第1050話 魔法の炎

統一歴九十九年五月十日、午後 - グナエウス峠山中/アルトリウシア



 その男は突然現れた。声に驚いたドナートたちが振り返った先に、彼らが歩いてきた獣道に、その男は馬に跨乗したまま、ドナートたちの頭越しにファドを見下ろしていた。


 誰だ!?

 いつの間に現れた!?


 周囲には誰も居なかった筈だった。尾行されればダイアウルフたちが気づいたはず。おまけにプチェンが一回りして付近に誰も居ないのを確認していたのだ。それなのにファドとかいう得体の知れない男の接近を許し、更に一人の接近まで許してしまった。ハン族一の精鋭部隊が聞いて呆れる、何という為体ていたらく

 だが、彼らに落ち度があったわけではない。その証拠に驚いているのは彼らゴブリン兵だけではなく、彼らの最も頼りになる相棒……ダイアウルフたちも背後からの謎の男の登場にかなり驚いていた。一番後ろについてきていた負傷したダイアウルフなど、さっきまで痛そうに怪我した片足を引きずるように歩いていたくせに、背後に突然馬に乗った男が現れたことに驚いたのか、怪我の痛みなど忘れてしまったかのように獣道から脇の笹薮に飛び込み、慌てて仲間たちの方へ逃げてくる始末だ。

 ダイアウルフに気づかれることなく近づくなど、ダイアウルフを知り尽くしたドナートにも出来ない。それなのにこの男は平然とやってのけている。しかも馬に乗ったまま……


 この男、魔法でも使たのか!?


 愕然とするドナートたちを無視して馬上の男、ペトミー・フーマンは面倒くさそうに尋ねる。


「コイツラのダイアウルフを使わせてもらうんじゃなかったのか?」


「申し訳ありません、我が主マイ・ロード

 それが、こちらの想定とは色々違っておりまして……」


 なんだ、何を話している?!

 ラテン語じゃないってことは、コイツらレーマ人じゃないのか?


 ペトミーとファドは英語で話していたが、ドナートたちは英語は解さない。ハン族の多くのゴブリンにとってはレーマ帝国での標準語であるラテン語ですら何とか日常会話が出来る程度の外国語であり、ドナートのように日常会話どころか軍務に支障のないくらいに流暢に話せるゴブリン兵は限られている。その彼らにとって英語はまったく未知の言語で、存在自体は話に聞いたことがあったが見聞きするのは初めてのことだった。当然、二人の会話はドナートたちには聞き取れない。

 状況を把握できないドナートたちを無視してペトミーとファドの会話は続いた。


「想定と違う?」


「はい、我が主マイ・ロード

 その……てっきりコイツらは叛乱軍で、レーマ帝国に対してゲリラ戦を仕掛けているものと思っていたのですが……」


「違ったのか!?」


ドナートコイツが言うには彼らは叛乱を起こしていないそうです。

 陰謀にめられ、精神支配を受けた者たちに襲われ、仕方なく戦っただけだと……やむなくアルトリウシアから逃げ出して叛乱軍の汚名を着せられているが、彼らの忠誠は未だにレーマ皇帝のものなのだとか……」


「何だそれは……聞いていた話と随分違うじゃないか……」


 ペトミーは口をへの字に曲げて顔をしかめ、ドナートたちを見渡した。


「それじゃコイツらはレーマ軍なのか?」


 『勇者団』ブレーブスは現在、レーマ軍と敵対してしまっている。ドナートたちが叛乱軍なら、そのレーマ軍に敵対する者同士で協力し合えるかもしれないと期待するからこそこうして接触を試みたというのに、彼らがあくまでも正規のレーマ軍だというのならペトミーはわざわざ敵中に姿を現した間抜けということになってしまう。戦闘はなるべく避けるということになっているが、さすがにペトミーもここで大人しく捕まってやるわけにはいかない。相手はゴブリン四匹とダイアウルフ五頭……ペトミーとファドなら余裕だろう。ゴブリンたちは未だ銃に弾も込めてないのだ。ジェットをけしかけ、ゴブリンたちが混乱している間にペトミーがモンスターを召喚して攻撃させる。ファドとペトミーは一旦離れつつモンスター達が取りこぼした獲物を仕留めればいい。


 何を使う?

 森の中じゃ翼のあるモンスターは実力を発揮できないな……

 この程度の敵相手に無駄に魔力を食うようなモンスターは使いたくないし、かといってこの寒さも考えると……


 ペトミーが頭の中でドナートたちを殺すためのテイム・モンスターを選びはじめているのも知らず、ドナートたちは混乱した様子でペトミーとファドを交互に見比べ、何とか状況を見極めようとしていた。


「はい、我が主マイ・ロード……

 ただ、叛乱軍の疑いをかけられているのは事実らしく、どうもレーマ軍の指揮下からは離脱しているようです。」


「じゃあ、何でコイツらはこんな所にいるんだ?」


「逃亡したダイアウルフを捕まえに来たのだそうです。

 それで見つけて、捕まえて、ちょうど帰るところだと……」


「おいっ!」


 突然現れて自分たちを無視して勝手に会話を始めたペトミーとファドに苛立いらだちをつのらせたドナートが割り込んだ。


「さっきから何を話している!?

 我々の邪魔をする相談ならタダじゃ置かんぞ!?」


 ドナートの声はわずかに怒気をはらんではいたが、相手を威圧するというよりは声の届きにくい遠くの相手に確実に聞こえるように声を張ったような声色だった。しかしドナートの苛立ちと不安が鞍を通して伝わったのか、ドナートの愛狼テングルもわずかに身を屈めて低く唸り始める。それが他のダイアウルフたちにも波及し、川から聞こえるせせらぎの音に五頭分のダイアウルフの唸り声が混ざり始めた。

 普通ならダイアウルフ五頭に睨まれ唸られれば怖気づきそうなものだが、ペトミーを乗せた馬がわずかに動揺を見せたものの、ファドもペトミーも気にする様子はない。それどころかペトミーは実に不快そうにドナートを見下ろした。もっとも、その様子は既に真っ暗になっているためドナートたちの目には全く見えない。


「オイお前!

 何を話していたか分からんがマイロードとか呼ばれていたな!?

 それがお前の名前か!?」


「よせっ!」


 唯一、暗視スキルによってペトミーの表情を見て取ったファドが咄嗟にドナートを制止する。


「その御方こそ俺の主人ドミヌス・メウス

 “マイ・ロード”というのは名前でない!

 “ドミヌス・メウス”を英語で“マイ・ロード”というのだ!」


 ペトミーの正体を隠すためにあえてその名を呼ばず、我が主マイ・ロードと持って回った様な呼び方をしていたのだが、無教養なゴブリン兵の誤解を招いてしまったようだ。


「コイツがお前の言う高貴な御方だと!?

 笑わせるな!

 真に高貴な御方とやらが、こんな山中に供も連れずに現れるものか!」


 不味まずい、この馬鹿に余計な口を利かせては!!


「馬鹿を言うな!」


 ファドが珍しく声を荒げる。


「今は身元を隠し、お忍びで来られておるのだ!

 お前ごときが直接口を利いて良い御方ではない!!」


 ペトミーはゲイマーゲーマーの血を引く聖貴族、しかもハーフエルフである。ここ数日やり合っている化け物としか思えない精霊エレメンタルたちにはさすがに劣るにしても、ひとたびその力を解放すれば大変なことになりかねない。人里離れた山中だから周囲に及ぼす被害などは大したことは無いだろうが、それでもせっかく気配を消してアルトリウシア領内に潜入しているのに、ここで山火事の一つでも起こせばその苦労も水泡に帰すだろう。グナエウスでのルクレティアとの交渉が首尾よく終わらなければ、『勇者団』はアルトリウシアまで潜入しなければならない。その後のことを考えれば、今ここで不用意にペトミーの勘気に触れ、その力を暴発させてしまうことは避けねばならないのだ。

 そしてペトミーは聖貴族以外の人間を無条件に嫌っている。ヒトを下等な種族だと思っている。そして、啓展宗教諸国連合では亜人をヒトよりも下等な存在と見下しており、種族間の差別の少ないレーマ帝国ではホブゴブリンはヒトと対等に扱われるが、ゴブリンは一段低くみられるのが普通だ。つまり、この世界ヴァーチャリアでもっとも下等とされる種族、その代表ともいえるのがゴブリンなのだ。そんなヒトよりも一段も二段も下等なゴブリンに無礼な口を利かれ、ペトミーが理性を保ってくれると期待するほどファドは能天気ではなかった。

 が、まさかこんなところにムセイオンに居るはずのハーフエルフが居るとは想像すらしていないドナートにファドの危機感など気づけるわけもない。


「ハッ!!」


 ドナートは周囲に響くような声で笑い飛ばした。


貴族ノビリタスなら名告げ人ノーメンクラートルに名を告げさせ、己の高貴さを示すものだ。

 身分を隠し、こんな山中でも人目を避けてコソコソとするような卑怯者ティミダス貴族ノビリタスなわけあるか!」


 卑怯者……それは人に対して決して言ってはならぬ言葉である。最大限の侮辱であり、わずかなりとも自尊心を持つ相手に言えば殺されても文句を言えない。ファドは思わず目をいた。


「そんな俗人どもサエキュラーレスと一緒にするな!!

 この御方は「もういいっ!!」」


 ファドの言葉はペトミーによって遮られた。


 まずい!

 だからあれほど出てこないで下さいとお願いしたのに!!


 ゴブリン相手に話をしてこじれでもすれば、ペトミーが癇癪を起すのは目に見えていた。だからファドはペトミーに出てこないで、交渉は任せるようにお願いして出てきたのだ。なのに話がこじれ、時間がかかりすぎてしまったがためにペトミーがしびれを切らして出て来てしまった。結果、ファドの危惧した通りになってしまっている。


「お待ちください我が主ドミヌス・メウス!!

 この者はただ愚かゆえに貴方の高貴さが分からないのです!」


 今度はファドはドナートたちにも分かるよう、あえてラテン語でペトミーに訴えた。


「お、愚かだと!?

 きさ……!?」


 あまりの言葉にドナートは憤慨する。が、彼はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。急に辺りが明るくなったからだ。


「「「「「!?」」」」」


 全員が明るくなった原因を確かめるべくペトミーへ視線を送り、そして言葉を失った。ペトミーが高く掲げた手の平の上で、空中に眩いほどの炎の球が燃え上がっていたからだ。

 その光に照らされたペトミーの端正な顔が、怒りによって醜く歪んでいる。


「愚かゆえに分からないというのなら、どんな愚か者でも一目でわかるようにしてやろう!!

 この俺の魔力の炎で焼き尽くされるがいい!!」

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