第488話 ファドの容体

統一歴九十九年五月六日、昼 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム



「ファドが戻ったって!?」


 『勇者団ブレーブス』がアルビオンニウムでの活動の拠点としている木こり小屋の中にペトミー・フーマンが息を弾ませて駆けこんできた。彼は昨夜逃げ散ってしまった盗賊たちや敵の拠点となっているケレース神殿テンプルム・ケレースの様子を確認するために出かけていたが、使い魔がファドの帰還を伝えてきたため急いで戻ってきたのだった。


「ああ、ペトミーか…」

「お帰りペトミー」

「フーマン様、どうかお静かに!」


 ペトミーが小屋に戻った時、出迎えたのはティフ・ブルーボールとペイトウィン・ホエールキング、そしてフィリップ・エイー・ルメオの三人だった。エイーにたしなめられ、小屋を見回してまだ寝込んでいる仲間たちが居ることを思い出したペトミーは息を飲んだ。


「す、すまないエイー。

 それで、ファドは?

 戻ったんだろう?」


「ああ、戻ったが今は寝てる。」


 ペイトウィンの説明にペトミーは耳を疑るように眉をひそめる。


「寝てる!?

 まさかアイツもスライムに!?」


 昨夜、彼らは戦場に突如大量発生した沼スライムスワンプ・スライムに集られ、気づかぬ間に魔力を吸われ思わぬ苦戦を強いられた。戦場から離脱した後も靴やズボンの中にスライムに侵入されていたせいで魔力を吸われ続け、アジトに戻ってきた時には半数以上の者が魔力欠乏寸前になっていたのである。

 だがファドは別行動をとっていた。敵の《地の精霊アース・エレメンタル》を彼らが引き付けている間、ファドは裏から単騎侵入する手筈になっていたのである。だから作戦が上手くいっていたのであれば、ファドはおそらく《地の精霊》が召喚したであろうスライムの餌食になどなっていない筈だった。


「違う。魔力欠乏じゃない。

 大怪我をしてたんだ。」


「大怪我だって!?

 ウソだろ!?あのファドが!?」


 ペトミーは思わず大きな声を出し、エイーが再び口に人差し指を当てた。


「フーマン様!」

「ペトミー、落ち着いてくれ。」


 エイーとペイトウィンに宥められ、ペトミーは改めて声を抑えて続けた。


「怪我ってどんな具合だったんだ?

 ファドがやられるなんて、信じられない。」


「ペトミー安心してくれ、怪我はもうエイーの治癒魔法で治った。

 だが、ここに帰ってくるまでに随分血を失ったようだ。

 元気を取り戻すようになるまで、安静にする必要がある。

 だから今は静かにするんだ。」


「わ、わかった…だが…そんな、信じられない。

 し、失血の方も魔法で何とかならないのか?」


 ペイトウィンの説得するような説明にペトミーはなんとか落ち着きを取り戻したようだったが、頭の中はまだパニックを起こしたままのようだ。『勇者団』唯一のヒーラーであるエイーに縋るように問いかける。


「申し訳ありません、フーマン様。

 私はもう傷を治すだけで魔力が…」


 エイーは昨夜の戦闘中の支援魔法や撤収後の全員の治療と全員分の装備の浄化でだいぶ魔力を消耗していた。そして帰ってきたファドの治療をしたことで魔力は限界に近い。現にエイーの顔は血の気が失せて青白く、少しフラフラしているようだった。


「マ、マナ・ポーションならまだあるだろう!?」


「落ち着けペトミー!」


 ティフが見かねてエイーの前に割り込み、ペトミーの両肩に手を置き抑えこんだ。


「外で話そう。」


「あ、ああ…」


 ティフに促され、ペトミーは小屋の表に出た。そしてイヤになるくらい青い空を見上げて深呼吸すると、ティフの方を振り返って取り乱したことを謝った。


「ティフ、済まない興奮してしまって。」


「いや、俺だって信じられないんだ。

 ファドと仲の良かったお前がそうなるのは仕方ない。」


「だが…その…マナ・ポーションは使っちゃダメなのか?」


 諦めきれないペトミーはティフに尋ねる。マナ・ポーションを使えば、今のエイーはもっと強力な魔法でファドの失血を回復させることが出来るだろうし、他の魔力欠乏で寝ているメンバーたちも回復できる。


「ペトミー、それは昨夜も行ったはずだ。

 俺たちは昨日一日だけで持ってきたマナ・ポーションの三分の一を使ってしまった。なのに敵には敵わなかったし、その上メークミーを置き去りにしてしまった。

 俺たちはメークミーを助け出さなきゃならない。つまり、最低でもあと一回、もう一度戦わなきゃいけないんだ。

 だから今ここでマナ・ポーションを使うわけにはいかないんだ。」


「そ、それは分かってる。だけど…」


「落ち着けペトミー、魔力は一日寝れば回復する。

 そうすれば、エイーの魔法でファドの血だって戻してやれる。

 それにママだって言ってただろう?

 怪我とか病気は、なるべく魔法を使わずに治した方が良いって。」


「う、うん…」


 治癒魔法に頼ってばかりいると身体が持っている自然治癒力が衰えてしまう…彼らはそのように教わっていた。魔法がいつでも自分の意思で使える者にとってそれはどうでもいい事のような気はしないでもない。修行を積めば持続的な回復魔法を常時発動状態にしておくことだって可能だし、彼らがママと呼ぶ大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフは実際にそうしている。それはもう自然治癒能力に頼る必要が無いことを意味するのだが、それでもフローリアはなるべく治癒魔法には頼るなと子供たちに教えていた。

 それは治癒魔法ですぐに怪我を治す癖がつくと、怪我をしてしまった人の痛みや深刻さを理解できなくなるからだった。他人を傷つけても、どうせ魔法ですぐ治せるという認識を持つようになると、他人を傷つけることに罪悪感を持てなくなる。痛みは一瞬の幻想でしかなくなってしまうのだ。他人を傷つけること、痛みを感じさせることに罪悪感が無くなり、平気で面白半分に人を傷つけるような人間に育ってしまう。そして彼らを暴君化してしまうだろう。実際、そういう事例は治癒魔法を使える聖貴族たちの間でいくつか見ることができていた。

 だからフローリアは自分が面倒を見ている子供たちになるべく治癒魔法を使わないよう厳しく、そしてしつこく繰り返し教えていた。


 ティフは肩を落としたペトミーの横に並び、肩を抱いて励ます。


「ファドは大丈夫だ。助かるってエイーが言ったんだ。

 それに元気が出る様にって、ナイスが山羊を獲って来てくれたんだ。

 ホラ、ちょっと血の匂いがするだろう?

 今この裏で捌いてるんだ。秋だから太っててきっと美味いぞ。

 それを食べて今日一日寝てれば、みんな元通りさ。」


「ああ…わ、分かったよ。

 すまなかったティフ。」


「いや、そうなるのは分かる。

 ファドはいい奴だし、何より俺の作戦のせいで怪我をしてしまった。

 敵の強さも良く分からないのに、ファドに無理を押し付けた。

 俺の責任だ。」


 ティフがそう言うと、ペトミーは驚きティフの方に向き直った。


「いや、そんなことはないさ!

 今回は…あの敵が異常だったんだ。

 あの強さはきっとボス・モンスターなんかより凄いよ。

 あんなのを一発で倒せって言う方が無理なんだ。

 父さんたちだって、ボスモンスターは何度も負けながら戦い方を研究したっていうじゃないか。最後に勝てばいいんだ。」


「ああ、ありがとう。」


 ようやく周囲に気を回せる程度に落ち着きを取り戻したらしいペトミーにティフは微笑み、ペトミーもまた微笑み返した。その笑顔にはまだ影が射していたが、それは仕方のないことだろう。

 ティフは再びペトミーの肩に手を回すと歩き始めた。


「ところでペトミー、敵や盗賊どもの様子を見て来たんだろう?

 どんな様子だったか教えてくれないか?」

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