第1049話 交渉決裂
統一歴九十九年五月十日、午後 - グナエウス峠山中/アルトリウシア
ドナートはイェルナクの考えた、正直自分自身どうかと思うような筋書きに従って強弁した。
ハン族は、
ハン支援軍とその将兵……ハン族ゴブリン兵と長らく接触のあったアルトリウシアの住民たちからすれば失笑ものであろう。それはドナート本人にとっても同じだ。彼らハン族ゴブリンは、レーマ人に、特にアルトリウシアのホブゴブリンたちに対して不満を募らせていた。何かとハン族を、ゴブリン兵を見下し、馬鹿にし、無理難題を押し付けて要らぬ犠牲を強いる悪党ども……彼らと共にいたのではハン族は遠からず絶滅させられてしまう。そうした不満、恐怖、危機感が募りに募り、臨界点にまで達したからこそ、彼らは蜂起したのだ。
アルトリウシアの住民たちも、そしてドナートたちハン族将兵も、共に「そんな馬鹿な」と笑い飛ばしたくなるような
現に今、突然彼らの前に現れ、一方的にドナートたちを、ダイアウルフたちを利用しようとしたファドと名乗る男は、ドナートの嘘に
「ファドと言ったな?
お前の言ったことが本当で、お前の仕える高貴な御方とやらが実在するのであれば、帰って伝えるがいい。
貴方様は高貴な身分にふさわしく高貴に振る舞うべきだと。
身を隠してコソコソと人目を忍ぶような、卑しいふるまいなどすべきではないとな。」
「おのれ、ゴブリン風情が!」
「ゴブリンだろうがヒトだろうが種族は関係ない!
我らは誇り高いハン族の騎士!
ファドは予想外の展開に歯噛みした。
昨夜偶然入手したレーマ軍の通信文にはグナエウス街道に出没するダイアウルフを片づけるまでルクレティア一行は
だが、同じ通信文に
当初、ペトミーたちはダイアウルフを誘導して利用するつもりでいた。テイムして操れるなら確実だがそれは簡単ではない。ペトミーは優秀なモンスター・テイマーだが、彼が
しかしファドの使い魔である《
ところがいざ見つけてみるとゴブリン兵が行動を共にしていた。せっかく見つけた五頭のダイアウルフはゴブリン兵に従属している様子であり、とてもではないが好き勝手に利用できそうにない。ペトミーとファドがテイム・モンスターを使って調べた限りでは、この
ではどうするか?
そこで思い出されたのがファドが仕入れていた噂話だった。ハン支援軍が叛乱したこと、ハン支援軍のダイアウルフが出没していること……そこからペトミーたちは、このゴブリン兵はハン支援軍の騎兵であり、ダイアウルフを使ってレーマ軍にゲリラ戦を挑んでいるのであろうと結論付けた。
ならば協力できる筈!!
レーマ軍の掃討作戦について教え、協力し、叛乱軍が展開しているゲリラ戦を助けてやれば、労せずしてルクレティア一行の足止めを行うことが出来るに違いない!!
そこでファドが見つけたゴブリン兵たちに……ドナートに接触を試みたわけだ。ペトミーはただでさえ聖貴族以外の人間とは口を利きたくないとういのに、相手がヒトでさえない亜人の、それも最下等のゴブリンとなれば近寄るのも嫌だったから、この役目は必然的にファドがやらざるを得ない。
しかし、その交渉は失敗した。
相手はゲリラ活動中の叛乱軍。人目を避けての極秘作戦中なのだから、いきなり姿を現せばいきなりズドンと銃で撃たれてしまう危険性もある。だから姿を隠して接触した。そして交渉を優位に、効率よく進めるべく、相手の事情を知っていることをアピールした。……が、それらは
相手の姿も見えず正体も分からないのに向こうはこちらのことを知っているとなれば、普通なら慎重に消極的になって付け入る隙を見せてしまいそうなものなのに、むしろ強気に突っぱねて取り付く島さえ与えない。
北風がダメなら太陽、鞭がダメなら飴をと、今度は懐柔すべくゲリラ戦を手伝ってやろうと申し出たが、むしろ迷惑がられてしまう始末。彼らがゲリラ戦をやっているというのはこちらの勘違いで、今でもレーマ皇帝に忠誠を誓っているとまで言われてはこれ以上何もできない。ファドは必死に相手に交渉につかせるべく交渉材料を探すが、そんなものは何も持ち合わせてはいなかった。
「用がないならもう行くぞ、ファドとやら。
邪魔だ、そこを
ダイアウルフの上からファドを見下ろしながらドナートは言った。先ほどまでと違い相手の位置がハッキリ分かるからだろう、その態度は毅然としている。
どうする?
このままゴブリンどもを行かせてしまうぐらいなら、いっそここで全員殺してしまうか!?
ティフによって無用な戦闘は禁じられているが、ここは人家からも街道からも遠く離れた山の中。彼らが本当に今でもレーマ軍の一部だとしても他のレーマ軍が応援に駆け付けてくる可能性は限りなく低い。ルクレティア一行は
相手はレーマ軍正規兵だが所詮はゴブリン……まともに戦っても負けはしないだろうし、この暗闇では銃があっても狙いを定めること等できぬはず。実際、彼らはファドが彼らの正面に出て来てやるまで、ファドがどこに居るのか見当すら付けられないでいたのだ。いくら向こう側にダイアウルフがいるとはいえ、戦えば一方的な殺戮になるだろう。それによってダイアウルフは手に入らなくなるかもしれないが、どのみちダイアウルフが見つからなければ代わりにジェットにダイアウルフのフリをさせて暴れさせる予定だったのだ。
……よし、やるか……
ファドの決意が伝わったのか、ジェットの目が赤く光り始める。ジェットの気配の変化に気づいたダイアウルフがわずかに動揺を見せた。それに気づいたドナートの背後の部下たちはポケットの中から弾薬包を取り出し、いつでも袋を噛み切れるようにギュッと握りしめる。
まさに一触即発……というところだったが、火蓋が切られることは無かった。
「ファド!何をしている!?」
しびれを切らしたペトミー・フーマンが、ドナート隊の後ろから姿を現したのだ。
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