第100話 深夜のマニウス要塞入城

統一歴九十九年四月十一日、深夜 - マニウス街道/アルトリウシア



 ティトゥス要塞カストルム・ティティマニウス要塞カストルム・マニを繋ぐマニウス街道は軍用街道ウィア・ミリタリスとして敷設された街道で、石とコンクリートで綺麗に舗装されていた上に道幅も十分広く、何者かが通行者を襲うべく隠れて待ち伏せしたりできないようにするため、左右の道路脇には幅六ピルム(約十一メートル)の平坦な法面のりめんが設けられている。

 見通しを良くするため街路樹などもなく、坂道の勾配も最少になるように土地を削ったり盛ったりして起伏自体もかなりなだらかに作られている。

 郊外を通る街道としては利用者にとってもっとも使いやすい街道と言えるだろう。しかし、実際には普段の交通量は極端に少ない。


 アルトリウシアの経済の中心はセーヘイムである。

 アルトリウシア内を移動する通行者のほとんどはアルトリウシアにある各市街地とセーヘイムを行き来する人や荷馬車であり、彼らにとって最も重要な街道はセーヘイムとティトゥス要塞を繋ぐアーレ街道、そしてアーレ街道からアンブーストゥス地区、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリア、アイゼンファウスト地区を経由してマニウス要塞へ延びる湾岸街道の二本だった。

 アルトリウシアの湾岸沿いに広がる平地に住む人たちが、わざわざ東側に位置する丘陵地帯まで上がってマニウス街道を通らねばならない理由など何もない。

 ゆえに、マニウス街道はマニウス要塞とティトゥス要塞を行き来する軍団レギオーの伝令兵ぐらいしか普段の通行者はほとんどいないのだった。


 しかし、それも先日のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱によって状況が大きく変化した。

 湾岸街道のウオレヴィ橋とヤルマリ橋がハン支援軍によって破壊され通行不能になったことから、リクハルドヘイム以南の市街地の商人たちはマニウス街道へ迂回しなければセーヘイムへ行き来する事が出来なくなってしまったからである。

 おかげで《陶片テスタチェウス》、アイゼンファウスト、マニウス要塞城下町の各市街地とセーヘイムを行き来するすべての商人たちがマニウス街道に集中するようになり、街道はかつてない程の賑わいを見せる事となった。

 それでも道路は十分広いし渋滞を起こすほどではなかったが、随分な回り道を強要されている通行者たちの多くは足早であり、どこか殺気だった雰囲気をまとっていた。


 それでも日が傾いてからはさすがに交通量が激減していく。

 街道そのものは広く整備された軍用街道で伝令や哨戒の兵が定期的に行きかうこともあって、路上で野盗に襲われるような心配はほとんど無いのだが、暗くなれば接触や脱輪といった交通事故を起こす危険性も高くなってくるし、暗くなってから目的地の市街地に入ると強盗が潜むような物陰もあって荷物や金を持った商人たちにとっては街道上よりも却って物騒になる。

 年中薄雲が空を覆い、月明かりさえ朧気おぼろげなアルトリウシアの夜は一層暗いのだから、暗くなる前に目的にたどり着いてしまうに越したことは無い。

 第一夜警時ウィギリア(「夜警時」は日没から日の出までの時間を四等分した時間単位、第一夜警時は日没から二十一時半くらいの間)を過ぎてしまうと街道上の人通りは全くなくなってしまった。



 そういう訳で行きかう人影も全くなくなってしまったマニウス街道だったが、その無人と化した街道上をかなりなスピードで松明を掲げて南へ疾走する馬車と騎兵の一団があった。

 四台の馬車の前と後ろをホブゴブリンの胸甲竜騎兵八騎ずつ十六騎が挟むように隊列を組んで走り、馬車の左右をヒトの胸甲騎兵がやはり八騎ずつ十六騎で守っている。

 計三十二騎の騎兵に守られた荷台の馬車の内、前を走るのはアルビオンニア侯爵家の四頭立て馬車で、すぐ後ろを走るのはアルトリウシア子爵家の四頭立て馬車、さらに後ろについて来る二台は二頭立ての荷馬車であった。

 この一団のやや後方をアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軽装歩兵ウェリテス十六名が健気にも駆足で追従している。

 この一団は無論、マニウス要塞まで降臨者リュウイチを護送する部隊である。



 晩餐会は成功だったと言って良いだろう。

 レーマの伝統に則った前菜から始まった料理は《レアル》における一般的なコース料理として知られる構成にならい、前菜に続いてスープ、パン、魚料理、菓子、肉料理、野菜料理、チーズ、デザートの順で出された。

 すべてのメニューでレーマ料理とランツクネヒト料理の二種が用意され、主賓リュウイチの様子を見ながら即座に料理を変更できるように準備され、出されなかった分は翌日の朝食用へ回される手筈となっていた。

 実際に供された料理は前菜が「茹で卵を詰めたヤマネのグリル」、スープが「子豚レバーの肉団子スープレバー・クネーデル・ズッペ」、パンはサウマンディア産の上質な小麦を使った白パンパニス・カンデドウス、魚料理は「鯉のフランケン風唐揚げフレンキッシェ・カープフェン」、菓子として「リブム(生地にチーズを大量に練り込んで焼いたチーズケーキのようなパン)」、腹腔にソーセージなどを詰め込んだ子豚の丸焼き、アウフラウフ、チーズの盛り合わせ、最後のデザートは蜂蜜漬けにした梨のパイだった。

 前菜に供されたヤマネは大きさも見た目もネズミのようなリス亜目の小動物だが、子爵家が所有する養殖場で育てられたアルビオンニアで最高品質のものだ。スープとメインディッシュに使われたのは子爵家所有の農場から取り寄せた生後半年に満たない健康な子豚。鯉は今がまさに旬でヨルク川の上流にある侯爵家所有の養殖場で育てまるまると太らせた上物。

 侯爵家と子爵家の専属料理人が最高の材料を使い、腕によりをかけただけあって失敗要素などまるでなく、いずれの料理も主賓リュウイチを満足させるに十分な出来栄えであった。


 それらの料理は歓談を交えながらほぼ二時間かけて供され、晩餐後はチューアから取り寄せた香茶を飲みながらの歓談が一時間ばかり続いた。

 そして街道上の人気が無くなり、ティトゥス要塞内の避難民たちも多くが寝静まったのを確認したいう斥候の報告を受けてルキウス邸の前に馬車が回されると、そのまま夜間のマニウス要塞への移動となる。


 このような夜間の移動になったのは、もちろん前述のマニウス街道の交通状況を踏まえたうえで秘匿性を確保するためだ。

 エルネスティーネは晩餐後に慌ただしく移動する事に失礼になるのではないかと異議を唱えていたが、昼間にルキウスが移動の計画を説明した際にリュウイチ自身が賛意を示していたため不問となっている。

 それでもあまりにも慌ただしいのでリュウイチの機嫌を損ねるのではないかと最後まで懸念を抱き続けていたエルネスティーネだったが、リュウイチは移動中の馬車の中でもずっと上機嫌な様子で、エルネスティーネとルキウスは確かな手ごたえと安堵とを感じていた。



 四台の馬車と五十二騎の騎兵と十六人の歩兵が駆け抜ける音は静まりかえった街道ではかなり派手に響き渡る。夜の静寂を蹂躙する蹄の音に何事かと表の様子を窓からうかがう者たちも居ないでは無かったが、マニウス要塞城下町カナバエ・カストルム・マニの街道上は既に人影もほとんどなく、一行は特に人目を惹き付けることなく要塞カストルム内へ滑り込んだ。


 要塞正門ポルタ・プラエトーリアを通過して直ぐのところにある土塁を避けてクランク状に曲がった一行は、そこから要塞司令部プリンキピア正面の広場までまっすぐ続く中央通りウィア・プラエトーリアを突き進み、そのまま停まることなく要塞司令部の周りをグルっと回って裏側にある陣営本部(軍団長用宿舎)プラエトーリウムの前まで進んだ。

 そこには既にクィントゥスが指揮する重装歩兵ホプロマクス八個十人隊コントゥベルニウム六十四名とそれを指揮する百人隊副長オプティオが昼間の内に先行して警備体制を敷いていた。

 宿舎の周囲からは避難民や未だ降臨について知らされていない軍団兵レギオナリウスらは排除されており、夜中という事もあって周囲に人気ひとけは全くない。



「お待ちしておりました。」


 宿舎の正面玄関ウェスティーブルム前に横付けされた侯爵家の馬車からルキウスが姿を現すと、一人の初老のホブゴブリンがお辞儀をして出迎えた。アルトリウスの使用人で家令を務めるマルシス・アヴァロニウス・タムフィルスである。

 普段は隣のアルトリウスが居住する方の宿舎で働いているのだが、軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム経由で受けたアルトリウスからの指示により宿舎の準備を整え、こうして待ち構えていたのだった。


「おお、アヴァロニウス・タムフィルスマルシス、久しぶりだな?

 元気そうで何よりだ。」


「ありがとうございます。

 子爵ルキウス閣下も御壮健でなによりでございます。」


 マルシスは現在陣営隊長プラエフェクトゥス・カストルムを務めるスタティウスとは同期の元軍団兵であり百人隊長ケントゥリオも務めた古強者である。アルトリウスが幼少のころから長年にわたって教育係を務めていた事もあってルキウスも顔なじみだった。


「面倒をかけたが、準備は万全か?」


「御申しつけ通り、万端整えてございます。」


「今夜だけ私も泊まるが、構わないな?」


「承っております。

 客間を御用意させていただきました。」


「結構だ。では早速紹介しよう。」


 ルキウスが振り返ると、ルクレティアとエルネスティーネに続いてリュウイチが最後に馬車から降り立ったところだった。


「リュウイチ様だ。

 リュウイチ様、こちらがこの宿舎の管理を任されているマルシス・アヴァロニウス・タムフィルスにございます。

 何かあれば何なりとこの者にお申し付けください。」


『リュウイチです。これからお世話になります。

 どうぞよろしくお願いします。』


「私ごときに御丁寧に恐縮です。

 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス様にお仕えしております、マルシス・アヴァロニウス・タムフィルスと申します。

 どうぞマルシスとお呼びください。」


『よろしくお願いします、マルシスさん。』


 リュウイチとマルシスが挨拶を済ませたところですかさずエルネスティーネが声をかけた。


「それではリュウイチ様。私はこれで失礼いたします。」


『本当に帰られるのですか?

 今から帰れば深夜を過ぎてしまうでしょう。

 やはりいっそ泊って行かれては?』


「そうしたいのは山々ですが、私は女領主ドミナであるのと同時に一人の母でもあるのです。

 そしてウチでは子供たちが待っております。もちろん、もう寝ているでしょうが、目覚めた時に朝の挨拶くらいはしてやらねばなりませんので。」


『そうですか、では無理は言いません。

 わざわざお送りいただきありがとうございました。』


「いえ、これも領主の務めです。

 ではお休みなさいませ、ごきげんよう。」


 そう言ってお辞儀をするとエルネスティーネは馬車へ乗り込んだ。後ろの子爵家の馬車から降りてきたエルネスティーネの侍女が乗り込むと、馬車は走り出す。


『お気をつけて』


 エルネスティーネの馬車が護衛の騎兵と共にティトゥス要塞へ走り去るのを見届けると、マニウスは改めて一行を宿舎へと誘った。


「それではどうぞ、御案内いたします。」


 リュウイチはこれからしばらくの間、過ごすことになる宿舎へ降臨二日目の深夜になってようやく足を踏み入れた。

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