第394話 同乗

統一歴九十九年五月五日、昼 - ライムント街道/アルビオンニウム



 軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは結局、ヴァナディーズから話を聞けていなかった。午前中の小休止の際にルクレティアの馬車を訪れて話を聞かせてもらいたいと頼んだのだが、ヴァナディーズが酷く怯えていたのと、ルクレティアが落ち着くまで待って欲しいと言ってヴァナディーズを庇ったためである。

 さすがに犯罪者というわけでもない上に、今や聖女サクルムとなったルクレティアに庇われては強く出るわけにもいかず、セプティミウスは引き下がらざるを得なかった。


「お昼に…お昼までに、気持ちを整理します。

 ですので、それまで待ってください。」


 セプティミウスがルクレティアの馬車から引き下がる際、ヴァナディーズはそう言っていた。そして今、昼休憩である。

 セプティミウスは今度こそ話を聞けるかもしれないと期待を抱き、自身の馬車を降りてルクレティアの馬車へ向かって歩いていた。


 だが、あの様子ではまだ心が決まっていないかもしれない。もしかしたら、もう少し、アルビオンニウムへ到着するまでは待たされるかもしれないぞ。


 心の片隅でそんなことを思いながらも、セプティミウスはスパルタカシウス家の馬車の横まで来ていた。


「?…おい!」


 セプティミウスは近くにいた立哨の軍団兵レギオナリウスを呼びつけた。


「何でありましょうか、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム殿?!」


「何でこの馬車に従者が誰もおらんのだ!?

 ルクレティア様たちはお乗りになっておられるのだろう?」


「あ、御者と、あと兜かぶりガレアリイたちは『用足し』だとか言って…」


 兜かぶりガレアリイとは従軍奴隷を指す言葉であり、リウィウスたちのことだ。御者は大休止に入って直ぐに降りてどこかへ行ってしまっていたし、リウィウスたちも三人そろって「用足し」と称して近くの森へ姿を消してしまっていた。


「何だと!?

 守るべき貴婦人を放置してか!?」


 あり得ない事だった。

 何で馬車に御者とは別に従者席フットマンズシートがあるかと言えば従者フットマンを乗せるためである。そして従者フットマンの一番の仕事は、乗客(この場合は主人)が馬車に乗り降りする際にドアを開閉したり、踏み台を用意したりすることだ。

 街道など一部の道路を除き舗装されていない道路が普通のこの世界ヴァーチャリアでは道路にはけっこうな大きさの凹凸が普通にある。そしてそうしたデコボコした道路でも安定した乗り心地や走破性を維持するため、馬車の車輪の直径は大きく作られる。車輪の直径は小さいより大きい方が凹凸を乗り越えやすいからだ。結果、馬車のキャビンの床は地面から結構高くなってしまうのが普通であった。

 屈強な男であればヒョイと飛び乗るくらいは出来るかもしれないが、正装に身を包んだ貴人に脚を大きく上げて飛び乗ったり、ジャンプして地面に飛び降りたりなんてまずできない。くるぶし丈の長衣ストラまとった貴婦人に至っては何をいわんやである。

 だから馬車から乗り降りする際は踏み台を用意せねばならない。その役目を果たすのが従者フットマンだ。御者とは別に従者フットマンを雇えないような貧乏貴族は御者が従者フットマンの代わりに踏み台を用意するようにしてたりもするが、御者台は前方が見えるように馬の背よりも高い位置に設けられるため乗り降りするのは結構ホネなので、金に余裕がある限りは御者とは別に踏み台やドアの開け閉めを行う専門の従者フットマンを用意する。馬車に乗ること自体もそうだが、御者とともに従者フットマンはべらせるのは上級貴族パトリキのステータスの一つでもあった。

 とまれ、従者フットマンはおろか御者さえいないとなれば、誰もドアを開けないし踏み台も用意しない。これでは中に乗っているルクレティアやヴァナディーズがもし外に出たいと言い出したらどうするのか!?セプティミウスが驚きあきれるのも当然であろう。


「すみません!

 その、周りは我々も守っておりますし、すぐに戻ると思いましたものですから」


 呆れて大きい声を出したセプティミウスに、兵士は自分が怒られたような気になって慌てて弁解を始める。


「いや、いい…貴様を怒ったわけじゃない。

 持ち場へ戻れ!」


「し、失礼します!」


 兵士は敬礼をすると回れ右して先ほどまでいた場所へ駆け戻った。セプティミウスはため息をついて自身のすぐ後ろについてきていた従兵を振り返り目配せすると、従兵は軽く御辞儀してから小走りで馬車の後ろへ回り、従者席フットマンズシートの足元にあるトランクを開けて踏み台を取り出し、キャビン横のドアのすぐ下に設置した。

 セプティミウスはその踏み台にあがり、咳ばらいを一つしてからドアをノックする。


「失礼いたします。

 アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウスであります。」


『?どうぞ』


 セプティミウスが名乗ると中からルクレティアがあからさまに戸惑った様子で返事をする。それはそうだろう。普通、名乗りは名告げ人ノーメンクラートルがするものであって、客人本人が自ら名乗ることなど滅多にあることではない。取り次ぐべき従者が居なくなっていることにルクレティアは気づいても居なかった。

 セプティミウスは再び咳ばらいを一つして「失礼します」と言いながらドアを開けた。


「ルクレティア様、もしよろしければヴァナディーズ女史からお話を伺うお許しを戴きたく存じますが、いかがでしょうか?」


 狭いキャビンの中にはルクレティアとヴァナディーズの二人が乗っているだけであり、現時点でセプティミウスとヴァナディーズはお互いの姿を視認できているし直接話をすることも出来る。

 だが、この場合馬車の最上位者はルクレティアであり、同乗者たるヴァナディーズはルクレティアの庇護下にあると言って良い。したがって、ルクレティアの同意なくヴァナディーズと直接話をすることは出来ないのだ。ルクレティアを差し置いてヴァナディーズと直接話をすることは、ルクレティアの上級貴族パトリキとしてのメンツに泥を塗るに等しい暴挙となってしまう。


「少しお待ちください。」


 ルクレティアはセプティミウスにそう答えると、ヴァナディーズに向き直った。


「先生、大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫です。ですが、話は少し長くなります。

 それに、人に聞かれては困ります。」


 ヴァナディーズはまだ落ち着かない様子だったが、ルクレティアの問いかけに対してはわずかに身を震わせながらもそう答えた。ルクレティアの目にも、セプティミウスの目にも、ヴァナディーズは痩せ我慢をしているように見えた。なけなしの勇気を振り絞って覚悟を決めているのかもしれない。こういう時、タイミングを逸すると、もう話は聞けなくなってしまうかもしれなかった。

 ルクレティアはセプティミウスに向き直る。


「お話するそうです。

 ですが、時間を要するでしょう。

 いかがでしょう。

 私も同席することをお許しいただけるのでしたら、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様にこちらに御同乗いただき、道中車内でお話をお伺いするというのは?」


 セプティミウスは答えず無言のままヴァナディーズの方を向くと、ヴァナディーズはコクリと頷いた。


「ルクレティア様がお許しくださるのであれば、小官に依存はございません。」


「ではお乗りください。」

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