第792話 反対多数

統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「タウルス卿!」


 珍しく肩を落として執務室タブリヌムを後にしたフースス・タウルス・アヴァロニクスを呼び止める声が背後から追いかけてくる。声の主はフーススの下で総務長官ケンソルを務める閣僚クルリスの一人、ヒトのウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスだった。そのすぐ後ろには同じく閣僚の一人で近衛軍プラエトリアニを率いる近衛長官プラエフェクトゥス・プラエトリイでホブゴブリンのフラウス・ディアニウス・レマヌスだ。二人は軽く息を弾ませながら小走りでフーススに追いつこうとしているが、重くかさばり、着崩れしやすい正衣トガを着たままではせいぜい早歩き程度の速度しか出せない。


けいらか……どうかしたのか?」


「どうかしたのかではありません。」

しかり、驚きましたぞ!

 いつからあのようなことを?!」


 立ち止まってくれたフーススに追いつくとようやく一息つき、苦笑いを浮かべながら語り掛けてきた。フーススも一応笑い返すが、彼らのと同様苦笑いにしかなっていない。


「ああ、そのことか。」


 フーススが困ったように右手で頭を掻くと、それを合図にしたかのように三人それぞれの脇に控えていた従者たちがスッと距離を置いた。


二十人官ウィギンティウィリを取りまとめねばならない卿がレーマを離れるというのであれば、我々だって準備をせねばなりません。

 事前に相談があってもよかったのではありませんか?」


 ウァリウスの顔は笑っていたが口調は少しばかり厳しい。国勢の管理と共に風俗や綱紀をつかさどる総務長官という彼の役割からすれば当然であろう。

 レーマ帝国は民主主義国家ではない。共和制の象徴とでも言うべき元老院セナートスは存在するが、元老院議員セナートルに決まった任期は無く終身制となっている。おまけに功績に応じて爵位がもらえるのだから、元老院議員は事実上の上級貴族パトリキそのものといって良い。

 しかし、だからといって民意を無視できるわけでは断じてない。不正を行えば弾劾の可能性も十分あるのだし、平議員から閣僚等高級官僚になるためには選挙を受けねばならないからだ。仮にそれが無かったとしても皇帝インペラートルという元老院と異なる権威が存在する以上、市民の支持を失うような真似をすれば元老院は簡単に権威を失い、皇帝の地位を高めることになってしまう。


 では、政権が市民の支持を得るにはどうすればよいか?


 その責任を負っているのがウァリウスだった。風紀を取り締まり、綱紀を粛正するという総務長官の仕事は広報活動とは切っても切り離せない。政権運営がいかにうまく行っているかをアピールするプロパガンダが彼の役目だった。


 百年ぶりに降臨が起きた……それは社会に大きく影響するだろう。どのような影響があるかはまだ予想さえしかねるが、レーマ社会が大きく動揺するか安定を維持するかは彼の働きぶりにかかっているであろうことだけは疑いようがない。それなのに、政権の中心人物たるフーススが突然半年以上もレーマを離れるというのである。ウァリウスの立場で何も感じない者がいるとはちょっと想像がつかない。


「すまんな。

 あの場で相談しているつもりだったのだ。」


 フーススは素直に詫びたが、ウァリウスの目にはフーススが悪びれているようには見えなかった。


「まったく……」


 ウァリウスとしては呆れるほかない。フーススには昔からそういう傾向があった。今回のように仲間を、身内を信頼しすぎてしまうところがある。そして、振る舞いが開けっぴろげになりすぎてしまうのだ。身内しかいないのだから言ってしまおう、仲間しかいないからぶっちゃけて相談してみよう……そういう感覚で本来伏せられるべきこと、隠されるべきことを話してしまうのだ。

 相談される側からすればたまったものでは無い。そこまで近しい関係になった覚えはなかったのにいきなり内輪の話などされても答えに困るのが当然だ。しかし、フースス当人は至って真面目であり、その様子からは自分のことを信頼しきっているようにしか見えない。人との距離感がどこかズレているのだ。

 それは人を惹きつける魅力として効果を発揮することもあったが、逆に相手を困惑させ混乱を招いてしまう場合もあった。今回の場合は後者である。

 本来なら関係者一人一人に内々で話をして根回しをしておくべき事だった。だがフーススはあの場で一度につもりだったのだ。


 アレが“根回し”なら“本番”はどこだと思っていたんだ!?


 何か大きなことを決めるための下準備が「根回し」だ。であるならば「何かを大きなことを決める」場こそが「本番」になるはずだ。そして先ほどのあの場は参加していたフースス以外の全員にとって「使者を誰にするか決める」ための「本番」そのものだったのである。フーススは周囲の者たちが「本番」と考えている場で「根回し」をしてしまったのだから、その場にいる者は混乱するのは当たり前だったのだ。


「いや、すまなかった。

 まさかみんながあれだけ反対するとは思わなかったんだ。」


 片眉を上げ、両手を広げて自分の失敗を認める。

 先ほどの会議でフーススは自身が元老院の代表としてアルトリウシアへ赴き、降臨者と対面することを提案した。そして、その場にいたほぼ全員から反発されてしまっていた。フーススは持ち前の押しの強さで何とか自身の提案のメリットを説いてみたが、周囲の者たちの反発は彼の想像を超えており、最終的には一応結論は保留となったもののさすがの彼も自身の提案を引っ込めざるを得なかったのだ。


「悪いアイディアだとは思わなかったんだが……」


 ひどく残念そうにボリボリと頭を掻く。その様子は一見、自分が代表として行くことを諦めてしまっているようだが、フーススをよく知る者たちなら彼がそう簡単には諦めないであろうことぐらいは知っていた。だからこそ、あの場ではみんなが反対したのだ。


「悪いアイディアだとは私も思いませんよ。」


「そうなのか!?」


 顔を半分しかめたままフーススへの歩み寄りを見せたウァリウスにフーススは頭を掻くのをやめ、目を丸める。


「だが卿は反対していたじゃないか?」


「それはそうですよ!」


 ウァリウスは声をひそめながらそう言うと一瞬、今しがた自分たちが出て来たばかりの執務室の方を振り返り、右手をフーススの背中に回して執務室から離れるように無言で促した。

 フーススはそれを怪訝けげんに思いながらもウァリウスらと共に歩き始める。


「我々が反対していたのはタウルス卿が行くことにではありません。

 タウルス卿が行くことを話すタイミングです。」


 フーススの左隣に寄り添うように歩きながらウァリウスはフーススを咎めるように言った。


「どういうことだ?」


「あの場でもし私たちが賛成してタウルス卿が行くことに決まっていたら、コルウス卿は自分がないがしろにされたと思うでしょう。」


「何でそうなる?!」


 ウァリウスの説明が意外だったのか、フーススはその場で足を止め、頓狂とんきょうな声をあげた。


「コルウス卿にだってあの場で相談したじゃないか!?」

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