第832話 同床異夢

統一歴九十九年五月十一日、昼 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 ピウス・ネラーティウス・アハーラの補足によってコルネイルス・コルウス・アルウィナの意見は完成したらしい。コルネイルスは手に持っていた空になったばかりの茶碗ポクルムを叩きつけるようにタンッと音を立ててテーブルに戻し、そのままフンッと再びふんぞり返る。


 それだけのことで何でこんな面倒なことに……

 ネラーティウス卿もネラーティウス卿だ。話を聞いていたんならもっと……


 頭痛の予兆を感じた時のようにわずかに眉を寄せつつ、フースス・タウルス・アヴァロニクスはピウスとコルネイルスを無言のまま見比べた。


 いや、これでまた下手に刺激すれば余計に面倒なことになる。

 今日は下手に出ると決めたではないか……


 気づけばフーススの顔色は既に平静に戻っている。


「あ~……そ、それは良いアイディアです。

 私はそのぉ……自分が行くことばかり考えて後のことまでは考えておりませんでした。」


「それでっ!」


 汗でも拭くように額に手をやりながらフーススがなんと言いつくろおうか言葉を探していると、それをさえぎる様にコルネイルスの声が響いた。


「問題はそれを誰にするかだ。違うか!?」


 見ればコルネイルスは腕組みをしながらふんぞり返り、無理やり全員を見下ろしている。


 ……ここまで面倒な人じゃなかったハズなんだがな……昨日のことでまさかここまでこじれるとは……


 面倒に思いつつもコルネイルスに過去に援けてもらったのは事実だし、今も彼が守旧派の中心人物であることには変わりない。いくら執政官コンスルという最高権力者の座にあるフーススとて、コルネイルスには下手に出ざるを得ないのだ。


「いえ、その通りですコルウス卿。」


 フーススがそう言うとコルネイルスはふんぞり返っらせていた上体を起こし、今度は腕組みしたまま前かがみになった。その視線はジッとフーススだけをにらんでいる。


「それで、誰にする?」


 それが字句通りの質問でないことはフーススでも気が付いている。昨日やった失敗を今日また繰り返すわけにはいかないのだ。

 フーススはジッとコルネイルスの目を見返したままゴクリと唾を飲み、そして愛想笑いを浮かべて答えた。


「もちろん、コルウス卿にお任せします。」


 フーススの眼前の赤らんだコルネイルスの顔が一瞬だけ喜色ばむが、すぐさまその表情は元の険しいものへ戻る。先ほどよりは幾分和らいではいたが、その表情を保ったままコルネイルスはゆっくりと上体を伸びあがらせるように起こした。


「ワシに……だとぅ?」


 意外なことを言われた……コルネイルスはそんな表情を作る。だが、その頬が、口角がわずかにほころんでいることにコルネイルス自身は気づいていない。傍目はために見ても白々しい演技だ。


 コルネイルスが何を望んでいるのか?……それは簡単だ。フーススがレーマを離れる前に、フーススと自分の立場の違いを、上下関係をハッキリとさせておきたいのだ。


 守旧派をまとめ上げ、率いるのは自分コルネイルスだ。お前フーススじゃない。


 それをコルネイルスはフーススが居なくなる前にフーススに、そして他の議員たちに思い知らせておきたいのである。

 フーススは降臨者に会いに行く。謁見を果たし、元老院セナートスこそがレーマ帝国の最高意思決定機関であることを明らかにするとともに、レーマと降臨者の良好な関係を築く。その功績は計り知れないものとなるだろう。そうなればコルネイルスの立場はどうなる?フーススは今でこそコルネイルスを敬うように接してくれているが、アルビオンニアから帰ってきた後もそうするとは限らない。他の議員たちも、コルネイルスよりフーススの言葉に重きを置くようになってしまうだろう。


 そんなことは許せん。認めるわけにはいかん。


 コルネイルス自身がどこまで考えていたか、後の世の人々が紐解いた歴史からうかがい知ることは出来ない。だが、己の器量に対して分不相応な立場に在った実力者たちの多くがそうであったように、コルネイルスもまた本能的に己の立場を危うくすることになるであろう存在に危機感を抱き、警戒し、そして今の立場を活かして己の後の立場を確保できるよう、今のうちに牽制を図っているのだった。


「もちろんです、コルウス卿。

 我々守旧派をまとめ上げ、引っ張っていくのはコルウス卿を置いてほかに居りません。

 ならば、私がレーマを離れた後を託せるのもコルウス卿ただ一人。」


 フーススはあえてコルネイルスに服従するように振る舞った。この場に居るのはそれなりに経験を積んだ元老院議員セナートルたちである。コルネイルスの見え透いた思惑など、見抜いけていない者など一人もいない。そしてフーススの立場がどういうものであるかも計算出来ているはずだ。なら、ここでコルネイルスに屈服してみせたとして、いったい何を困ることがあろうか?

 実際、こうしてコルネイルスに頭を下げるフーススを見て、そしてそれを見下ろすコルネイルスを見て、コルネイルスへの忠誠を新たにする議員など居なかった。むしろコルネイルスに失望し、フーススに同情する議員が大部分である。


 今はタウルス卿よりもコルウス卿が勝っている。

 だが、早晩この力関係はくつがえるだろう。

 その時、この仕打ちがコルウス卿のお立場を悪くすることにお気づきになられないのだろうか?


 そうした議員たちの内心までコルネイルスは想像できていなかった。君臨することに慣れすぎた彼に、いつでも自分と立場が入れ替わりうる人物と接し、上手に立ち回るような習慣など無かったからだ。

 ただ、目の前で服従するフーススの姿に満足し、周囲の議員たちの目に自分に対する怯えのようなものを見て取るとコルネイルスはようやく安心したようにフンッと鼻を鳴らし、上体の力を抜いた。


「よし、わかった!」


 壁際に発つ近習に視線をやり、わずかな仕草で香茶のお代わりを要求する。


副執政官ウィケコンスルの件は

 皆も

 近日招集される元老院セナートスで、タウルス卿の派遣と共に決めよう。」


 ようやく、いつもの調子に戻ったコルネイルスは満足そうにそう言いながら、背もたれに上体を預けた。大物政治家らしく居並ぶ議員たちに、次の元老院に備えて根回しするよう指示を出しながら新しく淹れなおされた香茶を受け取るコルネイルスの表情に、疑問や疑念、不安といった色は全くない。むしろ手にした茶碗から立ち昇る最上等の香茶の香りに耽溺するように、半ば恍惚こうこつとした表情を浮かべている。

 だが同じ香茶から立ち昇っているはずの香りは、他の議員たちにはコルネイルスが嗅ぎ取っていたのとはまた違った印象をもたらしていた。

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