第94話 崩落した橋

統一歴九十九年四月十一日、昼 - ウオレヴィ橋/アルトリウシア



 海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアからリクハルドヘイム地区中央に位置する赤い柵に囲まれた市街地 《陶片テスタチェウス》へ逃れ生き延びた住人は三千百二十一名に達した。

 この内、三十二人の重傷者が今朝までに息を引き取ったが、アルビオンニア侯爵家ならびにアルトリウシア子爵家とアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアから今朝になって大量のポーションの支給があったため、おそらく死者数の増加は頭打ちになるだろうと予想されていた。



 避難民のうち被害の少なかったティトゥス要塞城下町カナバエ・カストルム・ティティマニウス要塞城下町カナバエ・カストルム・マニ、そして被害を全く受けなかったセーヘイムに親戚や家族のいる者たちは、朝からそちらへの移動を始めていた。

 彼らには出ていく前に門のところで一応、名前と元の住所と行先を記録させてもらっている。このため、《陶片》の東側にある三つの門はいずれも渋滞を起こしており、中にはその渋滞を見て出発を明日へ延期した者たちも少なからず存在した。


 海軍基地城下町は建物の半数以上が全焼したが、南側のヤルマリ川沿いの一部と北側のウオレヴィ川沿いを中心に約三割ほどが居住可能な状態で火災を免れていた。

 ウオレヴィ川沿いの市街地は城下町カナバエの北側で擾乱じょうらん作戦を展開したドナート隊の退路確保のためにあえて火が付けられなかったため、結構な範囲で建物が傷一つ付かない状態で残っている。当日、北寄りの西風が吹いていた事も多少影響しているだろう。


 焼け残った建物の住人たちは自分の家だけでも焼け残ってくれたことに安堵はしたものの、再び自分の家に戻ったのはそのうちの半数程の三百四十二人にとどまった。

 それ以外の者たちはいくら家が焼け残ったとはいえ、生活必需品を購入するための店舗や職場が焼け落ちており、どのみちここで生活は続けられないと判断し、他地区へ逃れる事を選択したのだった。


 結局、海軍基地城下町に戻る住民と、《陶片》に残って海軍基地城下町を再建して戻ることを希望する住民は合計すると全体の半数の約千五百人に満たないくらいだった。

 その中の力仕事の出来る男たち約四百人と《陶片》からリクハルドがかき集めた人足約三百人が城下町の焼け跡で死体の捜索と瓦礫の撤去作業を行っている。

 火災の方は小さな再燃火災があったものの、昼前には全て鎮火が確認された。

 水兵の生き残りは海軍基地カストルム・ナヴァリア内の片付けだ。



「フンッ、やられてんのは橋脚一本だけか?」


 『バランベル』号からの砲撃で破壊されたウオレヴィ橋の上で、被害状況を見分しているリクハルドが鼻を鳴らしながら言った。

 城下町と海軍基地の片付けの指示をあらかた出し終えたリクハルドは側近を数名つれて真っ先にウオレヴィ橋の状況確認に来ていた。

 ティトゥス要塞カストルム・ティティ経由で橋が落ちたというティグリスからの報告を受け取ってはいたが、リクハルドたちが橋の状況を実際に確認するのはこれが初めてである。


「構造体の被害は橋脚一本と、その上に乗ってた橋桁だけですね。

 しかし、橋板はしいた(橋の路面を構成する板、家屋で言う床板に相当)もだいぶやられてるから、この辺はゴッソリ替えねぇと。」



 修理の見積もりを出させるために連れてきた大工の棟梁とうりょうが屈んで陥没してしまった部分を覗き込んだまま言った。

 彼はかつてアルトリウシア軍団で工兵の指揮を執っていたという経歴を持つ老練のホブゴブリンだ。簡素だが割安の住居建築と土木工事を得意としており、《陶片》では木造集合住宅を数多く手がけていて、リクハルドはその能力と実績を高く評価していた。



「上に板ぁ渡して通れるようには出来ねぇかい?」


 早く再開通させたいリクハルドが訊ねる。


「人は渡れるようにはなるでしょうが、荷馬車は無理でしょうな。

 橋脚一本分飛ばして荷馬車の重さに耐えられるだけの橋桁用意して、その上に板を渡すことはできなかありやせんが、その分ごつい橋桁を乗せる事になる。

 荷馬車が乗り越えるにゃデカすぎる段差になるでしょうよ。」


 棟梁は立ち上がると振り返り、リクハルドを値踏みするような表情で顎をさすりながら説明する。


「そこは何だ、何かスロープになるような斜めに切った枕木かなんか置いてさ。」


「どのみち本格的な修理をしねえと、半端に崩れ落ちてる分が川の流れを受けて橋の生き残ってる部分を川底へ引きずり込んじまいますぜ。

 本格的に直すならどうせ橋は通行止めだ。

 下手に応急修理するより、最初からちゃんと直しちまった方が安いし早いってもんですぜ?」

 

 たしかに橋脚が折れた事で支えを失い、落ちた橋桁や橋板の一部は水面に没していて川の水の流れを邪魔している。

 大雨等で増水したり、川を何か流木等が流れて来てこれらに当たれば、まだ生き残っている部分を巻き込んで川へ流されてしまう事だろう。実際、外れた橋板の何枚かが水流に引っ張られてずり落ちている。

 それを避けるためには、川へ落ちてしまっている部材だけでも撤去しなければならない。

 どうせ橋は欄干すらない簡易な木造橋だ。そこまで処理するならそこから応急修理するよりいっそ本格的に直してしまった方が早いし安い気もしてくる。


「うーん、どんくれぇかかる?」


「金ですかい?うーん、これだと・・・」


「いや、時間だ。何日くらいで元に戻せる?」


「材料が揃ってりゃ五日とかかりやせんぜ?」


「五日もかかんのかよ!?」



 リクハルドは大袈裟に驚いて見せた。

 どうせこいつらは工期延長なんて無様を晒さないように、ある程度余裕を持って見積もってるはずだという事くらいは理解している。だからどれだけ短い工期を提示されたとしても、一旦はさも長すぎると言わんばかりに驚いて見せる事に最初から決めていたのだ。

 そのように心の準備をしていたからすんなりとその通りのリアクションが出来たのだが、実際にはそのように口にしながらも想像していたより工期が短い事に驚いていた。



「・・・郷士様ドゥーチェなんも無え所に一から作るってぇならこの川幅でこの程度の橋で俺の門弟全部とありったけの人足投入して十日ってところでしょうよ。

 ところが今回はこの壊れた橋脚分だけ、長さはざっと十ピルム(約十八メートル半)しかねぇんだから一日二日いちんちふつかで出来るだろう、なんて思われたとしても無理はねぇ。

 だが、そいつぁ素人さんの考えだ。

 実際にゃあ橋をかけなおす前に古いのをけなきゃいけねぇ。

 一度きれいにさらにして、そっから橋脚を打ち込みなおさにゃなんねぇんだ。

 その手間考えたら五日ってのはいいトコだと思いやすがねぇ?」


「あの橋脚使えねぇのか?

 下は生き残ってんだろ?

 折れてるとこのちょっと下あたりでぶった切って継ぎ足してさあ。」


「出来ねぇこたぁねえが、手間は大して変わりやせんぜ?

 そのくせ強度は一段落ちちまう。

 だったら橋脚打ち直した方がマシってもんでさ。」


わあったよ。それで見積もりだしてくれ。」


「じゃあ、請求は郷士リクハルド様宛で?」


「馬っ鹿おめえ、誰がどんだけ払うかなんかまだ決まってねぇよ。

 この橋が必要なのは俺んトコリクハルドヘイムだけじゃねえんだ。

 何でリクハルドだけ払わなきゃなんねぇの?」


「えっと、じゃあどなたに?」


「そいつぁこれから決めんだよ。

 ただ、そん時話を早く進めるために先に見積もって貰ってんじゃねぇか。

 ホントは領主様に全額出して貰いてぇところだが、最低でもティグリスの野郎と折半に持ち込んでやる。

 てか、海軍基地の城下町住民にとっても必要な橋なんだからヘルマンニのジジイにも出してもらわなきゃな、あっちセーヘイムは被害受けてねえんだし。」


「はぁ・・・」


 何でこの人はこうも芝居がかった大仰な物言いをすんのかねぇ?


 と、内心思いながら棟梁は頭を掻いた。付き合いが始まって大分たつが、時々リクハルドに付いていけなくなることがあるのだ。ちょうど今みたいに。


「そんな顔すんなよぉ。

 それはそうと、もう一件見積もってほしいモンがあんだよ。」


「え、じゃあコイツの見積もり作業は・・・」


「細けぇ事は後でもう一遍いっぺん来てやってくれ、先にそっちを見に行くから。」



 ウオレヴィ橋を後にした一行が向かったのはヤルマリ橋だった。

 修理しなきゃいけない範囲はウオレヴィ橋と同じくらいで十ピルム(約十八メートル半)分くらいだったが、こちらは橋の上で火薬樽三つを使って爆破しただけ破壊が激しく、派手に崩落している。

 崩落個所の橋脚は残っていたが、その上に乗っている筈の橋桁が全部折れて川面へと落ちており、上に乗っていたはずの橋板もバラバラになって川面へ落ちていた。

 崩落個所から北側の橋板は橋中央部分が真っ黒に焼け焦げている。



ひでぇなぁこりゃ」


 橋の上から崩落個所を見下ろすリクハルドは溜め息をついた。


「こいつぁ、崩落個所からこっちの橋板は全部替えなきゃいけませんねぇ。」


「なんだよ、上っ面が焦げてるだけだろ?」


「焦げてんのはそうですけど、人や馬車くるまが通りゃそのうちだけが落ちる。で、焦げが落ちたトコがくぼみになって残る。そこが水たまりになって腐りやすくなるんでさ。

 冬は凍りやすぜ?」


「そんなもん、表裏ひっくり返しちまやぁいいんじゃねぇのかい?」


「表も裏も平らに削ってあるならそうでしょうがね、裏は多分丸太のまんまですぜ?

 丸太のまんまじゃデコボコして車は通れねぇし、平らにしたら薄くなっちまう。」


 言われて川面に落ちている橋板を見ると、確かに裏側が丸太のままの板がかなり多い。


「裏も平らにしている板もあるじゃねぇか、それなら使えンだろ?」


「そりゃまあね。」


「じゃあ、それだけでも使いまわしてくれ。」


「分かりやした。

 じゃあ、こっちも請求先は未定なんですね?」


「あたぼうよ!

 こっちはおめえ俺っちリクハルドヘイムにゃあんま関係無ぇ橋だもん。

 払うのは領主ドミヌス様かメルヒオールの野郎よ。

 半分だって出してやるもんかよ。」


 リクハルドは鼻で笑うようにそう言った。

 実際、城下町からこの橋を渡って行った先にはアイゼンファウスト地区の貧民街しかない。いちおう、マニウス要塞まで通じているが、マニウス要塞方面まで行くなら《陶片》から東へマニウス街道へ出た方が近いのだ。


カシラリクハルド、あれ見てく出せえ!」


 そろそろ帰ろうかとしていたところ、すぐ脇にいた手下が橋脚の根元を指さした。

 そこには崩れ落ちた橋板が積み重なっていたが、その隙間から橋脚に括り付けられた火薬樽がわずかに顔を覗かせていた。

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