第363話 招待

統一歴九十九年五月三日、夜 - 黒湖城塞館・大ホール/シュバルツゼーブルグ



 シュバルツゼーブルグはアルビオンニウムから約二十マイル(約三十七キロ)南に位置する宿場町である。東側を東山地オストリヒバーグ、西側を西山地ヴェストリヒバーグに挟まれており、それぞれの山々から注ぎ込む雪解け水が集まり、東西約二マイル(約三・七キロ)、南北約五マイル(約九・三キロ)ほどの湖を作り出している。

 湖は湖岸付近は浅いものの中央部はかなり深いらしく、冬になっても全面が凍り付いたことはない。今は開拓が進んでしまっているが、以前は湖岸ギリギリのところまで深い森が広がっており、中央部の深さと湖岸付近の樹木の影から湖全体が真っ黒に見えていた。ゆえに、この湖は『黒湖』シュバルツ・ゼーと呼ばれている。

 その『黒湖』シュバルツ・ゼーの北岸中央に建造されたブルグスにちなみ、この周辺地域を『黒湖城塞』シュバルツゼーブルグと呼ぶようになっている。


 地名の由来となったブルグスは建造当初こそ南蛮サウマンとの戦争の拠点となったものだが、現在では南蛮サウマン勢力がかなり南へ後退したこともあって防衛拠点としての役割はとうに失われ解体されている。今ではシュバルツゼーブルグ家の邸宅ヴィラに作り変えられており、ブルグス内にあった倉庫ホレア類は残されているものの兵舎など軍団レギオーが駐留するための設備は粗方あらかた撤去され、跡地は典雅な庭園に作り変えられてしまっていた。

 とはいっても、当地を治める郷士ドゥーチェシュバルツゼーブルグ家はランツクネヒト貴族の例にもれず武門の家系であり、ブルグスを囲む土塁や堀、砲座などは現在でも使えるように整備されていたし、住民たちは今でも親しみを込めて「お城ブルグ」と呼んでいた。


 邸宅ヴィラにはランツクネヒト族の有力者が好んで作る壮大なホールが築かれており、館の中心的存在となっていた。そこでは御多分にもれず公的・私的なさまざまな催しを開くのに使われ、歴代シュバルツゼーブルグ家当主が主催する祭典や式典、議会や裁判など、一般の領民がそこを訪れる機会も多い。領民たちが「お城ブルグ」を訪れるとすれば、案内されるのはほとんど例外なくそのホールである。

 で、あるがゆえにホールの内装は壮麗そうれいを極めていた。

 天井は天井画こそ無かったが吹き抜けで高いアーチ状になっており、磨き抜かれた真鍮製のシャンデリアが吊るされている。二階部分には採光のための窓が並んでおり、昼間にその窓を開け放てば屋内であっても灯りが全く必要ないくらいに明るい。一階の壁はランツクネヒト族らしく聖書に綴られたエピソードを題材にしたタペストリーで埋め尽くされ、それらの切れ目となる柱の前には聖人や英雄をかたどった立像が立てられていた。


 今はそこにさらに燭台を並べ、鯨油ロウソクや蜜蝋ロウソクを贅沢に灯し、贅を尽くした大宴会が開かれていた。客人を招いて御馳走を振舞うのは古今東西あらゆる世界において、貴族が権威を示すための絶好の機会であり、もっとも一般的な手段であった。

 今日の主賓はアルビオンニアにおいて最も高貴な血筋を誇る大貴族パトリキルクレティア・スパルタカシアとアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスの二人である。ヴァナディーズとセルウィウスら百人隊長ケントゥリオネスは客人ではあるが、主賓であるルクレティアの付き人という扱いだ。他にシュバルツゼーブルグの有力者たちが数多く招かれ、見た目の派手なランツクネヒト料理がテーブルに並べられる。


 ランツクネヒト族に限らないのだが、貴族ノビリタスの料理と言うのは権勢を示すパフォーマンスの道具としての役割が強いため、とかく量が多くなりがちである。食べきれないほどの量…それは誰にでも分かりやすい贅沢であり、権勢の象徴である。味や栄養などよりも見た目の派手さが重要なのだ。むしろ味や栄養など二の次であり、不自然に毒々しい色に着色された料理や異様な臭いを放つ料理も決して珍しくはない。中には明らかに健康を害する料理が出されることすらある。


 わずか半月とはいえリュウイチの好みに合わせ、量はむしろ控えて味や健康を意識した料理に慣れ始めていたルクレティアたちには、今日ヴォルデマールが用意した料理は少し引いてしまうレベルで野暮ったく感じられた。ほんのひと月前までは自分たちもそういう文化に慣れ親しんでいたはずなのに、今ではやや苦痛にすら感じられてしまうのだから不思議なものである。

 もっとも、ルクレティアらもヴォルデマールの事情を理解できないわけではないのでヴォルデマールを批判するような事は言えないし、恥をかかせるようなことなど出来ようはずもない。


 ルクレティアらは客人としてホストたるヴォルデマールのもてなしを受ける。それは貴族ノビリタスとして当然の礼儀だった。最終的に夜半まで続くことになるこの宴会をルクレティアが中座できたのは、彼女がまだ十五の未婚の少女だったからに他ならない。


スパルタカシアルクレティア様、御加減が優れぬご様子ですが大丈夫ですか?」


 宴会が始まってもうすぐ二時間になろうかという頃になって、セプティミウスがやや大袈裟に声をかける。


「え!?そ、そうですか?」


 最初なんのことか分からず驚くばかりだったルクレティアに、セプティミウスは他の者たちに気付かれないようにウインクをして続ける。


「ええ、少し顔色が優れませんし、さきほどから料理も手が付かぬご様子。

 おそらく旅の疲れが出たのでしょう。今日はいつもより長く馬車にゆられましたからな。明日もありますゆえ、今宵はこれでお休みになられてはいかがですか?」


 わざと周囲に聞こえるようにセプティミウスが言うと、ヴォルデマールも無視できなくなる。


「おお、それは大変!

 スパルタカシア様、どうぞご無理をなさらずお休みください。」


 むろん、ヴォルデマールとしては大貴族パトリキの賓客に中座されるのは決して好ましいことではない。だが相手が女性、それも未成年となれば話は違ってくる。今日は強引な手を使って無理矢理招き入れたという後ろめたい部分もあるし、むしろこのまま中座するのを受け入れた方が、寛容さを見せることもできるだろう。


「そうですか?

 それではシュバルツゼーブルグ卿の御寛容に甘えさせていただきたいと思います。実は先ほどから目眩めまいがしておりましたものですから…」


 かくしてルクレティアは虚飾に満ちた宴席から脱出することができていた。ヴァナディーズもちゃっかりとルクレティアに付き添うフリをして逃げ出している。


「ルクレティア大丈夫?」


 少し具合の悪そうな演技を続けるルクレティアの横を、ヴァナディーズが心配しながら介護する演技をしながらしばらく歩いた。レーマ風の饗宴コミッサーティオとは違い、街の有力者ら数十人が一堂に会してどんちゃん騒ぎをするホールから抜け出て外に出ても、そこには招待客たちの付き人たちが並んでおり、主人が出てくるのを待っていたりするので気が抜けない。二人は招待客の付き人たちやシュバルツゼーブルグ家の使用人たち目が届かなくなるところまでは、中座するのも仕方がないと思われるような演技を続けなければならなかった。


 ドンッ!


「キャッ!?」

「え!?」


 まだ付き人や使用人たちの目はあるものの、そこそこホールから離れた廊下の角で、突如暗がりから飛び出てきた男がヴァナディーズにぶつかった。思わずよろけたヴァナディーズはルクレティアにぶつかり、二人は立ち止まってしまった。


「痛!?…おお!?

 こ、これは貴婦人様方ドミナエ、とんだ失礼を!

 どうかお許しください!!

 お怪我はございませんか?」


 ぶつかってきた男は貧相な身形みなりをしていた。見るからに身分の低そうな男はぶつかった相手が身形みなりの良い女性であったことから驚き、すっかり慌てて許しを請い始めた。近くの廊下で直立不動の姿勢で主人が宴席から出てくるのを待ち続けていた招待客の付き人たちがざわめきながら一斉に注目する。


「い、いえ、大丈夫です。

 そちらこそお怪我は大丈夫ですか?」


 ヴァナディーズは今でこそ学士としてルクレティアの家庭教師などを務めてはいるが元々は平民プレブスの出である。相手の身分が低いからといって、特に怒ることもなく、むしろ男を宥めた。


「はい、私のような者のためにご心配頂きありがとうございます、貴婦人様。

 こちらが不注意にもわき見をしながら歩いておりました。

 そのせいでとんだご迷惑をおかけしてしまって、どうか、どうかお許しください。」


 男は跪き、憐れなくらいに縮こまって謝罪を続けた。


「ええ、大丈夫です。許しますとも、どうかお気になさらないで。」


 男の大袈裟な謝罪にさすがに憐れに思ったのか、ヴァナディーズが身を屈めて跪く男の肩に手を添えて宥めると、最初は騒ぎに気付いて何事かとこちらに注目していた招待客の付き人たちも、どうやら大したことはなさそうだと判断したのか、次第に姿勢を戻し注意を逸らしていく。


「おお、なんとお優しい!

 感謝申し上げます貴婦人様。

 いつかきっと御恩に報いてごらんにいれます。

 ありがとう、ありがとうございます。」


 男は肩に置かれたヴァナディーズの手を取り、両手で拝むようにその手を握ると大袈裟に感謝の言葉を口にした。


「え?!あ、ええ…こちらこそ?」


「それでは私は失礼いたします。

 どうも、どうもありがとうございました。

 どうかお気をつけて」


 ヴァナディーズが男に握られた手を引っ込めると、男はそう言って元来た暗がりの方へ小走りに去って行った。そして、ヴァナディーズの手には何か小さな紙切れが残されていた。


「?…パピルス?」


「先生。大丈夫?」


 呆気に取られていたルクレティアに声をかけられ、ヴァナディーズはハッと我に返り、咄嗟に手の中のパピルスを握り隠す。


「えっ!?ええ、大丈夫よルクレティア。

 アナタの方こそ、大丈夫だったかしら?」


「私の方は先生がちょっと当たっただけだったから…

 今の男の人、何だったの?」


「さあ?

 招待客が多いから、その付き人じゃないかしら?

 それよりも、早く部屋へ戻りましょう。」


 二人はそれから何事もなく、あてがわれた敷地内のゲストハウスまで歩いた。

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