第911話 魔獣化の懸念

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 魔獣化モンスタライズ……魔獣モンスターではない普通の動物が魔獣に変異する現象である。

 魔物モンスターと動物の違いは魔力を使うかどうかだ。魔力は生命のエネルギーそのものであるため、生き物ならばすべてが持っている。ただ、普通の生き物は魔力を自らの意思でコントロールできないのに対し、魔物は自らの意思によって魔力を操ることが出来る点が異なっていた。魔物は魔力を魔法という形で使うこともできるが、一般的には自らの肉体を強化したり感覚や能力を拡張したりするのに使う。よって、魔法を行使できない魔物も珍しくはない。

 魔獣化は本来魔力を自らの意思で操ることが出来ない生き物が、何らかの要因によって自らの魔力を自在に操れるようになり、生き物としてのり様が変化し、実質的に別の生き物……すなわち魔獣と化してしまうことを言う。基本的に動物は自らの魔力を知覚し、それを操ろうと考えるだけの知的能力すらない。よって、動物が自然に魔獣化してしまうということはまず無いと言っていいのだが、何らかの要因で自らの肉体の維持に必要な分以上の魔力を恒常的に得てしまいうと、それによって自らの魔力を知覚できるようになり、特別な訓練などを経ずともある程度魔力を操れるようになってしまうことがあった。

 昔、世界に魔物が溢れていた時代には、近くにいる魔物から溢れた魔力に当てられることで家畜や野生動物たちが魔獣化してしまう例が世界各地で見られたものだったが、現在では有力な魔物の多くがゲーマーによって狩りつくされてしまったため、そうした自然発生的な魔獣化はほとんど起きなくなってしまっている。大協約時代に入ってからは魔獣化のメカニズムを研究するために意図的に行われた魔獣化実験以外での魔獣化の事例はほとんど報告されていない。


「おい嘘だろペトミー。」


 その魔獣化が目の前で起きようとしている……ペトミーのその報告にティフは思わず片頬を引きつらせ、ヘッと笑った。


「そりゃ何かの間違いだ。

 俺だって魔獣化モンスタライズの研究論文は読んだことがあるぞ?

 過去の実験では聖貴族が何週間も魔力を与え続けてやっと成功したんだ。

 あの馬たちは俺たちが乗り始めて半月かそこらだ。たった二週間だぞ!?

 それなのにもう!?

 もう魔獣化モンスタライズだって!?」


 それはまるで下手な冗談を逆に揶揄からかい返すような態度だった。ペトミーは何かうんざりしたようにティフから視線を外し、溜息を噛み殺しながら首を振った。ティフが言った論文はペトミーも読んだことがあるし、何ならその実験を実際に見学したこともあった。だからその論文についてはティフよりも知っている。自分でも信じられないのだからティフが信じられないのも無理はないし、きっと信じようとしないであろうことも想像がついていた。


「ティフ、俺だって信じられなかったさ。

 でも本当だ。アイツ等、魔力を知覚できてる。

 もしかしたら……いや、多分もう不器用ながらも魔力を操り始めてる。」


「確かなのか?」


「確かだ!間違いない。」


 引きつった半笑いを消したティフをペトミーは正面から見つめ返した。


「普通、馬に限らないが疲れたり病気になったりしたら体内の魔力の流れが乱れるものなんだ。

 だが今のあいつ等に魔力の乱れは無い。むしろ効率よく循環しはじめている。

 あんなのは普通の動物じゃあり得ない。」


 ティフは息を飲んだ。

 魔物が普通の動物よりも危険なのは高い戦闘能力を持っているからだ。その強さの差は隔絶しており、同じくらいの体格の魔物相手に戦っても普通の動物が魔物に勝てることはまずない。魔力によって肉体を強化しているというのもあるが、仮に筋力が同じだとしてもスタミナや回復力が断然違うのである。

 魔物も普通の動物も魔力によって肉体を維持しているという点では変わらない。だが動物は生命エネルギーたる魔力を意識的に制御することが出来ず、ほぼほぼ自律神経によって無意識的に制御している。このため疲労や精神的ショックあるいは耗弱こうじゃくによって体内の魔力の流れが乱れると急速に消耗し、行動力が大きく減衰してしまう。これに比べ魔物は意識的に魔力を制御できるため、戦う意思を保ち続けている間は体内の魔力循環が乱れにくく、体力と魔力を使い切る最後の瞬間まで最高度の戦闘力を維持できるのだ。

 ティフ達の馬はここに来るまでの間にかなり消耗していた。それを支援魔法や治癒魔法で無理やり走らせ続けていたのだ。心身の疲労は極限に達している筈で、そのような状況にある動物の魔力が正常に循環し続けているなどまずあり得ない。


「ティフの言いたいことは分る。

 さっきも言ったが俺だって信じられないんだ。

 だけど事実だ。何度も確認したんだ。」


 ペトミーはモンスター・テイマーだ。実際に何匹ものモンスターを使役しているし、ムセイオン内で研究目的で飼育されているモンスターの世話にも加わっているのだ。モンスターの怪我や体調不良などの異常を見つけさせたら、ペトミーの右に出る者はいない。モンスターに関しては間違いなく第一人者だ。

 そのペトミーが観察し、結論を下したのだ。ここへ来てペトミーの結論を疑うほどティフも愚かではない。


「なんてこった……何でだ!?

 実験では魔獣化モンスタライズに一か月近くかかってただろう?

 それがたった半月でどうして!?」


「多分、条件が違うんだ。

 あの実験では普通に飼育されている実験動物にただ魔力を与えるだけだった。

 だが、今回はあの馬たちは限界まで酷使され、体力を極限まで消耗している状態で魔力を与えられた。多分そのせいで、魔力の活性化が促進されたんだ。」


 ティフは手をペシッと叩くように自分の額に当て、視線をペトミーから外した。道端の岩肌に視線を投げ出しながら小さな声で「なんてこった」と繰り返す。


「あの実験では魔力を供給してたのがヒトだったってのもあるかもしれない。

 驚くべき結果だが、あの馬どもはもうすぐ魔獣モンスターに変化する。

 これ以上、あの馬たちに魔法を使うのは危険だ。」


「何だ、魔獣化モンスタライズするとして何になる!?

 ペガサスか!?それともユニコーンか?」


 自嘲じちょう気味に笑うティフにペトミーは首を振った。


「いきなりそんな強力なモンスターにはならんよ。

 与えた魔力の属性次第だが、どの属性の魔力がどれほどの割合を占めていたかわからんから何とも言えん。

 順当にいけばバトルホースか、もしかしたらナイトメアかも……」


 バトルホースもナイトメアもどちらも低位の馬型魔獣として知られている。バトルホースについては馬から魔獣化した観測事例があるが、ナイトメアについては無い。馬のような見た目でレベルの比較的低い魔物なので、馬から魔獣化した魔獣なのではないかと推測されている。

 バトルホースは性格的には元々の馬と大して変わらない。魔獣化によって馬体が一回り大きくなる傾向にあるのと、身体が強化され通常の馬を大きく上回る体力と回復力を誇る点以外は通常の馬と同じだ。特に人間に飼われていた馬が魔獣化した場合は人懐こさや従順さもそのまま受け継がれる。このため、魔獣ながら軍馬として使役されることが多かった時期があったため、バトルホースやウォーホースと呼ばれるようになった。

 このように基本的に普通の馬と大差はないが、馬体が大きくなって体力が大幅に増大するため、事故が深刻化しやすい。調教が不十分な馬や野生の馬が魔獣化した場合は、ひとたび興奮させると手の付けられないほど凶暴化してしまうことも珍しくなく、調教前に魔獣化してしまったバトルホースは積極的に狩られるのが普通だ。

 ナイトメアについては存在は知られているが観測事例は極めて限られている希少な魔獣だ。バトルホースと違って人間を積極的に襲ってくる危険な魔獣として知られている。魔法で相手を眠らせ、幻覚や悪夢を見せるなどの精神攻撃をしてくると伝えられているほか、身体を霧や煙に変えて何処からともなく現れ、また何処とも知れぬところへ消えると言われ、まったく神出鬼没なことからその生態は謎に包まれている。


「バトルホースはともかく、ナイトメアだとすると厄介だな。

 テイムできそうか?」


「わからん。」


 ペトミーは小さくため息をついて馬たちの方を見た。いつもはどんなモンスターでもテイムできるようなことを豪語しているペトミーの自信なさそうな態度を目の当たりにし、ティフは意外そうに尋ねた。


「出来ないのか!?」


「出来なくはない……そいつが既に相手を決めてなけりゃな。」


「どういうことだ?」


 ペトミーは馬たちから視線を戻し、頭をボリボリと掻きながら面倒臭そうに説明し始める。


「テイムってのはモンスターを無理やり従わせるんじゃないんだ。

 口説いてこっちを好きになってもらわなきゃいけない。

 テイムってのはモンスター側からすれば結婚みたいなもんだ。

 こっちは魔力で相手の気持ちを釣って惚れさせるわけだが、相手が既に他の誰かに気持ちがイカレちまってたら口説くだけ無駄なのさ。無理に口説くと却って嫌われちまう。」


 普段ペトミーが言っている「どんなモンスターでも」というのは、どんな種類の魔物でもという意味であって、どの個体でもという意味ではなかったわけだ。ティフはそのことを理解すると口をへの字につぐんだまま、鼻からフーっと溜息を吐きだした。それに気づいたペトミーは上目遣うわめづかいでティフの目を見上げながら話を続ける。


「特定の誰かの魔力だけで魔獣化モンスタライズするんなら、わざわざテイムしなくてもその誰かの眷属になってくれるだろうよ。

 ただ、その後そいつが魔獣化モンスタライズした馬を扱えるかどうかは何とも言えん。」

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