第362話 ヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグ

統一歴九十九年五月三日、夕 - 黒湖城塞館/シュバルツゼーブルグ



 ルクレティア一行がシュバルツゼーブルグを治める郷士ドゥーチェヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグの邸宅ヴィラである『黒湖城塞館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルグに到着した時、既に日は西山地ヴェストリヒバーグの向こうへ没し周囲は暗くなってはいたが、空はまだ赤く、東山地オストリヒバーグを形成する山々の頂上付近は西山地ヴェストリヒバーグ越しに届く陽光を受けてまばゆいばかりの茜色の輝きを放っていた。

 ルクレティアたちがこれほ早い時間に到着できたのは、ヴォルデマールがシュバルツゼーブルグのずっと手前の中継基地スタティオに宿泊予定だったルクレティア一行を確実に招き入れるために周到に用意を整えていた結果だった。本来なら夕方前にたどり着くはずの当初の目的地から、ほぼ半日分の行程が追加になったのである。重装歩兵ホプロマクスが随伴している以上、進行速度は急いだところでたいして上げられない以上、シュバルツゼーブルグへの到着は星空の下、月明かりを頼りにようやくという行程となるはずだったのだ。


 そんな時間に到着されても晩餐会には遅すぎる。それでは「高貴な客人を歓待した」と世に誇ることなどできない。

 そこでヴォルデマールは領内から三十台近い荷馬車をかき集め、それをグナエウス街道に集結させてルクレティア一行を出迎えたのである。そしてルクレティア一行を護衛する随伴歩兵二百五十名をそれらの荷馬車に乗せ、松明を持った騎兵に護衛させてグナエウス街道を突っ走らせたのだった。


 それだけの荷馬車を用意できるのなら、壊れたという荷馬車の荷物を積みかえてアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの輸送部隊の活動を支援してくれた方がよっぽど良いはずなのだが、ヴォルデマールにはヴォルデマールなりに無茶な狂言を働いてでもルクレティアを招待しなければならない理由があった。


 ヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグは一昨年、フライターク山が噴火する前にシュバルツゼーブルグ家の家督を継いだばかりの、まだ若い郷士ドゥーチェである。若いと言ってももう三十代も半ばを過ぎているが、未だに領内の統治には父の助力を必要としている。といっても別に彼が無能だからではない。

 彼が家督を継いで半年もしないうちにフライターク山が噴火した。シュバルツゼーブルグは地震被害といくつかの火災はあったものの特別大きな被害は受けずに済んでいた。このため、ヴォルデマールは領内を安定させるとともに即座にアルビオンニウムへの支援活動を実施している。だが、彼が統治者として自信をもって執務に携わることができていたのはそこまでだった。アルビオンニウム放棄が決定され、大量の避難民が流れ込んできたのである。


 元々、三万人に満たなかった人口はごく短期間のうちに一挙に二倍に増加した。アルビオンニア属州の中では比較的古くから開拓が進んでいた地域で、アルビオンニウムに次ぐ穀物生産量を誇っていただけあって飢餓の発生こそなかったが、それでも突然二倍に増えた人口を統治し、治安と経済を維持するのは不可能だった。

 避難民たちは休耕地などにバラックを作り、治安状況も衛生環境もろくでもないスラムがあちこちにできてしまった。食料の配給は行っていたが、それらは主に穀物であり、野菜や肉が圧倒的に足りていなかった。家畜をはじめとする窃盗が相次ぎ、領内の治安も景気も急速に後退していく。

 しかも年が変わって輪作のために休耕地に作付けしようにも、バラックを築いて住み着いてしまった難民たちは容易に移動してくれなかったし、移動した後の土地は難民たちによって荒らされ、土壌が変質してしまっているところも少なくなかった。結果、農業生産も落ち込まざるを得なくなっている。

 このため、シュバルツゼーブルグでは領民たちの間で社会不安と統治者たる郷士ドゥーチェヴォルデマールへの不満と不信感が蔓延まんえんしていたのだ。


 もちろん、これらの一切はヴォルデマールの責任ではなかった。ヴォルデマール自身はむしろ良く治めていると言って良いだろう。しかし、領民たちにそんなことはわからない。彼らにとっては目の前で起こっている出来事、そして自分の境遇こそが真実なのだ。そしてその責任は常に為政者に求められる。

 難民たちは移せる者はより南の地域へ、あるいはアルトリウシアへと送ったし、餓死者・凍死者もそれなりの数に上ったが、次から次へと流れ込む難民の数はなかなか減らない。ようやく落ち着いた今となっても、五万人近くにまで膨れ上がった総人口のほぼ四割以上が、定職もまともな住居も持たない避難民という有様だ。

 ヴォルデマールは郷士ドゥーチェとして彼らの社会不安と政治不信を払拭ふっしょくしなければならない。だが、シュバルツゼーブルグの現状を解決する特効薬のようなものは存在しなかった。


 目に見える実績を示すことの出来ないヴォルデマールが尚も統治者としてシュバルツゼーブルグを治めつづけるためには権威に頼るほかないのだ。千人にも満たない彼の私兵で五万人を押さえつけることなど出来るわけもない。そして、彼の郷士ドゥーチェとしての権威とは、すなわち上級貴族パトリキとの繋がりの強さに求められるものなのである。統治能力に疑問を持たれてしまっている今となっては猶更なおさらであった。

 大貴族パトリキであるルクレティアを邸宅ヴィラに招いて歓待し、上級貴族パトリキとの繋がりをアピールすることは彼にとって最重要課題の一つなのだった。多少の無茶くらいしたとしても致し方ないと言える。


「ようこそ!

 ようこそおいでくださいましたスパルタカシアルクレティア様!

 このヴォルデマール・フォン・シュバルツゼーブルグ、スパルタカシア様のシュバルツゼーブルグへの御来訪、心より歓迎申し上げます。」


 車回しに停まった馬車から降りたルクレティアを、松明を掲げて並んだ使用人たちに囲まれたヴォルデマールとその家族たちが出迎えた。他のランツクネヒト族の中では比較的薄い褐色の肌に、薄暗い中でも目立つように明るい黄色の化粧を塗りたくった彼の顔には満面の笑みが張り付いている。


「わざわざの兵たちレギオナリウスのためのたくさんの荷馬車までご用意いただいた上でのこの歓迎ぶり、感謝に堪えませんわシュバルツゼーブルグヴォルデマール卿。」


 ルクレティアはヴォルデマールの歓迎に素直に礼を述べると、先に馬車を降りてヴォルデマールとの挨拶を済ませていたセプティミウスがルクレティアを気遣った。


「それにしても、お疲れではありませんかな、スパルタカシアルクレティア様?

 本日は一日でグナエウス峠を越えたうえ、予定よりだいぶ長く馬車に揺られておいでだ。明日もありますので、どうぞご無理をなさいませぬよう。」


 あからさまな狂言を働き、予定変更を強いてまで招いたヴォルデマールに対する牽制であった。ヴォルデマールは顔に笑顔を張り付けたまま片眉をピクリと動かす。目には見えないがヴォルデマールとセプティミウスの間で火花が散っているようであった。


「お気遣いありがとうございますアヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様。

 ええ、少し疲れたかもしれません。

 ですが、こうしてシュバルツゼーブルグヴォルデマール卿が歓迎してくださるのですもの。このような疲れなど、明日にはきっと癒えていることでしょう。」


「ええ、きっとそうですとも。

 疲れを癒し、元気を取り戻すためには十分な休養と豊かな食事が必要不可欠です。我が家でそれを御用意してご覧に入れますとも!

 御供おともの皆様にも、酒と料理を御用意してございます!

 さあ!どうぞ!!中へお入りください。ライムントの夜はアルトリウシアより冷えますからね。」


 パンっと両手を胸の前で打ち鳴らし、ヴォルデマールは感極まったかのように言うとルクレティアの一行を邸宅ヴィラの内部へいざなった。

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