第909話 街道上で

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 グナエウス峠の頂上付近、東側の坂道の上から二番目のカーブの岩陰にティフ・ブルーボール二世率いる『勇者団』ブレーブスの一行は待機していた。ここなら昼間でも岩の影に隠れてグナエウス砦ブルグス・グナエイ立哨りっしょうから見つかることは無い。この夜の闇ではグナエウス砦の見張りの目に留まるとは思わないが、それでも念を押すに越したことは無いだろう。ティフ達はその場で交代で岩陰から半分顔を出してグナエウス砦の様子を伺いながら、一人潜入偵察に出したファドの帰りを待っていた。


「なぁー、不味いよ。

 こんなところにまとまってさ……

 誰か来たら絶対怪しまれるぞ?」


 スワッグ・リーはやたらと甘えてくる馬たちのくつわを抑えながら、隣のソファーキング・エディブルスに愚痴をこぼす。

 まあ、そういう不安に駆られるのも仕方が無いだろう。なにせ彼らは真夜中に何もない街道上で馬を降りてたたずんでいるのだ。もう数百メートルというところにグナエウス砦があるのに、こんなところで待っているなんて普通に考えてあり得ない。


「大丈夫だろ、この時間なら通る奴はいないさ。」


 ソファーキングはそう言ってなだめたが、彼にしたところでそれが気休め以外の何物でもないことぐらい分かっていた。もしも誰かが街道を通りかかれば彼らは必ず見つかる。街道の山側は岩肌の急傾斜地で馬を連れて登ることはできない。反対の谷側は切り立った断崖絶壁なのだから、誰か通りかかったとしても身を隠せる場所などまったく無いのだ。

 そんなところに人間四人が馬五頭と共に何をするでもなく突っ立っているなんていくら何でも不自然すぎる。盗賊と間違われて通報されてもおかしくはない。


「そんなこと言って、もし誰かが通りかかったらどうすんだよ!?」


 普段の彼らなら通報されるかもしれないという程度ならさほど気にはしなかっただろう。何せ彼らは世界最強の『勇者団』ブレーブスなのだから、その実力をもってすれば通報で駆けつけて来るであろう警察消防隊ウィギレスなんか制圧するのもけむに巻くのもお手の物だ。

 だが今回はそうも言っていられない。彼らが見張っているグナエウス砦には、もしかしたらあのルクレティア・スパルタカシアが……《地の精霊アース・エレメンタル》がいるかもしれないからだ。通りかかった者に怪しまれれば通報されるだろうし、通報されないように制圧するにしても騒ぎが起きて砦に気づかれれば結局兵士が押し寄せてくるに違いない。駆け付けるのが兵士だけならなんとでもなるが、《地の精霊》かその眷属なんかだったりしたら、彼らに選べる選択肢は降伏するか逃げるかの二択しかないのである。


「まあ、そう神経質になるな。

 ここら辺に魔力は感じないよ。

 少なくとも、敵側の精霊エレメンタルに気づかれちゃいないんだ。」


 ソファーキングの言葉にスワッグは口を尖らせ、喉の奥で唸った。言われた様に確かにこの辺りに不自然な魔力の高まりは感じられない。多分、まだ見つかっていないというのは本当だろう。そう思いたい。が、安心はできない。

 ブルグトアドルフの夜、スワッグはナイス・ジェークとエイー・ルメオの三人で森にひそんでいた。そして街で戦闘が始まるとスワッグは敵に捕まっているメークミー・サンドウィッチを救出するために単独で突入している。しかしその後、メークミー救出に失敗して戻ったスワッグはナイスともエイーとも合流できなかった。スワッグがブルグトアドルフの街に侵入している間に二人は《森の精霊ドライアド》に襲われていたのだ。エイーとはその後合流できたが、その時ナイスの方は既に《森の精霊》に捕まり、レーマ軍に引き渡されてしまっていた。


 あんな強力な《森の精霊ドライアド》があの森にいることに俺は気づけなかった。あの森にそんな魔力なんて感じなかったんだ。

 この場所だって、魔力を感じないからって安全だとは限らないじゃないか……


 スワッグはあの時、あの森の中で、スモル・ソイボーイの命令に従って《森の精霊》に攻撃を仕掛けたがいとも簡単に捕まってしまった。《藤人形ウィッカーマン》の腹の中に閉じ込められたスワッグは脱出することも叶わず、その場で魔力欠乏におちいって気を失ってしまっている。

 スワッグは感覚の鋭い方だ。魔力強化した肉体で近接格闘戦闘を挑む攻撃職である彼は、あらゆる攻撃をくぐって敵の懐に飛び込む戦闘スタイルを完成させるため、敵の気配を、攻撃を、弱点を見抜くため、あらゆる感覚を鍛えあげたのだ。それにもかかわらず、あれだけ強大な精霊が森に潜んでいることに気づけなかった。仲間を危険に晒し、救い出すことも出来ずに敵の捕虜にしてしまった。おまけに奪い返そうとして逆に捕まり、魔力欠乏になって戦闘力を失った挙句あげく、自分自身が敵の人質になってしまった。そのことがスワッグに自信を失わせていた。


「それにしてもファドの奴、まだかな?

 早く帰って来てくれるといいが……」


 あの日以来、スワッグが妙に不貞腐ふてくされ気味なことにソファーキングは気づいていた。理由も一応知っているつもりだ。あの日ソファーキングは魔力欠乏から回復しきれていなかったためにアルビオンニウムのアジトでデファーグ・エッジロードと共に休息していたからブルグトアドルフの作戦には参加していなかったわけだが、アルビオンニウムのアジトに戻ったティフがブルグトアドルフで何があったかを教えてくれた。そしてその前にアルビオンニウム湾口で何があったか、ペイトウィン・ホエールキングとスマッグ・トムボーイが教えてくれた。そこで彼らは信じられないくらい強力な精霊と戦い、不覚を取ったのだ。


 ハーフエルフ様でさえかなわない敵なら負けるのは当然じゃないか。

 そんなの気にすることないのに……


 魔法職のソファーキングは良くも悪くも負けることに慣れていた。魔法の実力は魔力の差でほぼ決まる。そしてヒトに過ぎないソファーキングはハーフエルフたちにはまず勝てない。自分がどうあがいても勝てない相手と接することに慣れているソファーキングは、勝てない相手に負けることをクヨクヨ気にするのを当の昔にやめていた。

 だがスワッグの方はそうでもない。ハーフエルフは魔力では優れているが体力ではヒトに劣るのが普通だ。ハーフエルフが優れた魔力で身体強化したとしても、やはり魔力で身体強化したヒトに対しては体力面でそれほど大きく上回ることはできない。そして体力が互角な者同士の格闘戦ともなるとセンスが大きくモノを言う。つまり、スワッグは格闘戦に限って言えばハーフエルフが相手でも決して負けないのである。魔法や武器を使っての総合力ではさすがに不利だが、状況次第では勝利を勝ち取るだけの技量を持っていた。

 スワッグも負けた経験が無いわけではないが、しかしこれだけは負けないと思っている部分で負けたことは無かった。それなのに前回はその負けないと思っていた部分で手痛い失敗を喫してしまった。だからこそ悔しくてたまらなかったのである。


「ああ、そうだな……クソッ!

 ファドの奴、いつまで待たせるんだ……」


 待っている時間というのは辛い。待っている間というのは、何もできないからだ。待つ以外何もできない自分と向き合わねばならないからだ。自然と嫌なことが次々と思い出されて苛立ち、気が滅入ってしまう。


「ブルーボール様も、早く諦めてくれるといいが……」


 二人は少し離れたところで、岩陰から顔を出して砦の様子を伺うティフと、ペトミー・フーマンの後ろ姿を見た。ファドが帰ってくれば、今度こそティフは諦め、彼らはこの場から帰れるはずだった。

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