第831話 新たな役職

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 権力・財力・暴力……これらは人間を支配する力の根本である。誰かが持てば、その誰かの思惑次第で他の誰かが支配されることになる。おまけにそれらは人を狂わせるという特徴を持っていた。人はその人の器量に見合わぬ権力・財力・暴力を手に入れると、それまで理性によって抑えられていた欲望が頭をもたげ、横暴を働くようになる。他人が自分の意のままになる……その魅力に抗えるだけの人格の持ち主などそうそう居るものでは無い。

 「悪」は罰したいと思うものだし、「いい人」には報いたいと思う……それは人間誰もが持っている「善意」そのものだ。善意に基づいて力を振るうことを「正義」と呼ぶ。自分が与えられた力をもって「正義」を成す……まさに「善行」そのものではないか。


 だが、何をもって「悪」とし、何をもって「いい人」とするのか?


 誰かにとっては「悪」でも、他の誰かにとっては良いことなのかもしれない。あなたにとって良い人でも、他の誰かにとっては悪い人であるかもしれない。そもそも、その人が「いい人」なのは、ただ単にあなたの持つ力を自分に都合のいいように利用するために「いい人」として振る舞っているだけなのかもしれないではないか……

 「善行」を成すには、特に権力・財力・暴力を投じて大きな「正義」を成すには、自分の成そうとする「善行」を、「正義」を、その「公正性」を疑い続けるだけの慎重さが、強靭な理性が無くてはならないのだ。

 しかし、人間の理性は決して万能ではない。自らの成そうとする「正義」に、「善行」に、待ったをかけられるだけの理性など、常人に期待するのはあまりにも非現実的といって良いだろう。だいがい、誰の目にも明らかな「正義」を、「善行」を、まさに行うべき時に「ひょっとして間違っているのではないか?」などと理性のブレーキをかけていては何事も成せなくなってしまう。それでは只の優柔不断ゆうじゅうふだんでしかない。

 人間誰だって間違いは犯したくはないが、人が人として社会に関与するためには、必ずどこかで思い切った決断を迫られる時が来る。それが為政者いせいしゃともなれば、その決断の責任は大きなものとなるだろう。そして、大きな決断を繰り返していくうちに、やがて人は自分の分際ぶんざいを忘れてしまう。人間は何にでも慣れてしまう生き物なのだ。責任の重さにも、やがて慣れていく……いや、正確には麻痺していくと言った方が良いかもしれない。悪い意味の“慣れ”だ。

 最初はおっかなびっくり慎重に下していた決断も、“慣れ”ると緊張感が失われていくことになる。「間違っているのではないか?」という理性のブレーキは次第に利かなくなり、「公正性」は損なわれていく。


 自分は責任ある権力者として大きな責任を果たしてきた……その実績はやがて無意識のうちに自分を特別視する自尊心へと繋がり、自分は特別な人間だという認識を育てることになる。そして自分を特別な人間と看做みなす意識は、人を際限なく増長させ、我儘にしていく。

 自分に良くしてくれる人間には報いたいと思うし、自分に悪意を持った人間は罰してやりたいと思うようになる。そして、そのような感情に疑問を持たなくなっていく。

 気づけば権力者の周囲は佞臣ねいしんだらけ、気に入らない人間は不当に罰せられ、他の無関係な平民たちの生活はないがしろになっていく。


 権力によって狂わない人間などまず居ないと言っていいだろう。そして、権力は強大であれあるほど腐敗しやすいのである。


 だからこそ、共和制ローマでは政権を担う執政官コンスルは二人いた。権力が一人に集中するのを嫌ったのである。そして、《レアル》古代ローマから文化・文明を受け継いだレーマ帝国においても、かつて執政官は二人いた。

 国を導く指導者たる執政官が二人というと色々面倒そうだが便利な点もあった。権力の集中を防げるというだけでなく、ピウス・ネラーティウス・アハーラが指摘したように、執政官が自ら軍団レギオーを率いて出征することも可能だったのだ。国家の最高指導者が首都レーマを離れてあちこち行くことが出来るその柔軟性は、他の政体(主に王政)の当時の他国には見られない特色だったと言っていいかもしれない。


 が、今ではレーマの執政官は一人しかいない。何故か?……もう一人は今、レーマで皇帝インペラートルを名乗っているからだ。


 二人いた執政官は大戦争が始まってからというもの一方が内政を、もう一方が外交と軍事を……つまり戦争の遂行をつかさどるようになっていた。そして戦争指揮を担当するということは、ゲイマーガメルたちの相手もすることを意味していた。そして、ゲイマーたちとの関係を保つ必要から任期が長くなり、やがて無くなり、身体不可侵権が付与され、そして皇帝を名乗る様になってしまったのだった。

 以来、レーマの執政官は一人きりになってしまっている。


 今まではそれでさしたる問題は無かった。今いる執政官は元々内政を担当していた方のがそのまま引き継がれているのだし、本国の外の統治は皇帝と属州領主ドミヌス・プロウィンキアエあるいは属州総督レクトル・プロウィンキアエが担っているのだから、内政を担当する執政官がわざわざ本国の外へ出かけて行かねばならない用事などほぼ無かったからだ。

 しかし、ここへ来てそれがフーススがレーマを離れることのできない足かせとなってしまっている。


「つまり、執政官コンスルを増やせ……ということですか?」


 現職執政官であるフースス・タウルス・アヴァロニクスは目に険しいものを浮かべつつ、慎重にピウスに問いただした。

 かつて執政官が二人いたから執政官が国外に出ることが可能だったが、今は一人しかいないから問題がある……となれば、単純に考えれば執政官を再び二人に増やすしかない。

 まさかフーススの執政官職を他の誰かに譲るわけにはいかないだろう。そんなことをすればフーススが降臨者に会いに行く意味がなくなってしまう。元老院セナートスを代表して降臨者に会いに行くのは現職執政官でなければならないのだ。だからこそ守旧派議員たちは、コルネイルス・コルウス・アルウィナはフーススの派遣を認めたのだから、フーススは執政官のままでなければならない。


 しかし、執政官を増やすという話は過去にもあって、その都度否定され続けた話だ。理由は先に挙げた通りで、本来居るべきもう一人の執政官の職責は皇帝が担っているのだから、権力の分散どころか重複になってしまうという皇帝派による批判による。

 公職を一つ、それも帝国の最高権力者をもう一人生み出そうというのだから元老院の議決が必要になるだろう。現在、守旧派が皇帝派を議席で上回っているとはいえ、中道派など守旧派に属さない議員たちを無視できるわけではない。さすがに執政官職をもう一つ増やすなどという議題に過半数の賛成が集まると確信できるほど守旧派の勢力は盤石ではないのだ。


執政官コンスルを増やそうというのではない。

 さすがにそんなことは無理だろう。」


 コルネイルスが不機嫌そうに、ブスッとした表情のまま吐き捨てるように言った。


 じゃあどうしろと?……議員たちが一斉に視線で尋ねる。しかし機嫌の直り切らないコルネイルスは答えたくない。自分に視線を向ける議員たちを、そして救いを求めるようにピウスをチラッチラッと交互に見る。

 だが、今度はピウスは助け舟を出さなかった。誰も自分を助けようとしないことにコルネイルスは内心驚き、動揺しつつも視線を逸らし、口を尖らせてしぶしぶ説明を続けた。


「べ、別に正式な……役職でなくても、かまわん……のだ……

 執政官コンスルの、だっ、代理を務める……臨時職で……」


 ブツブツと聞こえるか聞こえないかぐらいの声でそこまで言うと、今まで何かを我慢していたものが我慢しきれなくなったかのようにパッと手を伸ばし、茶碗ポクルムを掴み取る。


「タウルス卿が不在の間、執政官コンスルの代理を務める者が必要だ!

 役職名は……そうだな、仮に副執政官ウィケコンスルとでもしよう。

 執政官コンスルを補佐し、不在の時は代理を務め、万が一執政官コンスルの身に何かあった場合は、次の選挙で次期執政官コンスルが選出されるまでそのまま職を引き継ぐ……」


 そこまで言うと手に掴んだ茶碗を見下ろし、しばらくフーフーと鼻息を響かせてから一気に香茶を煽った。その様子を半ば呆れるように見ていたピウスが、小さな溜息をもらす。


「要はタウルス卿、けいの代理を残していくべきだと言うことだ。

 正式な、代理人、あるいは後継者をな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る