第224話 予期せぬ騒動
統一歴九十九年四月十八日、午後 - 《陶片》リクハルド邸/アルトリウシア
偽装のためとはいえ、慣れない
全身を体毛に覆われたコボルトやブッカは身体を洗うのに石鹸などは使わない。脂が落ちすぎて身体がパサパサになってしまい、非常に気持ちの悪い思いをするからだ。代わりに十%ほどの濃度の塩水にハーブを混ぜたものをシャンプーとして使っている。代謝によって出るタンパク質の汚れはそれで十分落ちるし、それ以外の泥などの汚れは何も使わなくてもブラッシングだけでかなり落ちる。汚れを落としつつ体毛の毛質を保つための脂は残すので、彼らにとっては塩水は容易に手に入って都合のいい洗髪料なのだった。欠点があるとすれば、皮膚に傷があると沁みることと、アルトリウシアでは塩の値段が少々高い事くらいだ。
風呂で身体の汚れを落とし、お湯に浸かって温まった彼らは風呂から上がると裸のまま涼んでいた。
「さてと、アレがリュキスカで間違いなかったんだな?」
風呂上りの湯冷ましに頭に冷水で冷やした手ぬぐいを乗せたリクハルドが
「へぃ、最初は見違えやしたが、あの顔と髪は間違いありやせん。」
ラウリは絞った手ぬぐいを頭に乗せ、心地よさそうにふーっと息を吐くとリクハルドと同じように団扇を手に取って仰ぎ始めた。
ゴブリン系種族の中でも全身を体毛に覆われたコボルトやブッカは寒さには強いが暑さには滅法弱い。衛生上の理由や文化的習慣からお湯の風呂には入るのだが、コボルトやブッカは体質的にのぼせたり湯疲れしたりしやすいため、風呂から上がるとこうしてせっかく温まった身体をわざわざ冷やす習慣があった。
人によっては最後に冷水に浸かって身体を一気に冷やす者もいるし、最初から水風呂で済ませる者も少なくないのだが、一般にはお湯の風呂で温まってからこうして時間をかけて身体を冷ましながらくつろぐのが贅沢で風流だとされている。
「ありゃあ、すげぇ
やはり頭に冷たい手ぬぐいを乗せた
「ああ、
痩せっぽちの
「事前に教えられてた上に荷馬車に乗ってたから分かったようなもんだ。
でなきゃ完璧にどこぞの
三人は三人とも片手を尻の後ろあたりに突いて上体を支え、天井を見上げつつもう片方の手で団扇で盛んに仰ぎ、しばし無言になった。
「あんなパルラ・・・いや、パエヌラか?
下に着てたストラもだ。」
リクハルドは目を細め、昼間見たリュキスカの着ていた服を思い出してため息をついた。
「
「それにしたって昨日まで娼婦だった女にだぜ?
護衛も
「それに従者が四人だ・・・見慣れねぇ恰好だったが、リュキスカに負けず劣らずスゲェ恰好だったな。」
「そんだけ入れ込んでるって事かあ・・・」
二人で話していたラウリと伝六はリクハルドのその一言にそろってため息をつく。
「あ~あ、そんなタマじゃ無ぇと思ってたんだがなぁ・・・」
ラウリは身体を起こすと頭に乗せた手ぬぐいを取って顔を拭きながら、やや大きい声を上げた。
「何でぇ、惜しむような女だったのか?」
「まさか!
いや何、もみ消しのための金ですよ。もっと吹っ掛けりゃよかったと思いやしてね。」
顔を拭いた後、温くなった手ぬぐいを手桶に浸けて絞り直しながらラウリがリクハルドに答えると、リクハルドは「違ぇねぇ」と小さく笑った。
「そういやいくら取ったんだい?」
「千セステルティウスさ。」
交渉の場に居なかった伝六はラウリの答えを聞いて目を丸くした。
「即金で払っだんだろ?
千セステルティウスなんてそんな大金、すぐに用意できたってことかよ!?」
「もみ消し代だけでだ。女の借金も含めりゃ千八百・・・それを一発で払いやがった。
しかも全部新品のデナリウス銀貨でだぜ?
「あるとこにはあるんだなぁ・・・」
伝六は素直に感心した。
「いくら入れ込んでるにしたって娼婦一人にそれだけの大金を即座に出せる。
しかも、昨日の今日であんな服を用意してやれるんだ。並大抵の
「おまけに
リクハルドの知る限り、全盛期の…先代が生きてた頃のアルビオンニア侯爵家だって難しいように思える。金を用意したりアルトリウスを遣いっ走りにしたりは出来るかもしれないが、一夜であれだけ豪勢なパルラや凝った造りのストラを用意できるものだろうか?
「皇族がこんな辺境に来るかね?」
ラウリは呆れるように言うと、冷やしなおした手ぬぐいを頭に乗せた。
「皇族が来たとして、いつ、どうやって来た?
お忍びったって、まさか身一つでは来まいよ。御供がどっさり付いてくるはずだ。
この間来たってぇサウマンディアの
今度はリクハルドが身体を起こし、頭上の手ぬぐいを手に取ると前かがみになって目ヤニを取るように目の周りを拭いながら誰に訊くともなく独り言ちる。
「少なくとも、
リクハルドより先に自分の手ぬぐいを手桶の冷水に浸けながら伝六が訊くと、ラウリが天井を見上げたまま答えた。
「多分な…あの
それは一向の追跡を命じた手下がもたらした情報だった。馬車には行きと同じ護衛が付いていたそうだから、たぶんリュキスカも乗せていただろう。
「封鎖されてるっていう
あの
何とか人を送り込みてぇな・・・」
伝六に続いて自分の手ぬぐいを冷水で冷やしながらリクハルドがこぼすと、伝六は冷やした手ぬぐいを絞りながら言った。
「あの“
あいつら女とかどうしてんだ?」
「そいつぁどうも
それはラウリとパスカルの手下がようやく掴んだ情報だった。
「そこにゃあ食い込めねえのかよ、
「無理だな、食い込めそうなら手は打ってるよ
何でも、全員が専属契約とやらを結んでるんだとよ。」
お手上げとばかりにラウリが言うと、伝六は顔をしかめた。
ラウリは何だかんだでデキる男だ。伝六が考え付く程度のことはとっくに思いついてるだろうし出来ることならやっているだろう。そのことを忘れて無駄なことを言ってしまった自分が間抜けに思えてしまったのだ。
三人がそろって大きなため息をついたところへ、ツカツカと小走りでパスカルがやってきた。
「おくつろぎのところ失礼いたします!」
インテリ気取りでスマートに振舞うことを心掛けているパスカルが慌てることはそれほど多くない。こうも慌てた様子で現れるという事はそれなりの問題が生じている時だけだ。だが、ここのところパスカルが慌てる事態が割と頻発しているせいか、それとも正体のつかめない謎の人物について考えを集中させ過ぎていたせいか、リクハルドは面倒臭そうに問いかける。
「どうした!?」
「セーヘイムに
「「「何!?」」」
それは彼らを驚かせるには十分な報告だった。
「今日の昼頃、
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