第793話 フーススのリーダーシップ

統一歴九十九年五月十日、午後 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 ああ、やっぱり……大仰に驚いて見せるフースス・タウルス・アヴァロニクスにウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスはうんざりしたような表情を隠すことができなかった。

 フーススはこういうところがある。彼は一つの問題に取り組む際の突進力、牽引力は凄まじい。「よし、俺についてこい!」とばかりに周囲の人間を強引に引っ張っていくタイプのリーダーだ。だが人間関係の機微を見抜いて調整していくことに関しては全くと言っていいほど無頓着な部分があった。身内以外の人間……特に敵対する勢力、対立する勢力との人間関係については常人以上の鋭敏さを発揮するくせに、身内同士のこととなると何故か鈍感になってしまうのである。ひとたび身内だと判断すると安心してしまうのか、警戒感や洞察力が失われてしまい、信じ切り、頼り切ってしまう。


「あの場にはコルウス卿以外の者たちもたくさんいたじゃないですか!」


 ウァリウスはそう短く言うと立ち止まったフーススの背中に右手を回して再び歩くよう促した。フーススは合点がいかないままではあったが、ひとまず促されるままに歩き始める。


「あの場でみんなが賛成すればコルウス卿だって反対できなくなります。」


 歩きながら、ウァリウスの言葉にフーススは強く眉をひそめた。


 反対意見が出ないならその方が都合がいいじゃないか?!

 コルウス卿コルネイルスが反対しないなら話がまとめやすくなる。

 何がいけないんだ!?


 そう、フーススは話を自分の都合のいい方向へ進めることだけを考えていたのだ。結果が良ければすべてよし……フーススの発想の根源にあるのはそれである。


 何をするにしても反対意見は必ず出るものだ。それらももちろん尊重すべきではあるが、だがイチイチ取り合っていたらキリがない。時間は無限には無いのだ。だから多少の反対意見は無視するのもやむを得ない。最終的にうまく行けば反対意見の持ち主だって納得せざるを得なくなるものだ。どうしても納得しきれない分は別のところで埋め合わせるしかない。


 そうしたフーススの考えは一つの真理ではあった。しかし、だからといって他人の感情を軽視したり無視したりして良いことにはならない。もちろんフーススも、無視されてしまった人間には何らかの埋め合わせは必要だと考えてはいるが、そもそもの出発点で他人の意見を無視することを前提にしているため、自分と異なる意見を持つ人間に対する配慮がどうしても甘くなってしまう。特に相手が身内だという認識があると、最終的には納得してくれる、応援してくれると勝手に思い込んでしまう癖があるため余計に始末に負えない。

 これはフーススが彼の最大の長所である強引なまでの牽引力リーダーシップを発揮できる原因の一つではあったが、同時に彼のどうしようもない欠点でもあった。フースス自身は自分がそういう失敗をしてしまう根本的な理由について全く理解していなかったが、そういう失敗をしやすいこと自体には経験的に気づいていたため、ウァリウスの言っていることに納得しかねてはいてもとして素直に黙ったまま耳を傾ける。


「コルウス卿は我々守旧派の中心人物です。

 そしてコルウス卿は守旧派われわれの中で中心的な役割を果たすことを、指導者ドゥーチェであることを望んでいるのです。」


「だからコルウス卿のことは立てているじゃないか?

 コルウス卿にだって相談したんだ……あれじゃダメなのか?」


 元老院セナートス守旧派の重鎮コルネイルス・コルウス・アルウィナに対し、フーススは一目も二目も置いている。執政官コンスル選挙に出馬する際はコルネイルスに頭を下げて協力を要請したし、執政官になってからも色々と重大な政策を決める時には必ずお伺いを立てていた。決して彼を粗略に扱ったことは無い。守旧派議員を結集するためには彼の協力は必要不可欠だからだ。

 今回だってフーススは今まで同様、コルネイルスを立てたつもりだった。自分フーススが行く……それは現状ではベストなはずだ。だがそれを独断で決めることなく、みんなの前で「お許しを頂ければ」と前置きをしたうえで「自分が行こうと思います」とではないか。

 そう、独断で自分が行くと決めることだってできたはずだがフーススはそれをあえてしなかった。守旧派の結束のために、コルネイルスの顔を立てるために、「お許しを頂ければ」とへりくだってみせた……だが、ウァリウスに言わせればその感覚自体が傲慢で無神経なものでしかない。


「さっきも言いましたが、あれではコルウス卿は反対意見を言えなくなります。

 コルウス卿が守旧派われわれ指導者ドゥーチェで居続けるためには、多少気に入らないことであっても我々みんなが賛成することは受け入れ、指導者ドゥーチェとしての器量を見せなきゃいけないからです。

 それなのに卿は我々みんなの前で意見を言い、それを認めさせようとしました。それではコルウス卿の意見を封じるようなものです。それでは相談したことにはなりません。

 自分の言いたいことを言えない指導者ドゥーチェがありますか?」


「んん~~むむむ」


 フーススはウァリウスの言うことには理解が及ばなかったが、それでもようやく自分のやろうとしたことがそもそも失敗だったんだということに気がついた。が、そもそも考えたこともない部分の話なので頭の回転が追い付かない。


「じゃあ、どうすればよかったというんだ!?」


 逆切れでもするかのように問いかけてくるフーススにウァリウスは嘆息するように答えた。

 

「次から根回しは一人一人に個別にすることです。

 特にコルウス卿には真っ先に……」


 ウァリウスの説明を聞く限り、どうやらフーススは取り返しのつかない失敗をしてしまっているようだ。コルネイルスの顔に泥を塗ったに等しいだろう。さすがにコルネイルスもいきなりフーススを切り捨てるような真似はしないだろうが、見限られたとしてもおかしくない。コルネイルスは保護民パトロヌスとして多くの被保護民クリエンテスを抱えており、その影響力は元老院の中でも随一だが、それらは彼の家の財産や権力があるからこそつちかわれてきたものであって、彼個人の研鑽けんさんによるものではない。コルネイルスは間違いなく大物政治家だが、コルネイルス個人の人間的な器量が大きいというわけではないのだ。


 クソッ、なんてこった……


 百年ぶりの降臨という未曽有みぞうの事態を前に我を見失い、力を結集すべき守旧派を自ら分裂させかねない失敗をしてしまった。フーススは険しい表情を作って立ち止まり、爪を噛むように口元に右手を添えてしばらく考えると、突然意を決したかのようにきびすを返した。


「タルウス卿!?」


「コルウス卿と話をしてくる!」


 執務室タブリヌムへ戻ろうと大股で歩き出したフーススの肩をウァリウスが掴んだ。ウァリウスと共に来ていたフラウス・ディアニウス・レマヌスも慌ててフーススの前に回り込んでゆく手を塞ぐ。


「待って!お待ちください!!」

「いけませんタウルス卿!」


 ホブゴブリンのごとく筋肉の塊のようなフーススにとって、平均的なヒトにすぎないウァリウスの膂力りょりょくなどたかが知れているが、さすがに親切にも言いにくい忠告をわざわざしてくれる身内を振り切るほどフーススも傲慢ではない。フーススの気持ちは執務室へいてはいたが、素直に立ち止まってウァリウスに向き直る。


「何だ!?

 今しがた卿が一人一人に話せと言ったばかりじゃないか!」


 誤解をされたままでは今後に支障が出る。相手がコルネイルスのような実力者なら猶更なおさらだ。フーススとしては守旧派が分裂することは絶対に避けたかったし、相手がコルネイルスともなれば信頼関係は完璧でなければならない。

 だがフーススのこの行動はまさに直情径行ちょくじょうかいこうそのものだった。フーススをたしなめるために追いかけて来たウァリウスがホブゴブリンのフラウスを伴ってきたのは、実は猪突猛進ちょとつもうしん型のフーススがこのように暴走した場合に実力で抑え込む必要が生じることも想定したうえでのことだった。フーススの突発的な行動は同僚としては本当に心臓に悪いが、フーススと付き合いを続ける以上はそれくらいの配慮くらいはできなければならない。


「物事にはタイミングというものがあるでしょう?

 今行っても話がこじれるだけです!」


 フーススが立ち止まってくれたことに安堵したウァリウスは、正衣トガの一端を巻き付けた左手を胸に当てながらどこか引きつったような笑みを浮かべた。

 

「しかしだな……」


「ご安心くださいタウルス卿」


 なおも気持ちがはやってやまないフーススに、今度はフラウスが話しかけた。


「既にネラーティウス卿がコルウス卿に話をすべく動いてくださっておいでです。」

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