ティフとカエソー・・・暗礁に乗り上げる交渉

第1277話 交渉相手

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



「か、閣下が来た、来やした!」


 ティフはグルグリウスに何か言い返そうとしていたが、結局口を開く前にティフとグルグリウスの二人の時間は終了してしまった。部屋の入り口に控えていたカルスがカエソーの入室を告げたのだ。

 カルスはグルグリウスとティフが入室して以来ずっと部屋の入り口で控えていた。二人の会話はカルスの耳にすべて聞こえてはいたが、残念ながら内容までは分からなかった。二人は英語で話をしていて、カルスには英語が分からなかったからだ。ただ、いくつかの単語は聞き取ることができたし、また二人……特にティフの様子からなにやら穏やかではない様子なのも見て取れた。内容が分からないなりに注意を払っていたのだが、グルグリウスがティフに何か説教じみたことを言い始めた頃になって扉が少し開き、外からカエソーの従兵がカルスにカエソーの到着を告げて来たのだった。

 カルスは自分の仕事を思い出し、グルグリウスにカエソー到着を報告するとすぐさま扉を開ける。すると外からカエソーが来たことをカルスに教えた従兵が入り、名乗り人ノーメンクラートルらしく声高に名乗りを上げた。


サウマンディア軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウス・レギオニス・サウマンディイ、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子閣下、御入~来~!」


 カルスと従兵が入り口に両脇に避けて気を付けの姿勢をとると、カエソーが入ってきた。後ろには何人かの百人隊長ケントゥリオを付き従えており、その中にルクレティアの護衛隊長を務めるセルウィウス・カウデクスも混じっている。そしてその最後にはリウィウスもついてきていた。全員が軍装に身を包んでいる。


 あれ、ヨウィアヌスは?


 カルスはヨウィアヌスの姿が見えないことにいぶかしんだ。ヨウィアヌスはティフが乗って来た馬を厩舎へ連れて行ったはずだ。厩舎まで馬を引っ張って行って馬丁ばていに預けるだけの簡単な仕事なんだから、もう帰って来てなきゃおかしい。偉い人が苦手なカルスは本当は自分がそっちに行きたかったのだ。


 またサボりやがったな……


 心の中で毒づきつつ、カルスは扉を閉めて名乗り人役を務めていた従兵と共に扉の両脇に立った。そこが彼に許された、偉い人から一番遠い位置だったからだ。


「お待たせしましたかな?」


 カエソーの高い声が響くと、何故かティフではなくグルグリウスが「そんなに待っておりませんよ」と答える。ティフは思わずグルグリウスの方を振り返ったが、ティフが口を開く前にカエソーが「さてっ!」と、まるで室内にいる全員を威圧するように大きな声をあげる。


『勇者団』ブレーブスのリーダー、ティフ・ブルーボール二世様で間違いありませんな?」


 ティフはグルグリウスに文句をつけるのを諦め、カエソーに向き合う。


「いかにも、アルビオンニウムでお会いしました、カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス閣下」


 二人は互いに意義を正し、互いの姿を観察する。カエソーの方はティフの姿を闇夜の中で遠くからしか見てなかったのでボンヤリとしか憶えていなかったが、ティフの方は暗視魔法を使っていたこともあって何となくではあったがカエソーの顔や格好は憶えていた。

 カエソーは燭台が作り出した頼りない明かりの中でも際立って見えるほどレーマの将軍らしい立派なロリカに身を包んでいる。ティフが到着してからカエソーがここまで来るのに今まで時間がかかってしまったのは、この軍装を整えていたせいだった。さすがに軍の代表者としてムセイオンの聖貴族に会うのに素の恰好ではしまらないから仕方ない。

 対するティフの方はというと人目を引かないようにするためだろう、ボロの外套をまとっており、しかもその下は黒っぽくて一見地味な目立たない格好だ。だが、着ている服も履いている革のブーツも服の上から身に着けている革鎧も、細身のティフの身体にピッタリと合っていてダブダブと余った様な余分がなく、俊敏そうな印象を与える。服もブーツも革鎧も闇に溶け込んでしまいそうな黒っぽい色をしているが、腰に下げた二振りの舶刀カットラスは柄と唾が金で出来ていてそれだけがやけに目立って見えた。


 武装はしたままか……大丈夫なんだろうな?


 カエソーがティフの背後に立つグルグリウスに視線を送ると、グルグリウスは薄く笑ってコクリと頷いた。


「さて、交渉をと聞いておりますが、『勇者団』ブレーブスを代表しての交渉ということでよろしいでしょうか?」


 カエソーが口火を切ると、ティフは憮然とした様子で答える。


「その通りだ。

 私としてはルクレティア・スパルタカシア嬢と面会するつもりだったのだが?」


 それはグルグリウスによって一度否定された要求ではあったが、ティフはあえてカエソーにもぶつける。お前なんかお呼びじゃない……それを示すことで相手に後ろめたさを感じさせ、少しでも優位に立とうという戦術である。


「ハハハ……」


 だがカエソーは冗談でも聞かされたかのように笑った。ティフの牽制などカエソーからすれば取るに足らない。

 牽制なんてものは、相手に無視できない力か、あるいは都合の悪い道理を示して初めて牽制としての機能を果たすのだ。しかしティフには《地の精霊アース・エレメンタル》とグルグリウスの援護を受けたカエソーを圧倒できる力など持ち合わせてはいなかったし、ましてやルクレティアに合わせろなんて道理の通らない要求などが牽制として役に立つわけもない。


ティフブルーボール様をルクレティアスパルタカシア様に合わせて良いかどうか、それは私の方で判断させていただきます。

 まあおかけください」


 カエソーはティフの言葉を笑って流すと着席を勧めた。が、ティフはあえて座らずに立ったままふんぞり返って腕を組む。


「ふむ、閣下と交渉して我々の目的が達せられるのか疑問だな。

 我々が本当に交渉したい相手は《地の精霊アース・エレメンタル》、そしてアルビオンニアで我々があった精霊エレメンタルたち……それらを使役する人物だ。

 私はルクレティアスパルタカシア嬢との交渉こそが、その人物との接点を得る第一歩だと考えている。

 閣下と交渉してその人物との接点を得られるのか?

 それとも閣下こそがその人物だったりするのか?」


 せっかく着席を勧めたのに座らないという無礼を働いたティフにカエソーは愛想笑いを消し、突然始まった演説じみた話を半ば唖然とした様子で聞いていたが、ティフが話し終わるとフフンと溜息とも笑いともつかぬものを噛み殺した。


「私ではありませんとも」


「では、それが誰か存じておられるのか?」


「もちろん存じております」


 カエソーはそう答えると、ティフを待たずに自分が先に着席した。ティフは目を丸くし、腕組みを解いた。


 ティフより先に座るだと!?


 目上の人物を差し置いて椅子に座るなどということはどの国の文化に照らし合わせても礼儀にもとる無礼である。上級貴族パトリキならそれを知らぬはずがない。ティフはハーフエルフの聖貴族で、この世界ヴァーチャリアで最も高貴とされる人物の一人……当然、ティフは目の前の誰かが自分を差し置いて誰かが椅子に座るなどという経験はほとんど無かった。カエソーはあえてそれをやって見せたのである。これは「ティフお前は格下だ」とカエソーに言われたのと同じだった。

 カエソーは素知らぬ顔で従兵にハンドサインを出し、飲み物を出すよう指示する。


「お会いしたこともございますよ。

 もちろん、御話しもさせていただきました。

 ですが、ティフブルーボール様を御紹介することはできませんな。

 それはルクレティアスパルタカシア様でも同じでしょう。

 ティフブルーボール様がどれだけ頼んだところでルクレティアスパルタカシア様がそれにおこたえすることはありませんし、それは私も同じです」

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