第95話 避難民の移送準備

統一歴九十九年四月十一日、昼すぎ - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「どういうことだ!

 ウチアイゼンファウストの住民を保護できないとでも言うつもりか!?」  


 昼を過ぎたばかりの会議室に怒声が鳴り響いた。

 マニウス要塞カストルム・マニ要塞司令部プリンキピアに怒鳴り込んできたのは昨日のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱事件で焼失面積、死者行方不明者数ともに最大の被害を出してしまったアイゼンファウスト地区の郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストだった。

 マニウス要塞に収容された避難民が退去させられようとしているという話を耳にしたのが理由である。


「そうは言っていません。

 収容した避難民にティトゥス要塞カストルム・ティティへ移っていただきたいのです。」


 怒鳴り込んできたメルヒオールに対応しているのは要塞司令官プラエフェクトゥス・カストルムではなく、要塞司令官付きの事務官カッリグラプスセウェルス・アヴァロニウス・ウィビウスだった。

 そのことも、メルヒオールが腹を立てる原因の一つになっている。


「同じことじゃねえか!

 アイゼンファウスト地区からティトゥス要塞がどれだけ離れているか分かって言ってんのか?!」


 アイゼンファウスト地区からマニウス要塞までは徒歩で一時間かそこらだが、ティトゥス要塞までは半日はかかる。ウオレヴィ橋を落とされて最短ルートが閉ざされ、マニウス要塞方面へ迂回しなければならなくなっている現状ではもっとかかるかもしれない。

 アイゼンファウスト地区とティトゥス要塞を日帰りで往復するとしたら、女子供の脚ではギリギリといったところだ。


 男たちは総出でアイゼンファウスト地区の火災後の処理にかかっており、アイゼンファウスト地区から遠く離れるわけにはいかない。なのにマニウス要塞に収容中の女子供をティトゥス要塞へ移すという事は、実質、家族を引き離すようなものだ。

 易々と受け入れられるような話では無く、メルヒオールが激昂するのも無理は無かった。


「落ち着いてくださいフォン・アイゼンファウストメルヒオール卿。

 宿舎が足らないのです。」


 メルヒオールは小柄な方だが、それでも背の高さは体格に恵まれたホブゴブリンの百人隊長ケントゥリオくらいはある。しかも、かつて暗黒街で名を馳せ、海賊退治の戦功で貴族ノビレスへ成りあがった男である。

 その迫力は並大抵のものではない。その矢面に立つセウェルスも内心では冷や汗をかいていた。


 厄介な仕事おしつけやがって・・・。


 腹の中でメルヒオールへの対応を押し付けてきた上司への不満を募らせつつも、セウェルスはあくまでも平静を保って応じ続ける。


「ハッ、何言ってんだ!

 一度収容してるんだから、足らねぇわけがねえだろ!?」


 悪い冗談でも聞かされたようにメルヒオールは鼻で笑い、背もたれに身を預けてふんぞり返った。

 実を言うとこれだけ圧をかけても目の前で平然としている半身ケロイドだらけの隻眼隻脚のホブゴブリンに内心舌を巻いており、こいつセウェルスには脅しや怒声が通用しないと判断して作戦を変えたのだった。


「実は援軍が来ることになっており、それを収容するために宿舎を調整しなければならないのです。」


 それはサウマンディウムから届いたばかりの伝書鳩がもたらした情報だった。

 秘密指定の情報ではない。避難民移送の口実として使って良いという許可は事前に得ている。


「援軍だとぉ?」


「はい、サウマンディウムから・・・一個大隊コホルス。」


 一個大隊と言えばレーマ軍の標準的編成で五百人にも達する結構な勢力だ。乗ってくるのが軍船だとすれば船乗りも海兵だろうから相当な戦力になる。


「いつ来る?」


「今朝あちらサウマンディウムを発ったそうですから、早くて明日の夕刻でしょうか?」


 メルヒオールは机に肘をつくとヌッと顔を前へ突き出す。


「・・・ハン支援軍アウクシリア・ハンの鎮圧か?」


「はっきりとはわかりませんが、今回のことと関係あるとみています。」


 声を潜めるメルヒオールに対しセウェルスの方はあくまでも事務的に答えた。

 メルヒオールはフーっと鼻を鳴らすように息を吐きながら上体を起こす。


「こっちは自分たちの被害状況も把握しきれてないし、逃げ出したハン支援軍の行方だって未だ知れねぇじゃねぇか、早すぎねぇか?」


 さも胡散臭そうにメルヒオールが口にした疑問は当然のものだろう。セウェルス自身、そう思っている。


 ハン支援軍が叛乱を起こしたことを伝える伝書鳩は確かにこちらから飛ばした。だが、被害状況もハン支援軍がその後どうしたのかも伝えていない。それらの情報はアルトリウシアでもまだ集計中であり把握しきれていないからだ。なのにもう「一個大隊派遣した」と伝えてきている。

 戦況も分からないのに一個大隊派遣するなんて普通に考えてあり得ない。


 ハン支援軍は帝国南部では知らぬ者のない程の弱兵であり、現有戦力が一個大隊を下回っていることぐらいサウマンディア軍団だって把握している。

 メルクリウス対応で各地に散っていたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアが再集結中である事を考えれば、サウマンディウムからの一個大隊はハン支援軍討伐を意図したものとしても明らかに過大な戦力と言える

 多分、サウマンディウムが保有する船舶でアルトリウシアへ一度に輸送可能な最大戦力だろう。


 状況の詳細を把握する前に過大とも思えるほどの戦力を・・・派遣可能な最大戦力を即時派遣したとなると、何か別の意図があってのことと考えるべきなのだろうが、それらしい理由は今のところ何一つない。



「だったらよぉ、援軍そっちをティトゥス要塞へ収容すればいいんじゃねぇのかい?」


あちらティトゥス要塞要塞カストルムとは名ばかりの御屋敷ドムスですから。

 それにあちらの方がセーヘイムに近いですし、魚も新鮮なまま届きますよ。」


 ウオレヴィ橋やヤルマリ橋が落ちた事でアイゼンファウスト地区はセーヘイムから最も遠い地区になってしまっているのは事実だ。朝に獲れた魚介が届くのはその日の午後になってから・・・荷馬車を急がせても昼に届けばいい方だろう。既に夏を過ぎているとはいえ新鮮な魚介なんてものが入って来ることは期待できない。

 しかし、ティトゥス要塞城下町やアンブースティア地区ならまだ朝獲れた魚介をその日の朝食で食べる事も出来なくはない。もっとも、朝食はだいたい前日の夕飯の残り物を食べるのが普通なので、朝食に魚を食べるような人間は限られるのだが・・・。


「問題はそこじゃねえ、ティトゥス要塞へ送られることでウチアイゼンファウストの住民たちが家族と引き離されちまうってことだ。」


 如何にも不満気に鼻を鳴らすとメルヒオールは身体を背もたれに預け、机の上に乗せた左手の人差し指でトントンと机を叩いて鳴らしながらそう言った。

 それを見据えたままセウェルスは小さくため息を吐いて解決策を提示する。


「ではアイゼンファウストで夫や父や息子や兄弟が働いている避難民については、なるべくこちらマニウス要塞に残しましょう。」


 マニウス要塞から避難民を追い出したいとは言っても、ティトゥス要塞も既に避難民を収容している現状ではどうせすべての避難民を移すことなど出来ない。ある程度マニウス要塞に残すことは最初から決まっていた。

 そこで誰を残し誰を移すかという選別の部分ですり合わせをしようと言うのだ。


「その夫や父や息子や兄弟が死んじまってるか生きてるか分かんねぇ場合はどうすんだい?」


「そちらで生存者の名簿を出してください。

 名簿にない名前は暫定的に死者行方不明者として扱います。」


 その一言を聞いてメルヒオールは背もたれに預けていた上体を起こし、目を剥いた。


「おいおい!手間じゃねえか!?」


 メルヒオールは昔からそういう事務仕事が大っ嫌いなのだ。

 アルビオンニウムの暗黒街で育った孤児は大人になってギャングとしてある程度の地位についてからようやく読み書きの勉強を始めたのだ。郷士になった今、必死に勉強してラテン語の読み書きはある程度覚えたが、ドイツ語の方は自分の名前しか書けないし、他はほとんど読めない。


「食糧配給の過不足を無くす上でも必要な事です。」


 言ってることは間違ってないから言い返せない。

 そもそも住民の把握は郷士の仕事の基本だ。


「・・・わかった、明日持ってくる。」


にお願いします。」


「何だと!?」


「明日の夕方には援軍が到着するのです。それまでに避難民を移動させなければなりません。そのためには今日中に頂く必要があります。」


 冷淡に言い放つセウェルスのその目は「あなたが言い出した事ですよ」とでも言っているかのようだ。

 その姿はメルヒオールに最初に読み書きを教えた落ちぶれた学者を思い出させる。


 くそっ、学のある奴ぁみんなこうなのか?

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