第910話 変調
統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ グナエウス峠/
少し離れたところでスワッグとソファーキングに馬を預けたティフは岩陰に身を隠しながらジッと
あそこだ、きっとあそこにスパルタカシアが居る。
今度こそスパルタカシアとの直接交渉に持ち込んでやる。
そうすれば、田舎の古い聖貴族が何であんな強力な《
ムセイオンに召喚されていないってことは、アレがスパルタカシア本人の実力なはずはないんだ。きっとカラクリがある。そこに、黒幕が居るに違いない。
絶対にそれを
……いや、落ち着けティフ!
目的はあの
今はあくまでも対立を避け、友好的に打開策を見つけるんだ。
スパルタカシアが《
黒幕がどこの何者で何を目的に俺たちを妨害しようとしているのか、それを知るんだ。そのためにはどうする?どうやって話を持っていく?相手の警戒をまず解かなきゃ、それで俺たちが邪魔にならないことを理解させるんだ。
ああ……その前に、どうやってスパルタカシアに近づくかも考えなきゃな……
変に荒っぽいやり方で強引に行くと絶対に警戒されちまう……
グルグルと頭の中で砦への潜入の方法や潜入後の手順などを考えているティフに、後ろから近づく者があった。
「……ティフ。」
そいつはおもむろに話しかけてきた。聞きなれたその声に、ティフは振り返ることなく答える。
「ペトミーか?
まだ交代には早い、休んでいてくれていいぞ。」
「そうじゃない。話があるんだ。」
交代で砦の様子を見張りながらファドの帰りを待つ……と、最初に決めてあったのだが、実はティフはファドが戻って来るまで自分一人で見張るつもりでいた。砦の様子を見張りながら今後のことを一人で考えたかったからだ。それには自分で見張りをやってしまった方が都合がいいし、仲間たちを休めることも出来る。一石二鳥じゃないか……ティフはそう考えていた。ティフと付き合いの長いペトミーも、ティフがそう言う風に考えたからこそ自分で見張りを買って出たんだろうということは理解しているはずだった。それなのにあえて話しかけてきたということは、何か深刻な問題があるからこそだろう。
ティフはその問題について予想がついていた。そして、できればその問題に触れたくないとも思っていた。その問題に向き合えば砦にルクレティアの一行が居るか居ないかに関係なく、このままシュバルツゼーブルグまで引き返すことになるであろうからだった。避けたい話題だったがペトミーがこうしてわざわざ話しかけてきたのを無視するわけにもいかない。ティフはフーっと溜息を噛み殺しながら額を揉んだ。
「何だ、何か問題か?」
「ああ、馬のことだ。気づいてるんだろう?」
ティフは岩陰から身を引いて背後に立つペトミーを振り返った。月明かりに照らされたペトミーの顔は深刻そのものだ。
「馬が限界なのは知っている。
だから今日はもう乗らないつもりだ。
帰る時も歩いて、馬は乗らずに
彼らが使っている馬たちはクプファーハーフェンで出会った支援者に都合してもらったものだ。要するに人から借りた馬なわけだが、ここ数日でかなり無理をさせてしまっており、素人目にも体力の限界を迎えている馬が多かった。ティフが乗っていた馬だって今日ここへ来るまでの間、泡を吹きながら走っていたほどだったのだ。それを支援魔法や治癒魔法によって何とか誤魔化して来たが物事には限度という者がある。これ以上無理に走らせれば確実に死んでしまうだろう。
これ以上先へは進めない。これ以上無理はさせられない……
それはペトミーがここへ来るまでの間散々繰り返しティフに言い続けてきたことだった。ペトミーも、他のメンバーも、要はティフにこれ以上先へ進むと言わないでほしいのだ。
ペトミーはティフとの付き合いが古いから付いて来てくれているにすぎない。他の三人はヒトだから仕方なくハーフエルフのティフに従っているだけだ。だが、それも限度がある。ティフも一応、それくらいのことは理解していた。さすがのティフもこれ以上彼らに無理を強いることはできないことぐらい気づいている。
だからまずはペトミーを、そしてソファーキングとスワッグを安心させてやる必要はあるだろう。しかしペトミーの言いたいことはティフの予想とは少しずれていたようだ。
「ティフ、それもそうなんだが、事態はもっと深刻そうなんだ。」
適当に
「何かあったのか?」
「ああ、あの馬たち、やたら甘えてくるんだ。」
「甘えてくる?」
ティフは眉を寄せ、ペトミーの顔を覗き込んだ。何か真剣なフリして冗談でも言って
「ああ、ソファーキングや俺に……
あと、お前の馬は
ティフは身体を起こし、
……何が言いたいのか分からない……
ペトミー越しに馬たちを見ると、確かに轡を握っているソファーキングに馬たちが顔を寄せ、甘えているようすが見て取れる。ティフの馬はスワッグが轡を抑えていたが、その顔はティフの方を向いており、ティフと目が合ったことに気づくと前足を鳴らして轡を握るスワッグを引きずってでもティフの方へ行こうとしはじめた。もっとも、スワッグの力の方が強くて馬の願いはかなわないでいたのだったが……
「それが、何か問題なのかペトミー?」
馬が騎手に甘えるのは心の距離が狭まったからだ……それはとてもいいことのように思える。
ティフの表情からどうやら事の次第を理解していないらしいことに気づいていたペトミーだったが、さすがにその疑問をストレートにぶつけられると親友に対する失望を禁じ得ない。
「分からないか?
あの馬ども、魔力の味を覚えちまったんだ。」
「!?」
ティフは顔を
「俺たち、ここ数日馬に無理させすぎた。
それで馬が倒れないよう、支援魔法や治癒魔法を散々かけただろう!?
それで馬たちが俺たちの魔力の味を覚えちまったんだ。
馬たちは俺たちの魔力を欲しがってるんだよ!」
驚いたティフはハッとして再び馬たちの方を見た。馬たちはやたらとソファーキングに顔を寄せ、ソファーキングにキスをしたがっているように見える。言われてみれば確かに異常だ、馬が人間に対して親愛の情をアピールする時、キスしたり顔を舐めようとしたりなんかしない。犬ではないのだ。せいぜい身体を押し付けてきたり、首を回して頬擦りしようとしたりするぐらいだ。馬のただの愛情表現にしては、あまりにも過剰すぎる。
「気づいたか、ティフ?
あれは
視線をペトミーに戻したティフにペトミーは言葉を続けた。
「これ以上、アイツらに魔法をかけるのはダメだ。
じゃないとアイツら、
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