第98話 カール・フォン・アルビオンニア

統一歴九十九年四月十一日、夕 - アルビオンニア侯爵邸/アルトリウシア



 ティトゥス要塞カストルム・ティティ要塞司令部プリンキピアの西隣には軍団長レガトゥス・レギオニス宿舎プラエトーリウムが二軒南北に並んでおり、北側をエルネスティーネがアルビオンニア侯爵邸として利用させてもらい、南側をアルトリウシア子爵邸としてルキウスが使用している。

 エルネスティーネには亡き夫マクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵との間に子が四人いる。一番上の子は長女ディートリンデで現在十歳、次が長男のカールで現在八歳、その下に次女エルゼで三歳になったばかり、最後が昨年生まれたばかりの三女カロリーネ〇歳だ。

 ホントなら長男カールの下にもう一人、次男のレオンハルトがいたのだが、彼は二歳になって間もなく世を去っている。


 エルネスティーネは要塞司令部での会議の後、今日は夕食の炊き出しの手伝いを休んで風呂に入って一度身を清め、今はカールの部屋の前に立ってた。

 扉をノックすると部屋の中からスタスタと軽い足音が聞こえ、音もなく扉が開かれる。中から顔を出したのはカール付きの侍女の一人クラーラだった。


「奥様!」


「カールに会いたいのですが?」


「はい、ようこそおいでくださいました。

 カール様もきっとお喜びになられます。」


 そう言うとクラーラは一歩下がってエルネスティーネに道を譲った。エルネスティーネが入ると、そのクラーラは再び扉を閉ざし静かにかんぬきをかける。

 中は扉付近だけを暗幕で囲まれていて、一瞬にして真っ暗になった。

 扉に閂をかけ終えたクラーラが暗幕をねて開けると、そこは全ての窓を閉め切った上に、更に壁と言う壁に暗幕を張り巡らせたカールの居室である。昼間であろうとも決して日の光の差し込まないこの部屋では常にロウソクの灯りだけが頼りだ。

 その仄暗い部屋の中央に置かれたベッドの上に、この部屋の主カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子がその白い身体を横たえている。


母上エルネスティーネ、来てくださったのですね!?」


 カールは青白い顔をほころばせて喜んだ。


「ええカール、昨夜は来てあげられなくてごめんなさい。」


 一応、今朝も一度カールを訪れて詫びてはいたのだが、エルネスティーネは改めて謝った。


「それはもういいのです。代わりに姉さんディートリンデが来てくれましたから。」


「まあ、そうでしたね。あの娘ディートリンデはどうしたのだったかしら?」


「母上、姉さんは新しい本を持ってきてくれました。《レアル》神話の『ワルテルとヒルデグンド』です。

 今もクラーラに読んでもらっていたところです。」


「その題名だと騎士物語だったかしら?」


「はい母上・・・母上はこの物語を御存知なのですか?」


「ええ、アロイス叔父様が子供の頃大好きでしたからね。

 読んであげたことがあったわ。たしか、ワルテルが・・・」



 アロイス・キュッテルは現在アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスを務めているエルネスティーネの実の弟である。

 商家に生まれながら幼いころは騎士物語にはまり、やがて少年となる頃には軍人に、特に自分たちの祖先でもあるランツクネヒトに憧れるようになった。

 六人兄弟の末っ子だから家業を継がなければならないというような事はなかったのだが、商家出身ではレーマの神学校には行けても兵学校には貴族の推薦がなければ入れない。そして兵学校を出なければ幕僚以上にはなれない。一兵卒からではどれだけ頑張って出世しても、せいぜい大隊長ピルス・プリオルが関の山なのだ。

 しかし、姉のエルネスティーネが領主貴族であるアルビオンニア侯爵家に嫁いだことから彼に転機が訪れる。アロイスはエルネスティーネにせがんで義兄となったマクシミリアンに推薦状を書いてもらい、兵学校への進学を果たしたのだった。

 兵学校卒業後はアルビオンニア軍団に入隊、義兄マクシミリアン侯爵のもとで筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスとして実績を重ね、マクシミリアンの死を受けて軍団長への就任を果たしていた。

 カールにとっては優しい叔父であり、もっとも身近な憧れの存在である。実を言うとカールが騎士物語にハマっているのはアロイスの影響だった。

 アロイスは最も多くカールを訪ねてくれる親戚であり、そして来る度にさまざまな英雄譚を聞かせてくれるのだ。



「ああ、母上!続きを言わないで!

 僕はまだ途中までしか知らないんですから。」


 うっかり話の続きを話そうとしていると思ったカールは慌てて母の話を遮った。

 こういうところはアロイスの子供の頃にそっくりである。


「あら、そうだったわね、ごめんなさい。」


 エルネスティーネは笑いながら謝った。

 今日のカールはここ数日で一番機嫌が良かったかもしれない。それは多分、ディートリンデが与えたという新しい本のせいなのだろうが、それでもこうして我が子の元気な姿を見るのは嬉しかった。


「では私が続きを読んであげましょうか?」


「いい!

 続きはクラーラに読んでもらいます。

 クラーラ、続きを読んで!!」


 エルネスティーネが笑いながら謝ったので、どうやら馬鹿にされたと思ったカールは少しヘソを曲げてしまった。

 目を閉じ、大きな声でクラーラに命令する。


「はい、カール様。でも・・・」


 さすがにここで素直に本の続きを読み始めるほどの愚か者は貴公子の子守ナニーにはなれない。クラーラはそれがエルネスティーネをないがしろにしてしまう事に気付いていたし、さすがに戸惑いを見せた。


「いいんだよクラーラ。

 この時間に来たって事は、母上は今夜も夕食は御一緒できないんだ。

 そうでしょ、母上?」


 夕食にはまだ早い。それくらいの事は時計も無く窓を閉ざしたこの部屋の中でも分かる。

 カールの部屋の暗幕は日が落ちれば一旦巻かれ、窓が開け放たれることになっている。カールの夕食はそれからだ。

 しかし、今は未だ暗幕は閉ざされたまま・・・つまり、まだ日は沈んでいないということであり、まだ夕食の時間では無いという事だ。


 この時間にエルネスティーネがカールの部屋を訪問するということは、エルネスティーネは客人と会食をせねばならず、その日はカールと夕食を共にしないという事を暗示していた。


 カールはこのような部屋に閉じ込められ、使用人たちにばかり囲まれ、同年代の友人と呼べる者がいない。

 そのせいか歳のわりに幼いところがあり、少し我儘わがままに育ってしまっているのは否定のしようの無い事だ。だがそうだとしても、それはカールが愚かであることを意味しない。

 カール自身はむしろ聡明な方であり、特に家族や使用人たちの機微には敏感なくらいだった。


「ごめんなさい、カール。」


 偽らざる本心からの謝罪だった。

 エルネスティーネは母としての役割を本心から大切に考えている。だが、夫マクシミリアン亡き後、侯爵夫人という立場が母として在り続ける事を許してくれない。かなりの部分について、家令や衛兵隊長といった部下たちに頼り切っているにもかかわらず、どうしても最終的な判断はエルネスティーネが下さねばならなかったし、最高責任者としての立場はどうやったところで逃れようがないのだ。


「・・・ううん、いいんです。

 僕の方こそ、我儘言ってごめんなさい母上。」


 カールは目を閉じたまま悲し気にそう言った。

 涙をこらえていたかもしれない。


 エルネスティーネはカールの顔を覗き込み、額に優しくキスするとまた明日来ますと小さく告げて部屋から出て行った。



 カールは泣くのを堪えていた。

 別に母と夕食を共にできない事が寂しくて泣いていたわけでは無い。つまらない事で機嫌を損ね、母に辛く当たってしまった。そして母を傷つけてしまった。そのことが悔しかったし、自分が許せなかったのだ。

 クラーラはカールを気遣い、かたわらでジッと黙って控えていた。


「クラーラ」


「はい、カール様?」


「僕は強く成れるかな?

 病気は治るのかな?」


「ええ、きっといつか治ります。

 ですから、ご飯はちゃんと食べないとダメですよ?」


 カールはアルビノだった。

 皮膚も髪の毛も真っ白で瞳は赤い。

 日の光を浴びると、半時間ほどで肌が焼けただれてしまう。

 だから、生まれてからずっとこのように日の光を避ける生活を続けている。その結果、ビタミンDの欠乏からになってしまった。

 手足や背骨が曲がり、もうまともに立つこともできない。それどころか、一人で寝がえりを打つことすら難しい。下手に動くと骨折する事もあった。



「でも、牛乳粥ミルヒブライはもう嫌いだ。」

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