第96話 増援受け入れ態勢

統一歴九十九年四月十一日、午後 - ティトゥス要塞司令部/アルトリウシア



「一個大隊コホルスだと?」


 ティトゥス要塞カストルム・ティティ要塞司令部プリンキピアにおかれたハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件被害対策本部の席上でマニウス要塞カストルム・マニからもたらされた報告にアルトリウシア子爵ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスは驚きの声をあげた。


「一個大隊とは、どれほどの人数になるのです?」


「およそ五百人と言ったところです。

 おそらく、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアが一度に船で運べる最大兵力でしょう。」


 軍事にうといアルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネ・フォン・アルビオンニアの疑問に衛兵隊長のゲオルグが解説を添えて答える。


 その一報はサウマンディウムから伝書鳩を使って今朝放たれたものだった。

 内容はハン支援軍の叛乱に対しサウマンディウムから増援一個大隊を急派というもので、他にも筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスのカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子と軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのアントニウス・レムシウス・エブルヌスが同行している事を複数の通信用リボンに分けて伝達してきている。



「マニウス要塞では既に受け入れ態勢を整えつつあります。

 これに乗じて要塞に受け入れている避難民の一部をティトゥス要塞こちらへ移送する予定です。」


 昼前に到着した伝書鳩の情報を馬を飛ばして持って来た幕僚がそう付け加える。


「さすが、対応が早いな。」


 伝書鳩と幕僚が運んできてくれた伝達リボンを隣のエルネスティーネに手渡しながらルキウスがつぶやいた。


「恐縮です。」


「ああ、いや・・・」


 ルキウスはサウマンディウムの対応の早さに感心したのだったが、それを自分が褒められたと勘違いした幕僚が礼を言ってしまった。ルキウスは一瞬訂正しようかとも思ったが、無駄に幕僚の気分を損ねて士気を下げる事もあるまいと言葉を濁す。


エルネスティーネ戦事いくさごとには疎いのですが、この人数はどう捉えればよいのですか?」


 サウマンディウムから届いた伝文を読みながらエルネスティーネが質問した。軍事に関して全くの素人であることを自覚している彼女は分からない事に付いては素直に助言を求める良い癖を身に着けてた。

 彼女の質問にはルキウスが答える。


「一言で言って大兵力と言って良いでしょうな、少なくとも今のこの状況では。

 サウマンディアから一度に船で運ぶことのできる最大兵力であり、同時にハン支援軍を独力で排除することができるだけの兵力です。」


「つまり、サウマンディア伯爵プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス公はハン支援軍を鎮圧するつもりである・・・ということですか?」



 レーマ帝国における軍編成は軍団レギオーという単位を基本としているが、所属や編成の経緯によって近衛軍プラエトリアニ野戦軍コミターテンセス辺境軍リミタネイそして支援軍アウクシリアに分類できる。

 近衛軍と野戦軍はレーマ帝国そのものに従属する、いわば正規軍だ。野戦軍の最高司令官は皇帝インペラトルだが、帝都レーマ防衛を担う近衛軍は皇帝ではなく元老院の管轄になっている。皇帝一人に兵権を集中させて皇帝の力が強大になりすぎることを防ぐため、そのような制度になっている。


 サウマンディア軍団やアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア、そしてアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアは辺境軍に分類される軍団レギオーである。辺境軍とは各地の領主貴族が自前で編成し、領地防衛のために運用することが義務付けられた軍団のことで、それぞれの軍団のトップは当然ながらその領地貴族になる。レーマ帝国からの要請により援軍として派遣されて野戦軍の指揮下で戦うこともあるが、厳密には皇帝や元老院の指揮下には入らない。


 これに対して支援軍とは言ってみれば傭兵部隊に相当する。

 本来「支援軍」とはレーマ帝国と協力関係にある部族や恭順した部族らがさまざまな理由から派遣した同盟軍のことであるが、その最高司令官はレーマ皇帝である。

 このため、支援軍と敵対するということは下手するとレーマ皇帝に楯突くことになりかねない。これまで散々問題ばかりを起こしてきたハン支援軍に彼らが手を焼いていたのはそのせいだった。

 ハン支援軍はアルビオンニア方面の対南蛮サウマン作戦支援を名目に派遣された部隊であり、アルビオンニア軍団やアルトリウシア軍団に協力はするが、必ずしも命令に服さなければならないわけではなかったのだ。


 ただし、ハン族はレーマ帝国によって武力と謀略で鎮定された蛮族であり、そこから反乱分子を出身地から引きはがす目的で王族を中心に傭兵化された部隊であった。

 征服した国や都市に有力な敵対勢力が残っていては騒乱の原因になり、統治に支障をきたすことになる。ゆえに、命を保障する代わりに帝国への忠誠の証として軍を派遣せよと要求し、被征服地の敵対勢力を中心に支援軍を編成して遠隔地へ送り出す。レーマ帝国ではこの方法でいくつかの征服地を無力化させてきた。

 ハン支援軍もそうした経緯で編成、派遣された部隊であったため、帝国に対して叛乱を起こしたというのであれば遠慮なく叩き潰すことができる。



「素直に考えればそうなりましょうが、厳密にはハン支援軍に対してはという程度のものでしょう。

 積極的な軍事行動はとらんと思います。」


 そもそも、叛乱が起きたのはアルトリウシアであり、これを鎮圧するとしたらそれはアルトリウシア軍団かアルビオンニア軍団の仕事である。援軍を求められたわけでもないのにサウマンディア軍団が出てくるのは越権行為であり、領主として許されることでは無い。

 もちろん、プブリウスはその程度の事は弁えているし、エルネスティーネにしろルキウスにしろ、プブリウスがアルビオンニアに良からぬ野心など抱いてない事ぐらい承知していた。今回の派遣はアルトリウスも承知しているだろう。



「と、いうことは別に意図があるという事ですか?」


「事態の早期鎮静化に全力を尽くすための派兵でしょう。」


「・・・目的は叛乱事件の早期鎮静化だけど、叛乱軍の鎮圧ではない?」


「ええ、伯爵プブリウスにらんでいるのはハン支援軍ではなく降臨者リュウイチ様です。」


 今回、伝説のゲイマーガメル暗黒騎士ダークナイト》の降臨という未曽有の事態が発生してしまった。しかも、嘘か真かわからないが、その《暗黒騎士》は《レアル》へ帰還できないという。

 降臨を防げなかったことは遺憾ではあるが、起きてしまったものはしょうがない。まず考えねばならない対応は如何にして《暗黒騎士》がその絶大な力を行使する事態を防ぐかだ。そのためには、降臨者の近辺の情勢を安定させ、当人が力を行使する必要をまったく感じないようにしなければならない。


 しかし、間の悪い事に今回のメルクリウス目撃情報対応でアルトリウシアを軍事的空白状態にしてしまい、ハン支援軍の叛乱を誘発してしまった。その上、その事実を知らなかったから仕方ないとはいえ降臨者リュウイチをアルトリウシアへ護送してしまった。


「つまり、これは降臨者リュウイチ様がアルトリウシアへ来ている事を踏まえたうえで執られた対応ということですね?」


「アルトリウスが昨日の内に直接報告している筈ですからな。

 伯爵プブリウスとしては降臨の事実と降臨者をアルトリウシアへ護送したという報告と、アルトリウシアでハン支援軍が叛乱を起こしたという報告をほぼ同時に受け取った筈です。」


「それで即座に軍勢の派遣を決めた・・・それがこの一個大隊ですか。」


「果断と言って良いでしょうな。

 サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアも今回のメルクリウス騒動であちこちに部隊を派遣していた筈、それを次の日の早朝には一個大隊を遠征に出すのですから。」


 サウマンディウムからアルトリウシアまで伝書鳩で半日以上はかかる筈なのに、マニウス要塞にこの伝文が届けられたのは昼前だという。であるならば、遅くとも今朝の日の出前には放鳥している筈であり、派兵を決断したのは昨夜の内であろうことは確実だった。


「ならば、この大隊は降臨者リュウイチ様の事も知らされていると考えてよいのでしょうね?」


 せっかく増援が送られてくるとしても、その増援に対しても降臨者リュウイチの存在を秘匿しなければならないとしたらかなり面倒な事になる。それならむしろ来てほしくないくらいだ。


軍団兵レギオナリウスの一人一人まで全員に周知されているかはわかりませんが、少なくとも兵を率いている指揮官たちは確実に承知しているでしょう。

 指揮しているのは筆頭幕僚のカエソー・ウァレリウス・サウマンディウスだそうですし・・・」


「伯爵公子ですね、何度かお会いしたことがあります。」


「それに軍団幕僚のアントニウス・レムシウス・エブルヌス・・・」


「御存知なのですか?

 私はこの方の名前は記憶にございませんが、新任の方かしら?」


 エルネスティーネは侯爵夫人という立場上、隣接するサウマンディア属州の重鎮や有力者とはほぼ全員と面識があり、サウマンディア軍団の軍団幕僚も全員見知っている筈だった。


「新任ではありませんが、面識が無いのも無理はありません。

 彼はサウマンディア軍団の幕僚であると同時に元老院議員セナートルですからな。」


 ルキウスの説明を聞きエルネスティーネは眉を持ち上げ、何度か黙ったまま頷いた。


「なるほど、元老院議員が来るという事は降臨者リュウイチ様がお目当てで間違いないでしょうね。」


「案外、この一個大隊が丸ごと元老院議員の護衛である可能性すらありますな。」


 ルキウスが軽く笑いながら言った。


「でも、それでこの増援が積極的に戦わないだろうという子爵ルキウスのお考えが理解できましたわ。

 だとすると、この一個大隊はすぐには御帰りにならないのではなくて?」


「彼らの仕事が元老院議員の護衛だけではないというのであれば、当面はこちらに留まることになるでしょうな。」


 ルキウスはエルネスティーネの指摘に感心を示す様に同意した。

 誰も口に出す前から「増援部隊」がいつまで滞在するかを気にしているという事は、今後どうなるか、どうするかについて積極的に考えを巡らせている事を示している。しかもその考えは状況を的確に捉えたものであるようだ。


「少なくともこの叛乱事件が解決するまで、もしかしたらその後も降臨者リュウイチ様がこちらに滞在されている限りは、彼らもこちらに駐屯しつづけることになりそうですね。」


「もしかしなくてもそうなると考えておくべきでしょう。」

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