第97話 マニウス要塞の避難民たち

統一歴九十九年四月十一日、夕 - マニウス要塞/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニには二つの軍団レギオーが駐留することを想定して建設された。

 敷地中央に要塞司令部プリンキピア軍病院ウァレトゥディナリウム公衆浴場テルマエといった共用施設が並び、それらを境に東西対称に各軍団用の施設が建設されている。

 軍団総司令官ドゥクス・レギオニスまたは軍団長レガトゥス・レギオニス用の宿舎プラエトーリウムが二軒、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム用の宿舎が十四軒、大隊長ピルス・プリオル以上の高級将校用の宿舎が三十二軒、軍団兵レギオナリウス用の兵舎が百二十棟、そのほかに厩舎や木工所、金工所といった作業場に穀物倉庫ホレアに火薬庫といった各種倉庫が立ち並んでいる。


 それで普段常駐しているのがアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアのみであり、それも定数の半分以下にまで兵員数が減っている状態で、しかもその半数以上が長期に渡ってインフラ整備工事へ派遣されっぱなしになっているとあっては、要塞内は廃墟も同然の閑散とした状態であった。



 しかし、それも昨日までの話である。


 ハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱によって家を焼かれた避難民たちを大量に受け入れたため、建設以来ほとんど使われていなかった兵舎も大部分が埋まっており、今は要塞建設以来初と言って良いほどの賑わいを見せている。


 広場フォルムや広い通路にはテントも立ち並び、特に負傷しているわけでも病気でもない男性避難民らはそこへ押し込められている。

 他にも野外炊事場が設置され、食事の炊き出しや配給が行われている。出されているのはもちろん小麦粥プルス一品のみだが、避難民の多くが元々食うや食わずの貧民であったことを考えれば、味はともかく具の入った小麦粥を朝晩二回も食べられるのは人によってはむしろ贅沢と言えるかもしれなかった。

 実際、普段食べてる物よりだいぶ良いと感じている者は少なからずいた。


 そして、そうであるからこそ、配給の列に二度三度と並ぶ不届き者が現れ問題になっていた。

 不正を働く者を摘まみ出すのは簡単だが、それをすると間違ってまだ食べてないのに摘まみ出されるも出てくる。

 名簿と照らし合わせて確認しようにも、不正を働こうとする者たちは平気で他人の名前を使い、今度は名前を使われた者が食べられないという事態も生じる。

 整理券や配給券みたいなものを作ろうという意見もあったが、今からでは準備が間に合わないし、それより何よりどうせこの避難民らはティトゥス要塞へ移す予定だからという事実が責任者たちの問題解決への意欲を大きく削いでしまっていた。

 結局、腹をすかせた避難民の作る行列がなくなるまで小麦粥を追加で作り続けることになった。 


 おかげで野外調理場の周辺は戦場さながらの忙しさだ。

 そして、その喧噪から離れたところでは兵士や事務官カッリグラプスたちが降ってわいた二つの異なる新たな仕事に追われていた。


 一方は使われていない方の軍団長用宿舎の清掃と修繕、そして家具や調度品等の据付け作業。

 使われていないとはいえ一応定期的に設備の手入れは行われていたので修繕が必要なところは無かったのだが、内部の庭園の植え込みの手入れやら調度品の飾りつけやら、カーテンやカーペット等の洗濯や交換等意外とやる事が多い。

 特に調度品はティトゥス要塞カストルム・ティティや隣のアルトリウスが使っている方の軍団長用宿舎からも最上等の物がかき集められ、アルトリウスの家令マルシス・アヴァロニウス・タムフィルス指揮の下で作業が行われていた。

 無論、降臨者リュウイチを迎え入れる準備である。


 

 もう一方は現在兵舎に収容している避難民の中からティトゥス要塞カストルム・ティティへの移動に同意する者を募り、最低でも一個大隊分以上の兵舎の空きをつくる。その準備作業である。


 ホントは全避難民を退去させたいのだが、ティトゥス要塞カストルム・ティティの兵舎は既に半分以上埋まっているのでさすがに今マニウス要塞に収容している避難民全員をティトゥス要塞へ移動させる事はできない。

 一時はマニウス要塞を取り囲む稜堡りょうほへ移そうかと言う提案もなされたが、各稜堡にある武器庫や火薬庫の警備上の問題が生じる事から却下された。


 結局、妥協案としてティトゥス要塞へ移せるだけ移し、高級将校用宿舎周辺の兵舎を開けられるだけ開けて避難民が降臨者リュウイチの宿舎に近づかないようにしようという事になった。

 そのため、名簿を持った事務官や兵士が避難民を収容している兵舎を巡回しているのである。

 移動に同意する者は意外と多かった。

 問題があるとすれば同意した者の多くが売春婦だったことだろうか。



 アイゼンファウスト地区は元々ヒトが多く、売春婦もヒトが多い。マニウス要塞に収容した避難民も女性を優先したため、売春婦がかなりの割合を占めていた。

 彼女たちも生活がかかっているので商売したいのだが、今回の大火災で彼女たちの顧客の多くも被災してしまっているので、このままアイゼンファウスト地区に居続けても復興するまでは客が取れそうにない。

 かといってマニウス要塞もその城下町もホブゴブリンばかりで、ヒトの男は数が少ない。おそらくマニウス要塞に収容された売春婦の数より少ないだろう。ヒトの男は美的センスに合致しないゴブリン系の女を抱きたがらないし、ゴブリン系の男はヒトの女を抱きたがらないから、売春婦も同系種族の少ない町じゃ商売できないのだ。


 しかし、ティトゥス要塞城下町カナバエ・カストルム・ティティならティトゥス要塞にヒトの領主であるアルビオンニア侯爵家がいるため、アイゼンファウスト地区と同じくらいの割合でヒトがいるし、そっちは被害が小さいそうだからこっちに残るよりティトゥス要塞へ行った方が商売できるんじゃないかと考える売春婦が多かったのだ。

 ティトゥス要塞城下町の治安を考えるとあまり歓迎したくない理由ではあるのだが、今はとにかくマニウス要塞の避難民を減らすことが最優先なので避難民自身が何を期待しているかはひとまずあえて無視されている。だいたい、ティトゥス要塞城下町の治安問題は彼らの仕事ではない。

 昼下がりから始まった作業は意外と順調な滑り出しを見せていたにもかかわらず、一時間も経たないうちに急に行き詰まりを見せ始めていた。



「あれ、この棟にはもっといる筈だろう?」


「そっちの部屋にいた人なら今、風呂テルマエに行ってるよ兵隊さん。」


 こんな会話が増えだしたのだ。

 避難民も人間なんだから狭苦しいだけで何もない兵舎に閉じこもっているわけがない。非番の兵士だって寝る時以外は兵舎の外で過ごすのが普通だ。ましてや昼から夕方までは公衆浴場のもっとも繁盛する時間帯である。

 夕方までにサッパリと格好良く身なりを整えてさえいれば、気前のいい保護民パトロヌス貴族ノビレスから招待されて御馳走にありつく幸運は、レーマでは誰にでも訪れるものなのだ。

 それが避難民には公衆浴場が無料開放されているとなれば、風呂に行かないわけがない。要塞内の兵士用公衆浴場も城下町カナバエの公衆浴場も、どちらも普段の倍以上の客でごった返すのも当然だった。


 居ないんじゃ仕方が無いのでしばらくしてからもう一度巡回しようということになる。しかし、出直してきた兵士たちの訪問調査は再び空ぶることになる。


「あれ、この部屋の人はまだ戻らないのか?」


「ああ、その部屋の人なら夕飯食べに行っちまったよ。」


 ホントなら灯りが要らない内に仕事を終わらせたかったが、その見通しはいささか甘かったと言わざるを得ないだろう。

 避難民に食事を配給している野外調理場周辺は混雑を極めていて、わざわざそちらへ聞き取り調査に行くわけにもいかなかったし、いつ帰って来るかもわからない避難民をこのまま待ち続けているわけにもいかない。


 仕方ないとあきらめた兵士が「じゃあ時間を改めてまた来るよ。」と言い残して一度退去したのだが、その兵士らは日が沈んでから松明片手に出直してきた時、再び似たような目に合うのだった。


「この部屋の人はどうした?」


「ああ、その部屋の人なら今、外へよ。」

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