第716話 虜囚の二人

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ ブルグトアドルフ/アルビオンニウム



 尋問を終えたアーノルド・ナイス・ジェークはそのままサウマンディウムまでの移送の予定と、その間の注意事項の説明を受けた。

 ナイスは移動中、特に縛られたりなど拘束されたりはしない。その代わり、逃げようとしたり暴れようとしたりすると、《地の精霊アース・エレメンタル》から攻撃されるかもしれないと注意を受けた。また、ここから先はシュバルツゼーブルグやアルトリウシアなど、人目の多い市街地を通過することになるため、ムセイオンから見分を広めるために旅に出ている遍歴の学士として扱うので、ナイスもそのように振る舞うこととする。ただし、ゲイマーガメルの血を引く聖貴族コンセクラトゥスだと知られると騒ぎが大きくなってしまうので、その点は伏せなければならない。


 こうした処遇について、ナイスは特に不満を抱くこともなく承諾した。不平を言ったところで待遇が改善される可能性は無かったし、逆らったところで愛弓アイジェク・ドージを始め装備品をことごとく取り上げられたナイスには本来の力を発揮することなどできない。仮にすべての装備品が揃って万全の態勢を整えていたとしても《地の精霊》にはかなうはずもなかったからだ。

 だが先に捕虜になったジョージ・メークミー・サンドウィッチが早い段階でルクレティアの説得を受け入れ、降臨はもちろん脱走や反抗までも諦めてしまったのに比べ、ナイスはまだ諦めきってはいなかった。


 今はしょうがない。まずはルクレティア・スパルタカシアって奴に会って、その実力と《地の精霊》との繋がりをハッキリさせてやる。それが知れれば弱点や隙を見つけることもできるだろう。

 そして、取り上げられた装備品の在処ありかを調べ、脱出の機会を探るんだ……。


 カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子やアロイス・キュッテルに対し従順に礼儀正しく振る舞い、話せることはすべて話しながらも、ナイスは腹の底ではそのように考えていた。

 ナイスの内心について、カエソーやアロイスもまったく気づいていないわけではなかった。ナイスの演技は完ぺきに近いものがあり、表情や言葉遣いにナイスの内心を臭わせるような手掛かりがあったというわけではなかったが、それでもナイスの態度の急変はすぎたのだ。

 昨日の反抗的な態度、武器が無くても繰り出せる攻撃手段マジック・アロー、そして愛弓アイジェク・ドージに対する執着……魔力欠乏の症状に苦しみながらもあのような尖がった反骨精神を見せつけた人物が、たった一度 《地の精霊》にねじ伏せられた程度で簡単に諦めるわけがない。むしろ、今のナイスの態度を信じる人物がいたとしたら、そいつの方がおかしいのだ。


 だが今は、少なくとも信じた振りをする他ない。疑心を露わに警戒し続ければ、今後互いの信頼関係を醸成じょうせいすることなど夢のまた夢となるであろうし、少なくとも信じている振りをしている限りは、ナイスの方も信用に足る人間を演じ続けるであろうからだ。

 このままシュバルツゼーブルグやアルトリウシアを通過するにあたって、穏便にやり過ごし、かつ秘匿を守り続けるにはどのみちメークミーとナイスの協力は必要不可欠なのだ。それにカエソーに協力して自身の身分を秘匿し続けることができれば、それはナイス自身にとっても、そしてまだ捕まっていない『勇者団』ブレーブスのメンバーたちにとっても利益になるはずなのである。


 ここアルビオンニアでムセイオンを脱走してきた聖貴族が盗賊どもを率いて暴れている……そんな話が広まれば彼ら自身にとっても一大スキャンダルであろうし、『勇者団』もアルビオンニアで活動がしにくくなってしまう。ムセイオンからのもどうなってしまうか分かったものではない。本来なら穏便に秘密裏に回収されるはずが、大々的に討伐部隊が差し向けられるようなことになってはたまらない。

 いくら彼らがムセイオンの聖貴族の中では最強を自負するだけの戦闘力を有するグループではあっても、ムセイオンの聖貴族たちを丸ごと敵に回せるほどの実力があるわけではないからだ。まして、「ママ」こと大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフが本気を出して来たらまず勝てない。


 こうしてナイスの扱いは一段やわらげられ、既に一定の行動の自由を認められるに至っていたメークミーと同等の待遇を受けることとなった。

 ここから先、ナイスとメークミーは見分を広めるためにサウマンディウムへやってきて、たまたまカエソーに付き従ってアルビオンニアに立ち寄った遍歴の学士として振る舞うことになる。

 もちろん、移動にあたってはカエソーと同じ馬車に同乗する。そしてその馬車は、一昨夜の戦闘で大破したものではなく、シュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグから借りた馬車だった。それはシュバルツゼーブルグから本日の未明に送り出され、今日の昼前にブルグトアドルフに到着していた。


「よぉ」


 礼拝堂前の車回しロータリーに案内されたナイスは、先に表へ出ていたメークミーを見つけると声をかけた。


「ナイス!無事か!?」


「まあな……」


 ナイスの声に気づいたメークミーの表情は少し複雑だった。わずかに再会を喜ぶ笑みが滲んではいるが、その表情の大部分は驚愕に占められていた。わずかに頬をほころばせながらも、見開かれた目はナイスを観察しつくそうとするかのようである。

 ナイスが捕まったことはスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルからの報告で知っていたし、治癒を受けて怪我一つないことも知っていたが、それでもメークミーは心のどこかで信じられない気持ちを抱えていた。メークミーが知る限りナイスは優秀なレンジャーで、山や森にかけては右に出る者のないほどのエキスパートだったはずだ。そのナイスが森で捕まったなど、想像がつかなかったのである。


「信じられないよ……君ほどの者がどうして?」


 メークミーとは対照的にナイスの表情には驚きとかそういう要素は全くない。何かあらかじめ全てを知っていたかのような、諦観ていかんにも似たおもむきのある薄ら笑いを口元に浮かべている。


「俺も信じられんよ。

 お前こそなんで捕まったままなんだ?

 スワッグは来なかったのか?」


 メークミーの表情は一瞬で変わった。それまでの表情は消え、急にバツの悪そうな表情に染まる。


「いや、来たよ。

 せっかく助けに来てくれたけどでも、逃げるわけにはいかなかったんだ。」


 ややうつむき加減に答えたメークミーはそういうと口をつぐんだ。目だけを動かし、ナイスの顔と自分の足元とをひっきりなしに視線を往復させる。罵倒されるのに怯えながらもナイスの反応が気になって仕方がない……そんな彼の心理がナイスには手に取るように分かった。

 ナイスとしてもメークミーの事情については見当がついている。どうせナイスがそうだったように装備品を取り上げられ、「ムセイオンで返す」などと言われたのだろう。命と同じくらい大事な聖遺物アイテムを取り上げられれば、彼らゲイマーの子らに逆らう術などあるはずもないからだ。

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