第829話 次の問題

統一歴九十九年五月十一日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



 元老院セナートス守旧派の最有力者コルネイルス・コルウス・アルウィナ……先祖代々元老院議員セナートルを務め続けた法貴族の家系であり、レーマでも最も裕福な上級貴族パトリキの一人として知られる。『脂肪アルウィナ』などという馬鹿げた家名コグノーメンは、一族の豊かさに由来する異名を先祖の誰かがそのまま家名にしてしまったものだ。そして、コルウス家はそのような豊かさゆえか、我儘者が多い貴族ノビリタスの中でもとりわけ我儘の強い人物が多いことで知られる。

 フースス・タウルス・アヴァロニクスら守旧派議員たちは今日、その我儘に振り回されたばかりだったが、それはどうやら一度では収まりそうにないらしい。


「タウルス卿を……アルビオンニアへ行かせるのですか!?」


 驚きの声を上げたのは意外にもフースス本人ではなく、執政官コンスルであるフーススの下で総務長官ケンソルを務めるウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスだった。

 ウァリウスは昨日、フーススをいさめた時はまだ筆頭元老院議員プリンケプス・セナートスであるピウス・ネラーティウス・アハーラがコルネイルスの説得に乗り出したことを知っていたので、フーススが本人の希望通りに行くことになるだろうとは思っていた。だが、今日のコルネイルスとピウスの態度からどうやらピウスはコルネイルスの説得に失敗したのだろうと、フーススは今回は断念せざるを得ないだろうと判断していた。が、その判断が今再びコルネイルスによってくつがえされたのである。


「あぁっ」


 不敵な笑みを浮かべたままコルネイルスは茶碗ポクルムに手を伸ばす。


守旧派われわれ皇帝インペラートルに対して優位に立つためには、やはりタウルス卿かネラーティウス卿に行ってもらうのが一番だ。

 皇帝インペラートル元老院セナートスよりも早く使者を送ることが出来るかもしれんが、どう頑張ったところで大した称号も肩書もない下級貴族ノビレスを名代に立てるぐらいしかできん。

 そこへ守旧派われわれ元老院セナートスを代表しうる高位な上級貴族パトリキを送れば、降臨者様の心証はずっと元老院われわれへ傾くに違いない。

 ならば、守旧派われわれが送り得る最も高位な上級貴族パトリキを使者に選ぶべきだ。タウルス卿なら現役の執政官コンスルだし、位が足らんなどということはあるまい。その上、本人が行きたがっている。

 なら、タウルス卿以外の者を選ぶ理由などあるまい?」


 立て板に水のごとく、それこそそう言おうとあらかじめ練習でもしていたかのように理由を述べると、コルネイルスは満足そうに香茶をすすった。


「それとも、誰か反対意見の者でも居るのか?」


 香茶を啜ったあと、美味さに感銘でも受けたかのように背を伸びあがらせたコルネイルスは天井を見上げたまま舌鼓したづつみを慣らしてそう言うと、誰を見やることもなく天井を見上げた姿勢のまま誰かが発言するのをジッと待つ。

 むろん、誰も意見をする者など居ない。フースス自身も、どういう展開なのかコルネイルスの腹の内を読み切れずに困惑しているような有様だ。


「反対意見は……無いようだな?」


 背もたれに上体を預けていたコルネイルスが背を起こす。その顔には先ほどまでの笑みは無かった。


「ではタウルス卿を送り出す……

 が、その前に解決せねばならん問題があるのだ。」


 どうやら、これからが本番か?


 コルネイルスの表情を見た多くの議員たちは緊張を新たにする。

 多分、コルネイルスの中でもフーススを送り出すことは決まっていたのだ。昨日、わざわざ否定的な態度をとったのはフーススを送り出すこと自体に問題があったからではあるまい。やはりコルネイルスの意を介さぬ形でフーススが立候補したのが問題だったのだ。

 だが、それを問題に感じていたからといってフーススを送り出すのがベストだというのなら、他の選択肢をわざわざ挙げるのも馬鹿げている。ならば、そのような問題が生じてしまった状況を利用して揺さぶりをかけ、より重要な次の問題で自分の意が通りやすいようにしようとしたのだろう。

 正直言って上手いやり方ではない。むしろ不器用と言っていいくらいだ。貴族社会で、おまけに彼が実力のある上級貴族だからこそ通用しているようなものであり、普通なら敵を増やすだけで終わるだろう。……が、それはここでは関係ない。本人もそれをしっかりとは自覚していない。だから彼はそのまま話を続ける。


「タウルス卿がアルビオンニアなどという辺境へ向かう。

 おそらく……いや、間違いなく半年は帰ってこれぬであろう。

 移動だけで片道三か月はかかる距離だからな。往復の移動だけで半年……さらに降臨者様との謁見が長引けば帰りはさらに遅くなる。」


 コルネイルスはさも困ったと言いたげに眉を寄せ、同席する同僚議員たちを見回した。議員たちはジッとコルネイルスを見つめ、耳を傾ける。ピウスだけは、まるで既にコルネイルスが言わんとしていることを知っているのか、目を閉じて黙ったまま耳だけを傾けているようだ。


「タウルス卿が途中で引き返すなら話は別だが……タウルス卿のことだ。間違ってもそのようなことはすまい。それで無事アルビオンニア属州まで行けたなら、タウルス卿が年内にレーマへ戻るのは難しいだろう。

 我々はタウルス卿が不在の間、どうするかを考えねばならぬ。」


「タウルス卿が留守中の、元老院セナートスの運営ですか?」


 ウァリウスがいぶかし気に尋ねる。

 行政に関しては閣僚クルリスたちの仕事だ。もちろん元老院に関係ないというわけではないが、閣僚の最高ポストである執政官が長期不在になるからと言って、ここで閣僚でもないコルネイルスがあえて口出しするようなことではない。となれば、コルネイルスが言っているのは閣僚の問題ではなく、元老院の問題の筈だ。

 ウァリウスのその予想は外れと言うわけではなかったが当たっても居なかった。コルネイルスはわずかに口角を持ち上げて首を振る。


「それもだが、それだけではない。

 それだけなら大した問題でもあるまい?」


「といいますと……」


「事は留守を守る我々だけの問題ではない。年内に帰ってこれぬタウルス卿自身の問題でもある。」


「私自身?」


 今度は今まで黙っていたフーススが怪訝そうに声を上げた。まさかフーススも気づいていなかったのかと少し驚いたように片眉を上げてコルネイルスは話を続ける。


「年内にレーマに帰ってこれぬ……つまり、タウルス卿は次の選挙に出られぬということだ。」


 議員たちのうめき声が溢れた。

 元老院議員には任期は無い。欠員が生じればその欠員を埋めるための選挙は行われるが、一度当選すればあとは基本的に終身である。何かよほどの問題を起こして弾劾されたり、自ら辞職したりしない限り議席を失うことは無い。

 だが、閣僚クルリスのポストは別だ。内閣に相当する二十人官ウィギンティウィリと呼ばれる閣僚には二年の任期があり、その最高職である執政官も二年ごとに選挙で選出されなければならない。そしてフーススら現職閣僚の任期は今年いっぱいまでなのだ。

 今年の十二月には選挙が行われる。それに出馬しなければフーススは執政官の職を自動的に失うことになる。誰になるか分からないが、次期執政官に閣僚ポストを用意して貰えなければ、来年と再来年はヒラの元老院議員として過ごさねばならなくなるだろう。

 もちろん、誰かが代理で選挙に出馬するという手も無くはない。不在とはいえフーススは公用で戻れないのだから、誰かが代理で選挙に出たとしてもそれを咎める者など居ないだろう。しかし、ここでコルネイルスがフーススの不在を問題視するということは、コルネイルスにはフーススの代理選挙をサポートする気が無いということを意味していた。


「つまり、我々は来年以降も含め、を考えねばならんのだ……」

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