アウクシリア・ハン

エッケ島からの軍使

第225話 マジック・ポーチ

統一歴九十九年四月十八日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 一行がマニウス要塞カストルム・マニへ戻ったのは日もだいぶ傾いたころだった。今日は空全体を遠く大南洋オケアヌム・メリディアヌム上空まで雲が覆っているため、風景が黄色く染まることもなく、いまいち時間帯がわかりづらいが、自前の厨房のある屋敷ドムス邸宅ヴィラでは夕食ケーナの準備の真っ最中という時間帯にはなっていた。


 馬車は翌日返すことになっているので、馬だけ厩舎へ連れていき、馬車は警備を付けて陣営本部プラエトーリウム前に停めておく。護衛を務めた百人隊ケントゥリアは一旦解散し、クィントゥスは自分の執務室タブリヌムへ戻っていった。本当ならばリュウイチに帰還を報告すべきなのだが、クィントゥスの多忙をおもんぱかったリュウイチが細々した報告は省略するよう申し付けていたのだった。


 クィントゥスと私的エリアの入り口で別れたリュキスカと奴隷たちはリュウイチのもとへ挨拶へ行くつもりであったが、赤ん坊がオシメディアスプルムを濡らして泣き始めてしまったので、「奥方様ドミナの分の挨拶は代わりにしときますから」とリュキスカだけ先に寝室クビクルムへ帰し、奴隷たちだけでリュウイチのもとへ向かう。

 だが、その前に赤ん坊の泣き声でリュキスカたちが帰ってきたことに気づいた居残り組の奴隷駆け寄ってきた。


「おい、お前ら、ちょっと待て!」


 庭園ペリスティリウムを囲む回廊の途中で居残り奴隷の一人ロムルスに呼び止められた四人は立ち止まった。


「何だ?どうした?」


「お前ら、ポーションって使ったか?」


 四人は互いに顔を見合わせてから答える。


「いや、使ってないぞ?」


 ロムルスはそれを聞いてヘッと半笑いを浮かべた後、一度ゴクリと唾を飲んでから尋ねる。


「お前ら、ポーションを・・・ポーチの中を確認したか?

 てか、ポーチ開けたか?」


「「「「?」」」」


 質問の意味が分からない。顔を軽くしかめ、再び四人で顔を見合わせてからネロが答える。


「いや、どうかしたのか?」


 それを聞いてロムルスがニヤッと笑う。


「どうだって?」

「コイツ等まだ気づいてないってよ。」


 気づけば居残り組の奴隷全員が集まっている。全員が何やら悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「何だ、どうかしたのか!?」


「いいからポーチ開けてみろよ。」


 ネロたちはリュウイチから受け取り、腰のベルトに付けたままのポーチの蓋をあけ、中を見て驚いた。


「あ!?」

「無い!無いぞ!?」


 そこには入れた筈のポーション十本の姿はなく、空っぽになっていた。

 ゲイマーガメルのポーション一本でその価値はおそらく軍団兵レギオナリウスの年収の四分の一から二分の一ぐらいにはなるだろう代物だ。しかも、その容器はガラス製でガラス製造技術のないこの世界ヴァーチャリアでは宝石に分類される物である。混じり物の無い透明なガラスなら、その大きさ次第で価値は幾何級数的に膨れ上がる。そんなガラスで作られた完璧な美しさを誇る小瓶の価値たるや、彼らが一生働いたところで到底稼ぎ出せないほどの価値を有するだろう。クィントゥスは彼らに「それ一本でカストルムが建つ」と言っていた。

 それが十本・・・まるごと消失しているのだ。慌てないわけがない。


 全員が顔を青くし、まさかそんなとポーチの中に手を突っ込み、再び驚きの声を上げた。


「ああ!?」

「な、何だこりゃ!?」


 空っぽのポーチに手を突っ込むと、何故か頭の中に表のようなものが浮かび上がる。横六列、縦八段に正方形が並んだ表の左上に、おそらく受け取ったポーションであろう小瓶の絵があり、それぞれの右下に白文字でアラビア数字が書かれている。


「頭ん中に、何か浮かんだろ?」


 ロムルスは笑い出しそうになるのを我慢するような表情でネロの顔を見上げたまま言う。まるで、何か手の込んだ悪戯が成功した時の子供みたいな表情だ。


「お、おう?」


「そのどれかの絵を選んで、ポーチから手を出してみな。」


 言われた通り手を引き抜くと頭の中から先ほどのイメージが消え、その手にはポーチに入れた筈の、そしてポーチの中から消えた筈のポーションの小瓶が握られていた。


「え、なんだこれ!?」


「もっぺん、入れてみな」


「あ、ああ」


 小瓶をポーチに落とすように入れる・・・そのままポーチに残っている。


「蓋を閉めて、それで開けてみろ」


「あ、うん」


 蓋を閉めて開けると、さっきまであったはずの小瓶が消えていた。


「ええ、どうなってんだこりゃ!?」


 手を突っ込むと再び頭の中にさっきの表のようなイメージが浮かび上がり、絵を選んで手を引き抜くとやはりなかったはずのポーションの小瓶が握られている。


「な、スゲェだろ?

 見ろよ!」


 ロムルスはそう言うと自分のポーチに手を突っ込み、みんなが見ている前で手を抜いて見せた。


「はあ!?」

「ええっ?!」


 ポーチから引き抜かれたロムルスの手には彼がリュウイチから貰ったショートソードが握られていた。

 ポーチは幅が六インチ(約十五センチ)、厚さ四インチ(約十センチ)、深さは八インチ(約二十センチ)ほどしかない。刃渡りだけで二十四インチ(約六十センチ)、束頭ポンメルまで含めれば三十インチ(約七十六センチ)にもなる彼のショートソードが入るわけはなかった。

 しかし、確かにロムルスは自分のポーチの中からソレを取り出して見せたのである。

 居残り組の四人は驚くネロ達を見て笑い始めた。


「もっとスゲェもんも入るぜ。」


 隣にいたヨウィアヌスが茶目っ気たっぷりの表情で自分のポーチに手を突っ込み、まるで奇術師のように手を引き抜く・・・その手にはなんと投槍ピルムが握られていた。それどころか一本、二本、三本と連続して取り出して見せる。

 投槍ピルムはレーマ帝国での長さの単位“ピルム”の元になった槍であり、その長さは文字通り一ピルム(約百八十五センチ)ある。それなのにどう見ても深さ八インチ(約二十センチ)しかないポーチから八本も取り出して見せたのだ。驚かないわけがない。


「お、おい、これどうしたんだ!?」


コイツピルムはチョイと借りて来たのさ。

 誰にもバレてねぇし、後で返しとくから心配するな。」


 ヨウィアヌスはそう言いながら出した投槍ピルムを一本ずつポーチに戻していく。


「お、重くねぇのか!?」


「全然・・・持ってるときは重いが、中に入れちまえば重さは感じねぇ。」


 呆気にとられたゴルディアヌスが思い出したように口にした質問に、ヨウィアヌスは平然と答えた。


「これってまさか?」


 居残り組四人は急に神妙な顔つきになって「シッ」と今更のように口に指をあてて静かにするように合図すると、小さい声で告げた。


「ああ、マジック・ポーチマギグム・マルスーピウムだ。」


 ネロ達四人はゴクリと唾をのむ。


「ま、まずいんじゃないのか?

 魔導具を俺たちに渡しちゃいけないんだろ!?」


 周囲には誰もいないが、それでも思わずネロは小声になった。

 アルトリウスもクィントゥスも共に彼ら奴隷たちのいるところでリュウイチに奴隷に魔導具は渡さないでほしいと頼んでいたし、リュウイチもそれを了承している。


「それだよ、ネロの大将!」


 ここでリウィウスが初めて口をはさんできた。リウィウスは声を押し殺し、七人全員を見渡して全員が自分に注目しているのを確認してから話し始める。


「ここは二つの解釈がある。

 一つは、軍団長閣下アルトリウスカッティウス・アレティウスクィントゥスの旦那が言った『魔導具を渡すな』って言うのは、あくまでも俺らの武装に関して言っていたってことだ。だがぁ武器でも防具でもねぇ。

 いいか?」


 リウィウスが一旦話を区切って様子を見ると、ネロとオトはどこか納得して無いようだったが他の五人はいかにも得心いったとばかりに頷いている。実は居残りの三人にはすでに一度話してあることだった。あとはネロ達四人を同意させられるかどうかだ。


「もう一つの解釈はもやっぱり本当なら渡しちゃいけねぇはずの魔導具だ。だが、旦那様リュウイチはそれを承知であえて俺らに渡したってことだ。」


「・・・それってなぁ、どういうこったよ!?」


 ゴルディアヌスは出しゃばりな性格だ。せっかちでもあるためどうしても話の先を急いでしまう。


旦那様リュウイチは俺らに色々働かせるおつもりだ。

 俺らぁ旦那様リュウイチの奴隷だからそりゃあ当たり前ぇってもんだ。

 これから俺らに何をさせようとしてんのかはわかんねぇが、だが仕事をするのに必要なもんはお与えくださる。もその一つ・・・つまり、特有財産ペクーリウムってヤツだ。」


 特有財産ペクーリウムとは、主人が奴隷に商売をさせるために与える道具や店などの財産のことである。農場で働く奴隷が使う農具や、屋台で働く奴隷が使う屋台道具一式などがそうだ。それらは所有権が奴隷に移る場合もあれば、あくまでも所有権は主人に残して奴隷に貸し与えるだけの場合もあるが、いずれにせよ奴隷はその特有財産ペクーリウムを使って仕事をし、金を稼いで利益を献上するなどする。


「待て、特有財産ペクーリウムなのは当然だろ?

 俺らが着ているロリカガレアスパタも全部特有財産ペクーリウムだ。

 問題は、このポーチマウスーピルム特有財産ペクーリウムとして受け取っていいものなのかどうかだ、違うか?」


 他の奴隷たちは既に納得したようだったがネロはさすがに貴族ノビレス出身だけあって何が問題なのか的確にとらえる。


「話を急いじゃいけねぇや。

 アッシらぁ奴隷、旦那様リュウイチだ。どんな特有財産ペクーリウムを与えて何をさせるかなんてなぁ旦那様リュウイチおぼし次第。

 奴隷に何を持たせようが持ち主の自由。軍団長アルトリウス様だってアレティウスクィントゥスの旦那だって、旦那様リュウイチに禁じることはできねぇっておっしゃってたじゃねぇですか。

 それに誰もアッシらに魔導具を受け取るなとはお命じになられちゃいねぇ。」


「しかし、だからと言って・・・」


「ネロさんよぉ・・・ アンタだって旦那様リュウイチの奴隷なんだぜ。

 忠義を尽くすべき相手は旦那様リュウイチなんじゃあないのかい?」


「当然だ!」


「なら、をお与えになった旦那様リュウイチの御意を酌むべきなんじゃあねぇのかい?」

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