第223話 スパルタカシウス父娘
統一歴九十九年四月十八日、午後 - ティトゥス要塞ルクレティウス邸/アルトリウシア
レーマ軍の
アルビオンニウムから避難してきた
間口が十六ピルム(約三十メートル弱)、奥行きが四十二ピルム(約七十八メートル)ほどの敷地に建てられた《レアル》ローマのドムス様式の建物の最も奥に、ルクレティウスの
手入れの行き届いた
晩秋の肌寒さの中であえて開け放たれた窓越しにその光景を楽しんでいた
「そうか…ではやはりリュウイチ様の聖女を目指すのだな?」
娘から報告を聞いたルクレティウスは長く静かに息を吐いてから言った。その視線の先には
「はい、リュウイチ様は
血統の由緒だけを言えばレーマ帝国どころか
かといって、力の回復を志向して別の降臨者の血筋をもつ
もちろん、スパルタカシウスの氏族の中には他の血統の
そんな中で男子を残せなかったルクレティウスは、スパルタカシウス氏族の中で唯一
年齢的には頑張れば子供を作れない歳でもないのだが、被災によって下半身不随となってしまっている以上、もはやそれは望めない。
一人娘ルクレティアにスパルタカシウス氏族の中から誰かを婿養子に迎え入れ、スパルタカシウス氏族宗家を何とか存続させたいと思っていたルクレティウスではあったが、相手が降臨者本人というのであればそれに反対することなどできなかったし、さすがに降臨者を婿養子に迎え入れることもできないだろう。
降臨者へ嫁ぐことに反対するのは、降臨者との血の繋がりを権威の根拠とする
「やれやれ、まさか
ルクレティウスは力なく笑いながら言ったが、その心境は複雑であった。決して失望しているわけではなかったが、スパルタカシウス氏族宗家が自分の代で絶えてしまうという事実に何も思わないわけでもない。
「ごめんなさい、
「いや、いいのだよルクレティア。
むしろ、
「・・・・はい・・・・」
ルクレティアの目に映る父の顔は慈愛に満ちていた。しかし、次代のスパルタカシウス…すなわちルクレティアの婿をどうするかに心血を注ぎ続けていた父の姿を見てきていた彼女の心情もまた複雑である。
父から祝福してもらえはしたが、ルクレティアの立場はあくまでも聖女候補であって聖女になれたわけではない。実質的には巫女と同じであり、巫女よりは若干優位な立場にあるという程度である。しかも、あと二年間は手を付けてもらえないことが確実になっているのだ。そこに後ろめたいものを感じないわけにはいかない。
娘のわずかに曇った笑顔からそれを察したルクレティウスは、手に持った
「たしかに、来年か再来年には見れると思っていた初孫がお預けになるのは残念だがね。
「待つ・・・そうね。待つつもりだけど、でもやっぱり二年は長いわ。」
ルクレティウスは
「二年なんてあっという間さ。
「一番近いところに仕えるのは
「リュキスカか・・・だが、
「そうだけど・・・」
「信じられないかい?」
「・・・不安・・・です。
リュウイチ様がリュキスカに夢中になっちゃったら、
眉を寄せ、辛そうに膝に乗せた自身の手を見つめるルクレティアは何よりもリュキスカに嫉妬している自分自身の姿に苦しんでいた。理性の上ではリュキスカが聖女であることも理解しているし、尊重しなければならないと思っている。ルクレティアはリュウイチに仕える巫女なのだから、その御意に沿わないわけにはいかない。だが、理性と感情は別物である。
ルクレティウスは
甘いワインが半分ほどしみ込み、外側はふやけているが真ん中の部分だけ硬さを残している…それがルクレティウスの好みだった。
「・・・リディア様も、先にメデナ様という聖女がいた。
それだけではないか。
だがリディア様はメデナ様と競い争ったわけではないよ。
少なくとも言い伝えでは・・・お二人は手を取り合って協力したのだ。」
一般にはリディアとメデナは降臨者スパルタカスの愛を争ったライバル同士として語り継がれているが、スパルタカシウス家には
「それは・・・わかっています・・・」
たしかにルクレティウスの言うようにルクレティアの状況はリディアに似ている。だが、決定的に違う部分もある。
先にリュウイチの傍に仕えていたのはルクレティアの方なのだ。わずか一週間ほどとはいえルクレティアはリュウイチに一番近いところに仕えていたのに、リュキスカは一夜にしてルクレティアの立場を奪ってしまった。悔しさもあるし、うらやましくもあるし、妬ましくもある。
自分がここまで嫉妬深いとは思ってもみなかった。初めて直面する自分の負の感情に、ルクレティアは本当に戸惑っていた。だがこれを飼いならせなければ、リュキスカとの協力関係なんか築けるわけもない。果たして自分にそれができるんだろうか?その不安がルクレティアから昨日までは確かにあったはずの自信を奪っていた。
「まずは、そのリュキスカという女性と仲良くなってみることだ。
どういう人物かがわかれば、協力もできるようになるだろう。」
ルクレティウスは
「そのつもりです。それで
「調べる?」
今まさに
「そうは言っても、《
治癒魔法を使える神官が何人かアルトリウシアを巡回している。この間まではルクレティアもその活動に参加していた。ルクレティウスが誰かを調べるとすれば、その神官たちから巡回中に聞いた話を聞かせてもらうぐらいしかない。だが彼らは治療活動が忙しく、自分から特定の情報を探すような余裕は無いだろう。
スパルタカシウス家は並の
「わかっています。
実はリュウイチ様の降臨について、インニェルさんとメーリさんには話してあるんです。」
「セーヘイムの?」
「はい…今、あのお二人にはリュウイチ様の秘匿に協力していただいています。」
「で、今度はリュキスカについて調べてもらおうということかね?」
「ええ、本当は今日これからお伺いして直接お願いしたかったんですけど、今どうやらセーヘイムに
「わかった。
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