第830話 守旧派の不和

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「そ、それは、次期執政官コンスル候補からタウルス卿を外すということですか!?」


 フラウス・ディアニウス・レマヌスがガタッと椅子を鳴らして悲鳴じみた声をあげた。これにはさすがに元老院議員セナートルたちも狼狽うろたえるのを禁じ得ない。現在、彼ら守旧派が元老院セナートスで皇帝派に勝てているのは現職執政官フースス・タウルス・アヴァロニクスの個人的人気に負うところが大きいのだ。守旧派は元老院で最大派閥ではあるが、単独で議席の過半数を得るところまではいっていない。中道派その他の皇帝派にも守旧派にも属さぬ第三勢力の支持を得ることでようやく議席の過半数を獲得し、執政官をはじめ閣僚クルリスのポストを守旧派が独占できている。


 タウルス卿を放逐することになれば、守旧派われわれは執政官選挙で勝てなくなるかもしれない……コルウス卿は分かっているのか?!


 フーススが執政官選挙に出るから集まっている票が集まらなくなってしまう。そうなればまた執政官職を皇帝派に奪われる事態に陥りかねなかった。


「待て待て、そこまでは言っておらんではないか!?」


 コルネイルス・コルウス・アルウィナは両手を上げて議員たちを抑える。


「ですが、タウルス卿のいない元老院セナートスの運営を考えるとおっしゃったではありませんか!?

 それを来年以降もということは、次期執政官コンスル選挙でタウルス卿を推さないということになりませんか?」


 ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスが声を上ずらせながらも、なんとか自制を保ちつつ問いかける。フーススとコルネイルスの橋渡しをし、フーススが執政官になるきっかけを作り、その後も両者の調整を続けてきた彼にとって、コルネイルスがフーススに見切りをつけるなど全く想定もしていなかった。


「そうです!

 今のところ何の落ち度もないタウルス卿を執政官コンスルから降ろすなど、レーマ市民の理解が得られません。」

「まして留守中のタウルス卿を守旧派われわれが切ったりすれば、レーマ市民からは“裏切り”プロディティオーと見做されかねません!」

「そうだ、レーマ市民は“裏切り”プロディティオーを何よりも嫌う!」


 ウァリウスの言葉を皮切りに、他の議員たちも次々とコルネイルスに批判の声を上げ始めた。これは守旧派議員の会合では滅多にないことである。


「う、“裏切り”プロディティオーだと!?

 何を馬鹿な!選挙で推さんなどと言っておらんではないか!?」


 予想外の反発にコルネイルスも動転してしまった。その口から唾が飛び、顎へ垂れる。肘掛けをガッシと掴んだコルネイルスの顔色も見る間に変わり始めた。


「誰だ!今、ワシのことを“裏切り者”プロディトルなどと言った奴は!?

 いい加減なことを言うと許さんぞ!!」


「まあ静まれ!静まり給え、諸君!

 コルウス卿も落ち着き給え!」


 さすがに収拾がつかなくなりかねない事態にピウス・ネラーティウス・アハーラが仲裁に乗り出した。

 だがコルネイルスは面白くない。名誉ある上級貴族パトリキが、それも名門コルウス家の自分が口にするのもはばかられるような汚い言葉でののしられたのである。おおよそ“不名誉”とされるありとあらゆることに耐性の無い彼には我慢できることではなかった。


「これが落ち着いてなどいられますかネラーティウス卿!

 聞いたでしょう!?

 今、誰かがワシのことを“裏切り者”プロディトルなどと!」


「言っておらんよ!

 誰も言っておらん!

 けいの聞き間違いだ、落ち着き給え!」


 顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら喚き散らしていたコルネイルスが落ち着きを取り戻すまで、それから約五分ほどの時間を要した。


「……だから、レーマを留守にしているタウルス卿を執政官コンスルから降ろせば、レーマ市民が我々全員を“裏切り者”プロディトルと呼ぶかもしれんと言ったのだ。

 卿のことを言ったわけではない。誰も言っておらん。

 理解したかね?


 それから諸君、コルウス卿はタウルス卿を執政官コンスルから降ろすなどとは一言も言っておらん。

 ただ、タウルス卿の留守中、どう元老院セナートスを運営し守旧派われわれの勢力を保つかを考えねばならんと言ったのだ。

 皆も理解したかね!?」


 ピウスは全員が落ち着きを取り戻したのを見計らい、全員を相手に要点を再確認した。双方とも不承不承ふしょうぶしょうながら頷き、まだ不満を溜め込んだままではいたが話し合いを再開できる下地だけは何とか作り出したのだった。


「話は理解しました。

 しかし、どうしようというのです?

 皇帝インペラートルなどというふざけた存在がこのレーマ帝国に現れる前、戦があれば時の執政官コンスル軍団レギオーを率いて戦場へ向かったではありませんか?

 歴史上の先達に出来て今を生きる我々に出来んというのであれば、それは恥ずべきこととしか思えません。」


 コルネイルスが自分を見限ろうとしている……そう解釈し、その精神的ショックにより黙ったまま様子を見ていたフーススは苛立ちを滲ませながら言った。フーススは目的に向かってわき目もふらずに前進するタイプのリーダーであり、信頼できる仲間に脇を固めてもらうことで初めてその能力を発揮できる。その彼にとってこのように身内がゴタゴタしているのは最も好ましからざる事態であった。しかも、そのゴタゴタの中心にいるのがフーススの脇を固めてくれるはずのコルネイルス本人なのだから始末に負えない。

 一応の落ち着きを取り戻しはしたものの、未だに興奮が冷めきらないコルネイルスはブフーッ、ブフーッ、とわざと鳴らしているのではないかと思えるほど大きな鼻息を響かせながら面白くなさそうにフーススの顔を睨み、それからプイッと顔を背けた。


 今回、彼は随分と不愉快な思いをしていた。そしてその中心にいるのはフーススである。自分の意に添わぬ形で立候補し、自分を、自分の守旧派を勝手に引っ張っていこうとした……自分のことをないがしろにしようとしたのだ。だからちょっとおきゅうを据えてやろうとしたらコレだ。のだ。

 ピウスが仲裁に入ったからが、本来ならこのような生意気な態度など許されることではないのだ。いつか改めて立場というものを叩きこんでやらねばならん。

 コルネイルスの頭の中ではそうした憤懣が渦を巻いていた。つまるところ彼はまだ、感情の整理までは付いていないのだった。


 コルネイルスの子供じみた態度を見たピウスは溜息を噛み殺しながらフーススらに向き直り、コルネイルスに代わって話をする。


「タウルス卿、昔の執政官コンスルが自ら戦場へ行けたのは執政官コンスルが二人いたからだ。

 一人が戦場へおもむいても、もう一人はレーマに残って政務を執り行うことができるようになっておった。

 しかし、今はどうだ?

 執政官コンスルは卿一人ではないか。

 それなのにたった一人の執政官コンスルがレーマを離れたら、誰が代わりを務めるのだね?」

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