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