第487話 セプティミウスの依頼

統一歴九十九年五月六日、午前 - ケレース神殿テンプルム・ケレース/アルビオンニウム



「ではイェルナク様はサウマンディウムへ向かわれたのですか?」


「ええ、今頃船着き場に到着したくらいでしょう。

 歩けない捕虜を運ぶのに兵を貸せとか言われましたよ。

 まったく、どこまでも図々しい…」


 ルクレティア・スパルタカシアは今朝の出来事を聞かされ驚き、そして呆れた。アルトリウシア軍団軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム・レギオニス・アルトリウシアセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは頭痛の種が居なくなった解放感からか、この男にしては珍しいくらいにおどけた様子で苦笑いを浮かべたまま頭を振って見せる。


 サウマンディア軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウス・レギオニス・サウマンディアカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子に捕虜の尋問からメルクリウス団の存在が確認されたと、それこそ鬼の首でも獲ったかのように報告したイェルナクは、このまま全兵力で盗賊団を追撃してメルクリウス団を捉えるべきだと進言した。まあ、彼からすればハン支援軍アウクシリア・ハンの起こした叛乱事件を有耶無耶うやむやに出来る最大のチャンスなのだから、昨夜の勝利の勢いに乗って一気いっき呵成かせいに盗賊団を攻め、メルクリウス団を追い詰めたいのは当然だろう。

 だが、カエソーは却下した。


 現在、カエソーが独断で動かして良い戦力は、実はない。しいて言えば、サウマディアからケレース神殿調査のために派遣された神官スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルらの護衛部隊二個百人隊ケントゥリアだけである。

 二個百人隊しか動かせず、しかもケレース神殿を守らねばならない状態では攻勢に出れるわけもない。無理に動かしたとしても一個百人隊だけだろうし、一個百人隊ではいくら相手が盗賊とはいえ二百人を相手にするには心もとない。相手は神出鬼没で、しかも『勇者団』がいる以上、地の利の無い土地で罠にかけられたら全滅は必至である。


 他にサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアからは第八大隊コホルス・オクタウァが派遣されているが、第八大隊は本来ティトゥス街道整備のためにアルビオンニア属州領主たるエルネスティーネ・フォン・アルビオンニアとの合意の下に派遣されている部隊であり、エルネスティーネに無断で軍事作戦を展開して良い部隊ではない。昨夜の戦闘は住民保護のために宮殿跡に駐屯すべく移動していたら、退に過ぎないのだ。


 仮に法的な問題が無かったとしても第八大隊は戦闘を行うために派遣されたわけではないので、用意していた武器弾薬に限りがあり、本格的な軍事作戦を展開するにはサウマンディウムから武器弾薬の補充を受けねばならない。それは警備のために派遣されていた二個百人隊も同じで、本格的な戦闘は想定していなかったので、昨夜の戦闘で保有する弾薬の三分の一近くを既に消耗していた。


 そして、ルクレティアと共に来たアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの三個百人隊はやはりルクレティアの警護のために必要であるし、そもそも昨日一昨日と連日の夜戦で疲労がピークに達している。とてもではないが動かせる状態には無いのだ。


「分かりました!

 では、直接プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵に御報告し、メルクリウス団討伐を進言したいと思います!!」


 カエソーを説得できないと悟ったイェルナクは半ば憤慨するように宣言した。正直言ってそれはそれで面倒なことではあったが、これ以上この場を引っ掻き回されるよりはマシである。カエソーは捕虜の移送も含め、イェルナクの渡航を許可したのだった。


 元々、新たな聖女サクラとなったルクレティアに挨拶をするために第八大隊視察という名目でアルビオンニウムへ渡ってきたにすぎないカエソーは、ルクレティアがアルビオンニウムから帰ったらすぐにサウマンディウムへ戻るつもりでいた。だから今日か明日の船で帰るはずだった。それに便乗してきたイェルナクもまた、何もなくとも今日か明日の船で帰る予定だったのである。

 カエソーは『勇者団』の存在が明らかになったせいで帰るわけにはいかなくなってしまったが、イェルナクが帰るのは予定通りと言えば予定通りなのだ。ただ、捕虜という予定外の便乗者が増えた以外は…。


「でも、それでよかったのですか?

 図らずもハン支援軍アウクシリア・ハンに都合のいい証言者を与えてしまったのでしょう?」


 ハン支援軍は昔から住民たちや他のレーマ軍将兵との間で良く揉め事を起こしていた。そして、その解決のための話し合いの場には必ずイェルナクが顔を出している。彼がハン支援軍の渉外担当の最高責任者なのだから仕方ないのだが、おかげでイェルナクが現れるところトラブル在りというイメージがどうしても出来上がってしまっていた。ルクレティア自身もそうしたイメージを持っており、イェルナクが陰謀論を吹聴して叛乱事件をもみ消そうとしているとの噂も聞いていたのだ。

 そのイェルナクがメルクリウス団の存在を裏付ける証言を得た…これで何も悪いことが起こらないと考える方がおかしいだろう。本気で心配している様子のルクレティアに気付き、セプティミウスは態度をわずかに改め、宥めるように説明した。


「イェルナクの集めた証言はメルクリウス団の存在を臭わせるものではありますが、そのメルクリウス団の正体が例の『勇者団』であると断定させるようなものではありません。小官も報告書は見ましたが、どうやら『勇者団』は盗賊どもとの接触を最小限に抑えていたようですな。

 それに、証言はどこか整合性の取れていない部分もあり、そのまま鵜呑みにできるようなものでもありませんでした。証言を書き取っただけで精査しておらんのでしょうな。

 仮に盗賊どもの証言がすべて真実だとしても、メルクリウス団とやらが現れたのは先月の半ばのようです。つまり、ハン族が蜂起した後…」


「叛乱の責任をメルクリウス団に押し付けることは出来ない?」


「今のままではそうです。」


 面会を求めてきたセプティミウスに応接室タブリヌムの一つで応じたルクレティアは現状の説明に納得し、多少の安心もしたようだった。肩から力を抜いてスゥっと静かに息を吐くと、香茶の入った茶碗ポクルムを口元を運んだ。


「そういえば、サウマンディウムへ行く船がもう出るのでしたら、ヴァナディーズ先生はどうなるのでしょうか?」


 香茶を一口啜ったルクレティアは、思いつめた様子で気に成っていたことをセプティミウスに尋ねた。ヴァナディーズ自身は今、昨夜の戦闘を目の当たりにして心労がたたり、体調を崩して寝込んでしまっていてここには居ない。

 セプティミウスはルクレティアの心情をおもんぱかり、なるべく平静に、何でもないと言う風を装って説明した。


「もちろん、サウマンディウムへ行っていただかねばならないでしょう。

 女史は『勇者団』について御存知でした。『勇者団』の活動に加わっていなかったにしても、証言はしていただかねばなりません。」


「では、別の便で?」


「おそらく伯爵公子が帰られる際に同行していただくことになると思います。

 イェルナクと同行して、万が一ヴァナディーズ女史から『勇者団』のことがイェルナクに漏れでもしたら大変ですからな、そういう理由もあって日を改めて渡っていただきます。」


「どれくらいの間、サウマンディウムへ留め置かれるのでしょうか?」


「それは何とも…ですが、女史は罪を犯したわけではありませんから、酷い扱いを受ける心配はないと小官は確信しております。」


「そうですか…よかった。」


 一番気がかりだったことが聞けて安心したのだろう、ルクレティアはセプティミウスに今日初めて笑顔を見せた。セプティミウスもそれを見て胸のつかえがとれたような気持になる。

 二人そろって香茶を啜ると、セプティミウスは自分の用件について話し始めた。


「それで、日程の件なのですが…」


「はい、やはり遅らせるのですね?」


 ルクレティアもある程度予想していたようで、先回りして訊いてくる。


「ええ、兵どもの疲労が限界に達しており、休ませる必要があります。

 途中で盗賊どもが襲ってこないとも限りませんからな…ここで一度、兵どもに十分な休養を与えたいと考えます。」


「分かりました。それは致し方ないと存じます。

 それに関係すると思うのですが、今朝 《地の精霊アース・エレメンタル》様を通じてリュウイチ様からことづけをお受けいたしました。」


「リュウイチ様から!?」


 セプティミウスは思いもかけない話に思わず目を丸くする。


「はい…何でも昨日の朝、あちらから援軍がこちらに向かって出立したとか…」


「援軍!?

 昨日の朝ですか!?」


「ええ…そのヒトの軍勢だそうなので、おそらくアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアだと思うのですが、何分 《地の精霊》様は数がお分かりになられないものですから…どなたが率いているのかも…」


 セプティミウスは額に手を当て視線を落とし、考え始める。現状、兵は疲弊していて動かせる状況にはない。だが、それはおそらく敵側も同じはずだ。捕虜となったメークミーもまだ魔力が回復しないと言っているのだから、おそらく『勇者団』も行動を起こせる状況にはないはず。だからこそ今日一日を休養に当て、兵たちが回復し次第、ルクレティアにはアルビオンニウムを発ってもらうつもりでいた。だが、援軍が来るとなれば話は別である。


「うう~む…明日出立のつもりでしたが、それでは援軍を待って合流してから出立していただいた方がいいのか?」


「それは何とも、軍勢がどの程度かも誰が率いているかもわかりませんので…」


「いやっ、昨日の朝に向こうを出立したのなら今日の夕刻にはシュバルツゼーブルグへ到着するはずです。ならばまず早馬で連絡を取ってみましょう。

 どのみち、今日はここで兵を休ませます。」


「わかりました。では、よろしくお願いします。」


 一つの用件が終わったところで、セプティミウスの目が若干泳いだ。そして、少し言いづらそうに口を開く。


「それから、一つお願いがあるのですが…」


「はい、私に出来ることでしたら…」


 セプティミウスの様子から何か力を貸してほしいという事なのだろう。ルクレティアはこういう時である以上、積極的に力になりたいと思っていた。それは彼女の思い描いていた理想の聖女像でもあったからだ。

 ルクレティアはやる気をアピールするように言ったが、その様子にセプティミウスは却って気まずそうに話を続ける。


「ええ、その…実はとらえた『勇者団』の…」


「えっと、メークミー・サンドウィッチ様…でしたか?」


 ルクレティアの予想は半分当たり、そして半分外れていた。セプティミウスはルクレティアの助けを必要としていたが、それはルクレティアが期待していた聖女としての力を貸してほしいと言うような内容ではなかった。


「はい、彼の尋問にお付き合いいただきたいのです。」

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