アルビオンニウム派遣隊の帰還

第101話 マニウス要塞の朝

統一歴九十九年四月十二日、朝 - マニウス要塞予備陣営本部/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニの中央にある要塞司令部プリンキピアの裏手(南側)には陣営本部プラエトーリウム軍団長レガトゥス・レギオニス用の宿舎)が二棟並んで建てられている。

 東側の宿舎がアルトリウスの邸宅ドムスであり、西側はアルトリウシアへ増援部隊が派遣されてきた際に使うための予備施設で、普段は手入れこそされてはいるものの全く使われていない空き家である。

 それらの周辺には通りを挟んで軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム等高級将校用の宿舎が並んでおり、この辺り一帯は百人隊長ケントゥリオ等下級将校や一般軍団兵レギオナリウスは面倒を避けるため特に用でも無い限り近づかないのが普通だった。


 しかし、一昨日のハン支援軍アウクシリア・ハンの叛乱で焼け出され、マニウス要塞へ収容された避難民にはそういった配慮は無い。

 敷地外縁に沿うように配置された兵舎に収容された彼らが、高級将校用宿舎の南側に集中している軍病院ウァレトゥディナリウム公衆浴場テルマエといった共用施設を利用したり、野外調理場や配給所の設置された要塞司令部前の中央通りウィア・プラエトーリアへ移動するには、この中央区画を通るのが近道だったのだからそこを通りたがるのは当たり前のことだった。そして実際、昨日も一昨日もそこは自由に通行する事が出来ていた。


 しかし、今朝は様子が違った。

 中央区画に入る通路に兵士が立ち、通ろうとする人々を追い返している。不満に思う者はいただろうが、文句を言ったり抗議したりする者はいなかった。

 そこから見える奥の要塞司令部裏にある立派な屋敷ドムスを守るように軍団兵が取り囲み、おまけにその正面玄関ウェスティーブルム前には立派な馬車が停まっていたのだから事情は説明されずとも何事かを察しておとなしく引き下がる者がほとんどだった。



 その馬車の持ち主、アルトリウシア子爵ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスは降臨者リュウイチと遅い朝食イエンタークルムを摂っていた。

 レーマの食文化は《レアル》古代ローマのそれをほぼそのまま継承している。無論、この世界ヴァーチャリアでは手に入らない食材もあれば、この世界ヴァーチャリアでしか手に入らない食材もあるし、《レアル》古代ローマが滅んだ後の時代の《レアル》から降臨してきた降臨者の影響も受けているので全く同じというわけではないが、基本的なスタイルはほぼ変わっていないと言って良いだろう。


 奴隷や使用人などは日が昇る前に自分たちだけで先に済ませる。

 メニューはパンか小麦粥プルスとミルクが基本だろう。パンは前日に手に入れておいたものでフォカッチャと呼ばれるピザに似た総菜パンか配給パンパニス・キバリウスなどの無発酵か無発酵に近い固いパンだった。それをミルクに浸して柔らかくして食べるのだが、ミルクが手に入らなければワインや酢水ポスカを使う。ワインと言ってもロラと呼ばれる最低級の安物で、それを水で薄めたものだ。

 小麦粥の場合は小麦を曳かずに粒のままフスマごと茹でて作ったものだが、古くなったパンや余った小麦粉を煮てポレンタにする場合もある。

 良い家の使用人ならそこに野菜(漬物)や果物やチーズが付く。


 対してそうした使用人や奴隷を抱える主人の朝食は対照的だ。

 パンか粥にミルクという基本は似ているが、パンも粥も使用人や奴隷が食べているモノとはもちろん別物だ。個人的嗜好で無発酵のパンを食べる者は珍しくないが、それでもフスマの入った食感の悪いパンは食べないし、パンに塗るための蜂蜜やバターやシロップ等が当たり前に添えられている。

 粥も粒のまま使うプルスではなく製粉した小麦粉を使うポレンタであり、フスマを取り除いた白い粥で何がしかの具が入っている。

 さらに前日の夕飯の残り物がおかずとして出てくる。


 いずれにせよ、食べる量は朝昼晩の三食の中で朝食が最も多い。昼食は食べないか、食べたとしてもパン一つとかお菓子のような軽食で軽く済ませるのが普通なので、その分を朝に多く食べるのだ。



 そうした食習慣を反映した結果、リュウイチの前には日本人の感覚からは考えられないような大仰な御馳走が並んでいた。


『昨日の朝も凄かったですが、朝から凄い御馳走ですね。』


「そうかもしれませんな、昨夜の残り物なので。」


 本来ならば一品ずつ順番に出されるべきコース料理が一度に出され食卓メンサの上を埋め尽くしている。それを見て引き笑いを浮かべるリュウイチに、ルキウスは朗らかに笑って答えた。


『昨夜の残り物って、昨夜は見なかった料理ばかりのようですが?』


「昨夜作ったものの、供されなかった料理です。」



 昨夜は肉料理メインディッシュの「子豚の丸焼き」以外の全皿でレーマ料理とドイツランツクネヒト料理の二系統分を用意し、それを交互に供していた。なので、出されなかった分だけでもコース料理丸ごと一回分が残っていたのである。


 前菜に供されるはずだった「ハムシンケンの盛り合わせ」をはじめ「タマネギとキャベツの野菜スーププルメントゥム」、「白パンヴァイスブロート」、「テンミンケ(ウツボに似た魚)のグリル、雲丹うにソース和え」、「焼き菓子ブレーツェル」、チーズ盛り合わせ、そしてデザートにシュガーブレッドレーブクーヘンで出来たコインを口に咥える豚をかたどったマジパンマルツィパン幸運の豚グリュックシュヴァイン」・・・スープやグリルなどは一応温めなおしてある。



『え、こんなに作ってたんですか?』


「食べきれなければ残されても構いませんよ。」


 ルキウスもさすがにこれはと思っているのか、やや自嘲気味に言った。ルキウスもいくら領主とは言え普段からこんなに食べてるわけでは無いのだ。


『いや、勿体なく無いですか?』


「余ったからと言って捨てませんよ。

 余りは使用人たちの食卓を飾りますからな。

 リュウイチ様は普段は朝食は?」


『ええ、毎朝食べますがさすがに普段こんなには食べませんね。』


「まあどうぞ、せっかくの料理が冷めてしまいます。」


 ルキウスに促されてリュウイチは席に着いた。

 ルキウスがゆっくりと腰をいたわりながら席に付くと、二人はそれぞれの席の横に置かれた広口の手洗い壺レベースで手を洗った。


「ん、どうかなされましたかな?」


 手を洗った後でも食事を始めないリュウイチを怪訝に思ったルキウスが尋ねる。


『そう言えば、ルクレティアさんは?

 姿が見えないようですが・・・』


「彼女は彼女で朝食を・・・ああ!

 レーマでは通常、男性と女性は食卓を共にしないのですよ。」


『そうなんですか?』


「ええ、家族・・・夫婦になれば御一緒するでしょうが、何か特別なもよおしとかを除き女性が男性と食卓を共にするのはあまり良い事とはされておりません。」


 そう言うとルキウスは「ささ、食べましょう」と促し、リュウイチはフォークを手に取って食事を始める。


『特別な催しというと・・・昨夜のような?』


「ええ、そうです。

 いささかささやかに過ぎましたが、一応領主ドミヌス主催の公式晩餐会フォルマリス・ケナムでしたからな。」


 たった三人という小ぢんまりとした会食を大仰にもと呼ぶことに何やら皮肉めいた可笑しさを感じたルキウスが説明しながら笑った。

 そして一頻ひとしきり笑い終えるとわずかに身を乗り出し、リュウイチの顔を覗き込むようにして低い声でささやいた。


彼女ルクレティアと食卓を共にすることをお望みなら、何か催すか彼女をめとるしかありません。」


『娶る!?』


「ええ、あの娘ルクレティアはその気がありそうですぞ?」


『え、いや、まさか!』


 ルキウスは前かがみになった身体を起こすと声のトーンを戻して続ける。


あの娘ルクレティアの事は私も小さいころから知っていますが、昔から聖女に憧れていましてね。」


『聖女ですか?』


「ええ、降臨者に仕える巫女として活躍した女傑たちのことです。

 彼女の先祖、聖女リディアも降臨者に仕えた巫女でした。

 そのせいもあってか、小さいころから降臨者の巫女になりたいとずっと望んでおりましてな。」


『なんだ・・・娶るなんて言うから、巫女になるとかなら既にそういう事になってませんか?

 すでに色々身の回りの世話を焼いてもらってますが・・・』


 ルキウスはハハハと軽く笑った。


「いやいや、巫女とは降臨者の妻と見做みなされるのですよ。

 だから巫女にするという事は娶る事と同じなのです。

 おや、あの子ルクレティアはお気に召しませんかな?」


 まるで悪い冗談でも聞かされたように手を止め半笑いを浮かべてルキウスを見つめるリュウイチに気付き、ルキウスは悪戯っぽい笑みを浮かべて訊ねた。


あの娘ルクレティアは良い娘ですが、若すぎませんか?』


 なるほど、年齢が問題だったかとルキウスは得心したように眉を上げた。


「ふむ・・・今年で十六になるはず。問題ないでしょう?」


『十六で問題ないんですか?』


 日本では女性は保護者の同意があれば十六歳で結婚できたが、そういえば成人年齢が二十歳から十八歳に引き下げられた時に女性の結婚可能年齢って変わったんだっけ?・・・などと、リュウイチは記憶を手繰りながら話を続ける。


「ええ、レーマ帝国では十六で成人ですから問題ありません。

 《レアル》では異なるのですか?」


『国に寄りますけど、私の国では十八ですね。

 ああ、でも酒を飲めるのは二十歳からだった。』


「酒を飲むのに年齢制限が?

 はっはっは、興味深い話ですな。

 それはともかく、では十八に満たぬ娘は巫女にしないと?」


 一瞬、話題が逸れたことに安堵したリュウイチだったが、ルキウスは流される事なく話題を戻した。口元は笑みを浮かべたまま眉を寄せ、やや悲しそうな目をする。


『そういう表情かおをされても困りますが、私の国では十八に満たない娘に手を出すと罰せられるものですから。』


 リュウイチがお道化て見せるとルキウスはハハハと笑った。


「まあ、ルキウス彼女ルクレティアを押し付けようとしているわけではありません。ただ、ある程度御意向は把握しておきたいと思ったまでです。

 もしご機嫌を損ねられたなら、どうか御容赦のほどを。」

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