第199話 説得

統一歴九十九年四月十七日、夕 - マニウス要塞陣営本部・応接室/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニ陣営本部プラエトーリウムにある応接室タブリヌムではルキウスがルクレティアを慰めるとともに、一つの説得をしようとしていた。

 ルキウスとしては、リュウイチの御傍には身近な誰かに付いていて欲しい。あまりにも強大すぎて力ではどうにも制御できず、また財産も膨大すぎて物欲でも制御できず、同時に酒や麻薬なども効きそうにない降臨者 《暗黒騎士リュウイチ》の暴走を防ぎ、可能な限りその行動を抑制させたい彼らにとって、残された手段はリュウイチの近辺に女を送り込む事だけだからだ。

 そして、実際に近辺に送り込むことができていて、なおかつ以前から交流のあるルクレティアはルキウスにとって最善にして唯一のカードなのだ。たかが娼婦一人が現れたくらいで挫折されてはたまったものではない。

 ルクレティア自身にとっては個人的な憧れが成就するかどうかという問題にすぎないにしても、ルキウスにとっては所領の、ひいてはこの世界ヴァーチャリア全体の問題に直結する一大事なのである。

 ルキウスはまずルクレティアに挫折から立ち直ってもらい、その役目を果たしてもらわなければならないのだった。



「でも・・・彼女リュキスカにはわ。」


「ん、んん・・・だからそれは彼女リュキスカが娼婦だから。」


「娼婦でも、降臨者様の以上は聖女として扱うのでしょう?」


 手が付いた以上、降臨者の子を産むかもしれない。

 降臨者の血を引く子供は一様に強い魔力と精霊エレメンタルとの高い親和性を獲得している。魔法が使えるというのは確かに魅力的だが、さほど重要ではない。より重要なのは精霊を使役できるという点にある。


 この世界ヴァーチャリアの発展を阻む最大の障害・・・それは精霊エレメンタルの存在だった。《レアル》世界には存在しないがこの世界ヴァーチャリアには存在する精霊エレメンタルは、《レアル》世界の文明・・・特に科学技術を受け入れる上で障害になり続けた。

 鉄、ガラス、陶磁器・・・そうしたモノを生産するために必要な強力な炎を使おうとすると、その炎に《火の精霊ファイア・エレメンタル》が宿って暴れ始めてしまう。それを防ぐには《火の精霊ファイア・エレメンタル》に魔力を供給して制御下に置かなければならない。


 現在、世界各地に存在する聖貴族コンセクラトゥム(降臨者の血を引く一族)の役割は鉄や陶磁器、ガラスといった、加工に高温を要する様々な物の生産に寄与することだった。中でも特にゲイマーガメルの血を引く聖貴族コンセクラトゥムは高い魔力を誇り、各国の鉄生産には無くてはならない存在となっている。高い魔力を有する聖貴族コンセクラトゥムをどれだけ確保できるかは、その国の国力に直結する重大な問題だった。

 だから聖貴族コンセクラトゥムは、特にゲイマーガメルの血を引く者たちはどの国でも非常に大事に扱われ、同時に厳重に監視されてもいる。血が薄くならないよう、結婚相手も慎重に選ばれており、聖貴族コンセクラトゥムの恋愛結婚は事実上あり得ない。下手な相手と子供を作って血が薄くなれば、それだけ魔力の低い子が生まれてしまい国力の低下へとつながっていくからだ。


 そんな世界であるからこそ、血の濃い聖貴族コンセクラータ、そして降臨者本人の手が付いた女性は「聖女」と呼ばれ、聖貴族コンセクラトゥム同然の扱いを受けることになる。

 それが今回は強大無比な《暗黒騎士ダークナイト》だ。たとえその相手の女性が聖貴族コンセクラータではなかったとしても、生まれてくる子供が並の聖貴族コンセクラトゥムをはるかに凌駕する魔力を持っているであろうことは疑いようがない。



「ん・・・まあ、な・・・」


 ルキウスは否定する事が出来なかった。


ルクレティア、リディア様になりたかったけど、メデナ様になったのね。」


 リディアはルクレティアの先祖であり、降臨者スパルタカスに娶られた聖女である。メデナも降臨者スパルタカスに仕えた聖女であり、当初は最も最初にスパルタカスに巫女として仕え、お手が付いて一番最初に聖女となった女性だ。しかしその後、巫女として仕えたリディアにスパルタカスの心が移り、お手が付いてメデナと同じくリディアも聖女となる。以後、二人はライバル関係になり、リディアが少女漫画や乙女ゲーのヒロインなら、メデナは悪役令嬢のような位置づけになった。


 メデナは決して悪女だったわけではないが、真面目過ぎたためにスパルタカスの身の回りの世話を焼く者たちにキツく当たりすぎるところがあった。そんなメデナからスパルタカスの心がやがて離れていく。焦るメデナは後から聖女となって男の子を出産したリディアに嫉妬し、対立し、あろうことか暗殺を企てて逆に殺されてしまったと言い伝えられている。

 実際は事故死だったとも病死だったとも伝えられるが、降臨者スパルタカスの愛を得ようとして得られなかった不幸な女性として言い伝えられている点では変わりない。


 ルキウスは溜息をついた。


「ルクレティア、それは違うよ。

 先に巫女として仕えたのは確かにルクレティアかもしれない。

 先に方がメデナ様だというのなら、ルクレティアは今でもリディア様のままだ。

 一人しか聖女になれないというわけでもないし、チャンスはまだある。」


「でも、ルクレティアは選ばれないわ。

 私の何が至らないのかしら・・・」


 ルキウスは茶碗ポクルムに残っていた香茶を一気に飲み干すと、話すべきではないと思っていた事を打ち明ける事にした。


「ルクレティア、ルキウスは一度リュウイチ様に訊いたことがあるのだ。

 ルクレティアを巫女としてどうですか?・・・とね。」


 先ほどまでうつむいていたルクレティアが顔をあげる。


「悪い子じゃないとは言っていたよ。

 その言い様からは、ルクレティアの事を憎からず思っているようだった。

 ただ、若すぎると言っておられた。」


 ルクレティアはいつの間にか丸めてしまっていた身体を伸ばし、訴えかけるように言った。


「わ、私は確かにまだ十五ですが、もうすぐ十六ですよ!?」


 レーマ帝国では一般的に十六歳で成人とされ、レーマ貴族の娘は十五歳の内に結婚相手を決めて十六歳の内には結婚してしまうのが慣例だった、実はルクレティアもいくつか縁談を抱えている身だ。


「知っているとも、ルキウス君の父上ルクレティウスとは子供のころからの付き合いだからね。ルクレティアの縁談についても相談を受けたことがあるよ。」


「なら、どうして!?」


「リュウイチ様の御国では、成人年齢は十八歳らしい。

 そして、十八に満たない娘に手を出すと罰せられる法律があるのだそうだ。」


 ルキウスの説明にルクレティアは愕然とした。


「こ、ここは《レアル》ではありません。《レアル》の法に従わなくても・・・」


 ルクレティアの予想通りの反応にルキウスは優しく微笑みながらかぶりを振る。


「生まれ育った慣習から外れる事は、なかなか抵抗があるものなのだろうよ。」


「そんな・・・」


 手を付けてもらえない理由は分かった。だが、それは十八まで待たねばならないという事でもある。あと二年・・・あの娼婦には手が付けられているのに、自分は二年もの間、待ち続けなければならない。

 そんなに待っていたら、他の女たちに更に横入りされていくであろうことは目に見えている。チャンスが無くなったわけでは無いというのは確かにそうだが、だが同時にチャンスがとてつもなく遠いところにあると知らされたような気になった。苦労して登った山の頂で、ホントのゴールはあっちだよと地平線にポツンと見える山を指示さししめされたような、そんな絶望にも似た感覚が襲って来る。


「ルクレティア、よくお聞き。

 ルキウス侯爵夫人エルネスティーネも、そして君の父上ルクレティウスも、リュウイチ様の聖女にはルクレティアにこそなってほしいと思っているのだ。」

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