第99話 秘密の晩餐会

統一歴九十九年四月十一日、夕 - ティトゥス要塞内子爵邸/アルトリウシア



 レーマ帝国最南端の属領アルビオンニアは南半球に位置する。その北部アルトリウシアは四月の中旬ともなるとかなり秋も深まっており、夕焼けに赤く染まった空の下では秋の虫の美しくも儚気はかなげな声がどこからともなく響いている。

 中庭ペリスティリウム中央にお決まりのように存在している噴水は実は昨日まで水が止まったまま放置されていたものを、降臨者リュウイチを招くというので急ぎ修理させたものだった。篝火かがりびの灯りに照らされた噴水中央の女神像はこの宿舎プラエトーリウムが建設された当時ほどの勢いは無いものの、脇に抱えた水瓶から静かに絶え間なく水盤へ水を注ぎ続けている。

 残念ながら花壇に植えられた花々はちょうど季節の変り目で、中秋の花々は既に季節を過ぎて取り払われており、それでいて植え替えられたばかりの晩秋の花々はこれからという半端な時期のため、日頃から手入れは怠りなくされていたにもかかわらず彩りは冴えない。

 アヴァロニア氏族の先祖の胸像たちと共に中庭を囲う列柱回廊ポルチコを飾るアヴァロンニアの歴史を描いた吊り下げ円盤オスキッルムの数々は、風に揺れる事もなく夕日を受けて光を放っていたが、中庭を照らすにはその輝きはささやかすぎた。


 その中庭に面した食堂トリクリニウム入口の扉の前には入念に正装した二人の領主ドミヌスが衛兵と侍女たちをともなって立ち、これから開かれる晩餐会ケーナの主賓を緊張の面持おももちで待っていた。

 エルネスティーネやルキウスらが見守る中、同じ中庭に面した客間の扉が開いて中から燭台を持ったルクレティアとリュウイチが姿を現すと、二人の領主は思わず息を飲んだ。

 今更ながら襟元などを気にしつつ、薄暗い回廊を静かに歩み寄る客人リュウイチを目で追う。その距離が狭まるにつれ二人は緊張の度合いを高め、ルクレティアに伴われたリュウイチが眼前まで来ると、二人は笑みを浮かべた。



アルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネアルトリウシア子爵閣下ルキウス、降臨者リュウイチ様を御連れしました。」


『今夜は夕食にお招きいただき有難うございます。』


 ルクレティアが告げるとリュウイチがニコリと笑って挨拶をした。


「ありがとうございますスパルタカシアルクレティア様。

 今宵はようこそおいでいただきました、降臨者リュウイチ様。

 改めまして、アルビオンニア侯爵夫人エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア、歓迎申し上げます。」


「アルトリウシア子爵ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス、同じく降臨者リュウイチ様を晩餐に御招待申し上げるえいよくしますこと、望外ぼうがいの喜びとするものにございます。」


 二人の領主は相次いでそう口上を述べると、お辞儀して挨拶した。


『御丁寧におそれいります。改めましてリュウイチと申します。

 どうぞよろしくお願いいたします。』


「本当なら昨日の内に大勢招いて盛大に執り行わねばならない筈でしたのに、このようなつつましやかなモノとなってしまい、エルネスティーネも心苦しく存じております。

 どうか御容赦いただきますよう。」


『いえいえ、昨日は夜遅くなってしまっていましたし、ヘルマンニ様から大変結構な御馳走をいただきました。

 それよりなにより、そちらはそれどころでは無い筈。そのような大変な中でこのような席をワザワザ設けていただき、ありがとうございます。』


「何の何の、リュウイチ様よりご提供いただいたポーションのおかげで、本日より早速被災民にポーションを配給する事が出来ました。

 おかげさまで死者数は大きく減らす事が出来ましょう。その御恩に報おうと思えば、この程度では全然足らぬくらいです。

 このアルトリウシア子爵領領主として、アルトリウシア領民に成り代わり、改めて御礼申し上げます。」


『あれがわずかなりともお役に立ちましたなら嬉しく思います。

 あのようなもので良ければまだいくらでもございます。

 人の命が掛かっているというのであれば、出し惜しみするものではありません。

 お力になれることがございましたらどうぞ遠慮なく何なりとおっしゃってください。』


「まあ、御謙遜ごけんそんを。

 私共は大変結構なものをたまわり、本当に心より感謝いたしておりますのよ?

 これ以上を求めればばちが当たるというものです。」


しかり、それでもあえてお願いを聞いていただけるというのでしたら、まずは今宵の晩餐をお楽しみいただき、我らの感謝を受け取っていただきたいものです。」


『それは遠慮なくいただきましょう。実はもう腹ペコなんです。』


「まあ、では早速中へどうぞ。」


 一通りの挨拶を交わし終えると衛兵が扉を開け、三人は供を連れたまま室内へ入った。



 部屋の中央に置かれた直径一ピルム(約百八十五センチ)ほどの円卓メンサには真っ白なテーブルクロスがかけられ、その真ん中に鎮座ちんざする磨き抜かれた銀の燭台には五本の品質の良い鯨油ロウソクが灯されていた。

 部屋の天井中央から放射状に赤い布が緩やかなカーブを描くように吊られ、それが四方の壁を上から下まで覆うように垂れ下がり、壁際に並べて立てられた燭台の灯りに照らされて荘厳な雰囲気を醸し出している。

 大理石の床には敷物は一切ないが、まるであらゆる食べ物を食べ散らかした後であるかのように、様々な食べ物の緻密なモザイク画が一面に広がっていた。


 室内では虫よけの効果があるとされる香が焚かれていたが、それは主賓と主宰者たちと入れ替わるように室外に出されており、室内には料理の邪魔にならない程度に残り香が漂っている。

 窓は風通しを良くするため開け放たれているが、天井から下げられた赤い垂れ幕に隠れて外の様子は見えない。庭で鳴いていた筈の虫の音は既に静まっており、代わりに窓のすぐ外側に陣取った楽団による音楽の演奏が始まっていた。



 円卓の周囲には等間隔で三脚の椅子が備えられており、二人の領主と主賓であるリュウイチがそれぞれ座る。

 それぞれの背後には専属給仕係が立った。

 領主二人の背後に立っている専属給仕は軍服を着替えた衛兵隊長が務めていた。もちろん、不測の事態に対応するためである。


 リュウイチの背後に立つ専属給仕係はルクレティアだった。

 本来ならば彼女は由緒正しい聖貴族であるスパルタカシア家の一人娘であり、下半身不随になったため参加できない父の名代として列席できる立場ではあったが、降臨者の巫女としての実績を積むためにあえて給仕を務める事にしたのだった。

 一応、主宰者である二人の領主には事前に了解を得ているし、リュウイチにも今日は給仕を務めると伝えてある。

 もっとも、この三人の専属給仕はほぼ立っているだけで実際に料理や酒を運んでくる給仕は別にいる。彼らがする給仕らしい仕事と言えば、主たちが手を洗った後にナプキンを差し出したり、酒を注いだりするぐらいだ。



 三人の主役たちが席に付くのと同時に衛兵たちが退出し、入れ替わりに酒と酒器一式を乗せたカートが給仕たちの手によって運び込まれた。

 給仕たちが二人がかりで酒壺アンフォラを持ち上げ、口にし布を張った混酒器クラーテールへワインを注ぐ。ワインには味と香りを良くするために香草ハーブや香辛料が入れてあるため、飲む前にこのように一旦濾して余計な物を取り除く必要があった。


 リュウイチは珍しくてついその作業に目を奪われていたのだが、エルネスティーネとルキウスは各自の右隣りの台の上に置かれた手洗い壺レベースの水で手を洗いはじめた。手を洗いながら、ルキウスが場を取り持とうと話を始める。


「さて、我々としまして精いっぱいの御馳走で御持て成ししたいのですが、生憎とここアルトリウシアは開府以来二十年に満たない辺境の田舎でして、残念ながら御用意できるものには限りがございます。

 しかし、手に入る限り良い食材を取り揃えさせていただきました。」


 ルキウスが一旦話を区切ったタイミングでルクレティアは「リュウイチ様もどうぞ」と手を洗うように促した。


『ああ、すまない。

 恥ずかしながらこういう作法にはうといもので・・・』


 そう言いながらリュウイチが手を洗い始めたのを見たルキウスは差し出されたナプキンで手を拭きながらニコリと笑って話を続けた。


「どうぞお気になさらず。

 本日この場の主賓はリュウイチ様、気を使うのは我々の仕事ですよ。

 そうそう、手洗い壺の水が汚れたようでしたら給仕たちに命じてください。

 直ぐに取り換えさせます。」


 そうは言っても手洗い壺の位置は低く、卓上のロウソクの光は届かない。手洗い壺の中は暗くて汚れていても気にならないだろう。


『ありがとうございます。水が汚れ始めたらそのようにさせていただきます。』


 リュウイチは愛想笑いを浮かべながらそう答えると、ルクレティアが差し出したナプキンで手を拭いた。


「では、まずはワインで乾杯するとしましょう。

 ワインはアルビオンニアでも作っているのですが、まだまだ客人に振る舞えるほど品質の良い物が作れませんものですから、サウマンディアの逸品を御用意させていただきました。」


 濾し終えたワインは柄杓ひしゃくを使って三つの銀の水差しオイノコエへと注がれ、それが各専属給仕へと手渡される。各専属給仕はそれを受け取ると、卓上に置かれていたやはり銀製の見事な細工を施された酒杯キュリクスへ注いでいく。


『これは、なかなか見事な細工ですね。』


「ありがとうございます。

 アルビオンニアにはレーマ帝国有数の銀山がありまして、今銀細工職人を誘致して産業にしようとしているところですの。

 これはその成果の一つですわ。」


 リュウイチに褒められ、気を良くしたエルネスティーネが自慢気に説明した。


「では、さっそく乾杯しましょう。

 リュウイチ様の御降臨と来訪を祝して、そして私たちの邂逅かいこうがもたらすであろうより良き未来へ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る