第200話 新たな聖女

統一歴九十九年四月十七日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



「では、ルクレティアは残っていいのだな?」


「はい養父上ルキウス、リュウイチ様はとおっしゃいました。」


 庭園ペリスティリウムの真ん中にある噴水の傍で声を潜めて話をしているのはルキウスとアルトリウスだった。


「ふむ、それは良かった。

 ルクレティアを説得した甲斐があったというものだ。

 一時はどうなるかと思ったが、今回の一件で彼女の立場はむしろ、より向上したと言って良いだろう。」


「巫女見習いから聖女候補へ?」


「そうだ。それでいいのだろう?」


「将来必ずルクレティアを抱くとまでは約束されませんでした。

 しかし、彼女がそのつもりであり、それを承知で傍に置くと約束されました。」


十分じゅうぶんではないか。事実上、内諾をとれている。

 あとは、新しい聖女様リュキスカだ。」


「どうなさるおつもりですか?」


「どうもせんよ。リュウイチ様は手元に置くつもりなのだろう?

 我が領民から聖女が出たというのは喜ばしいことでは無いか。」


「しかし彼女は平民プレブス、それどころか貧民パウペルの娼婦です。」


「この際、出自などどうでもよい。」


 ルキウスは鼻で笑うように言った。

 生まれながらにして強大な力を持った子供はよほど教育に気を使わねば確実に歪んだ人格の持ち主に成長してしまう。なので聖貴族コンセクラトゥム、特にゲイマーガメルの血を引く強力な貴族の子弟の教育には優秀な人材があてがわれる。それにはそれこそ国際的な協力態勢が整えられており、世界に残された百数十名のゲイマーガメルの子供がムセイオンを中心に世界最高水準の教育を受けていた。

 その教育システムではそれこそ実の親の悪影響を極力排除するよう、教育スタッフは子のみならず親をも監視と教育の対象としている。必要とあれば親と子を引き離す事もいとわないし、最悪の場合、親を暗殺してしまう事すらある。その体制下では実の親の出自など、大した影響力は持たない。


「子を残すというだけならばそうですが、今後彼女が聖女として貴族ノビリタス連中と接する事を考えると、色々トラブルの元になるかもしれません。」


 生まれてくる子供の事しか考えていないらしいルキウスに少し呆れながらアルトリウスはたしなめた。


「所作振舞いか・・・だが、今日明日という問題でもあるまい。

 レーマから返事が来るまで最低でも二月ふたつき以上はかかるだろうし、他所から貴族連中が来るとすれば半年以上は先だ。

 今からでも身に着けていただこう。」


「それを誰にやらせるかですが・・・」


「ルクレティアでは無理か?」


 一番手っ取り早いところにいるのはルクレティアだ。降臨の事実を既に知っていて降臨者リュウイチと共に生活もしている。生まれからして上級貴族パトリキであり、聖貴族コンセクラータだから礼法についてはむしろ権威と言って良い。中退したとはいえレーマへの留学経験もある。


「本人の心情的にどうでしょうか?」


 アルトリウスは顔をわずかにしかめ、溜息をつきながら答えた。

 今しがた失恋し失意に沈むルクレティアに、その恋敵を助けるために教育を施せなどというのはあまりにも無神経すぎる。


「できなければ侯爵夫人エルネスティーネにでも相談する他あるまい。」


 もちろん、エルネスティーネ本人にリュキスカの教育をやってもらうという意味ではなく、エルネスティーネの配下の中から教育係を派遣してもらうという事だ。

 教育するだけでいいなら選択肢は少なくないしルキウス自身も心当たりがあるが、機密保持の都合も考えると人選は誰でもいいというわけでは無くなる。貴族の礼法の心得があり、教育を施せる人物。それでいて、でなければならない。その条件が付帯するとルキウスの手元の人材では誰一人として適合しなくなってしまう。


養母上アンティスティアはどうです?」


 平民プレブスの商家出身のアンティスティアはルキウスに嫁ぐことが決まってから礼儀作法を習った。今でもそっちの方の勉強は怠っていないらしく、彼女は周囲にそれなりの人材を抱えている。

 だがルキウスはかぶりを振った。


アレアンティスティアはまだ巻き込みたくない。

 いずれにせよ、ルキウスは今日は帰ることにしよう。」


「本当に帰るのですか?」


「事が事だ。さすがに侯爵夫人エルネスティーネに報告せねばなるまい?」


「今日は早馬だけ出して、養父上ルキウスの報告は明日でもよろしいのでは?」


「早馬は出すが・・・いや、やはり帰るよ。

 さもないと向こうエルネスティーネがこっちに来てしまうかもしれない。」


「・・・・・?

 来てもらっても構わないと思いますが?」


「いや、どうも今朝から御子息カールが体調を崩されているらしいのだ。」


 カールは元々病弱で体調を崩すのは珍しくない。日常茶飯事と言って良い。にもかかわらずルキウスがこうも気遣うとなると、深刻な事態が起きていると想像せざるを得ない。アルトリウスは思わず眉をひそめた。


「思わしく無いのですか?」


「よくわからんが、いつものヤツとは違うらしい。

 しばらくはティトゥスから動かさん方が良いだろう。お前アルトリウスも心得ておいてくれ。」


「なるほど、わかりました。

 では、お夕食ケーナも食べずに?」


夕食ケーナの後で出たのでは、ティトゥスに着く前に寝る時間になってしまうだろう?

 さすがにそんな無礼は働けんよ。」


「そうですか・・・それは残念です。

 今日は良い白鳥が手に入ったと料理人が張り切っておりましたのに。」


「ふっふっふ、それはまたの機会にしよう。

 だが、私の代わりに食べる口があるではないか?」


新しい聖女リュキスカですか?」


「ほかにはおるまい?」


「それで頭を抱えているのですが・・・」


「何だ?」


「今後の食卓です。

 彼女はどうすべきか・・・」


「食卓?」


 レーマ帝国では家族だけで食事を摂る場合はともかく、家族以外と一緒に食事を摂る際は男女で別れるのが普通だ。今でもリュウイチとルクレティアは別々に食事を摂っている。

 また、主人が身分の異なる者を主賓として招いた場合は例外だが、基本的に身分の異なる者同士で同じ食卓を囲む事もない。


 本来であれば平民プレブスであるリュキスカは主賓として招かれでもしない限り、貴族ノビリタスと同じ食卓に付くことなどまずあり得ない。しかし、いるリュキスカは既に「聖女」なので、上級貴族パトリキとして扱わねばならないだろう。

 聖女となったリュキスカをリュウイチの家族として扱うのであれば、リュウイチとリュキスカは同じ食卓を囲み、ルクレティアは別の食卓で食事をする事になる。いや、それどころか下手するとリュウイチとリュキスカの食卓でルクレティアが給仕を務めることも考えられる。・・・が、それはルクレティアの心情を察するアルトリウスとしては避けたい。

 リュウイチの家族として扱わないのであれば、リュキスカは上級貴族パトリキの女性として扱う事になるのだからルクレティアと同じ食卓を囲ませることになるだろう。


「ルクレティアと一緒に食事させるわけにもいかんでしょう?」


 リュキスカはどうか知らないが、ルクレティアとしては面白くないに違いない。ルクレティアからすれば順番待ちの行列に横入りされたようなものなのだ。その相手と一緒に食卓を囲んで平気でいられるとは思えない。


食堂トリクリニウムはこの陣営本部プラエトーリウムだけで十部屋もあるんだ。

 面倒なら別々の食堂トリクリニウムで摂って貰えばいいだろう。」


「そうなりますか?」


「一緒が無理なら分けるしかあるまい。

 だが、いつまでもそれでは困るな。」


「はい。」


「いずれにせよ、新しい聖女様リュキスカも把握せねばなるまい。

 仲を取り持つにしろ、距離を保たせるにしろ、人柄が分からねば扱いようもわからんからな。」


 ルキウスはアルトリウスを見やり、言外げんがいに「わかっているな?」と問いただす。


「心得ております。」


「早いうちに、侯爵夫人エルネスティーネもお会いになるだろう。

 もしかしたら明日早速と言う事になるかもしれん。」


「大丈夫ですか?」


「何がだ?」


「その、礼儀作法も弁えぬであろう者を」


「それを気にされる御方ではない。」


 エルネスティーネとて平民プレブスの商家の生まれである。嫁入り前に伯爵家の養子となって貴族としての礼法を学び、アルビオンニア侯爵家に嫁いだ身だ。生粋の貴族と違ってその辺はかなりな寛容さを示す傾向があった。

 それは彼女の特筆すべき美徳の一つだったし、ルキウスがエルネスティーネに好感を抱く理由の最たるものでもあった。


「御本人はそうでしょうが・・・」


「周囲の目か?

 公式にお会いになるわけではないからその心配はいらんだろう。」


「そう言えば・・・」


「何だ?」


「実はリクハルド卿に彼女の無事を確認させるよう約束させられておりまして、彼女をティトゥス要塞カストルム・ティティへ送る際に人に見せたいのです。」


 普通に考えればリクハルドかラウリとどこかで面談させるのが一番だろう。だが、それでは会話を通じて何か情報を引き出されてしまうかもしれない。既にある程度の情報が漏れてしまっているとはいえ、これ以上の機密漏洩は避けたいアルトリウスとしてはそのような方法を採りたくはない。

 そこで、リクハルドに情報をリークさせて、馬車で通過する際に道端から確認させようとアルトリウスは考えたのだった。これなら彼女が無事であることは確認できるし、なおかつ彼女と不必要な会話をさせて秘密が漏れる可能性を極限できる。


「ふむ、致し方あるまい。

 となれば、子爵家ウチの乗り物を使うわけにはいかんな。」


アルトリウスのを使います。

 私は既に関わってるのがバレてますから。」


「そうしてくれ。あと、念のため護衛もしっかり、な?」

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