第486話 ブレーブスの朝

統一歴九十九年五月六日、午前 - アルビオンニウム郊外/アルビオンニウム



 『勇者団ブレーブス』のリーダー、ハーフエルフのティフ・ブルーボール二世が目を覚ました時、既に日は高く昇っていた。それだけ消耗しきっていたのである。


 端的に言って彼らは惨敗した。彼らにとって初めての敗北と言って良いかもしれない。一昨日のブルグトアドルフ襲撃も確かに失敗したが、あれはまだ全力ではなかった。敵の様子も、《地の精霊アース・エレメンタル》が敵側についていること自体も知らなかった。だから、ちょっと失敗した。それだけだ。敗北だとは思ってなかった。

 だが昨夜は違う。持てる全戦力を投入したのだ。敵側に強力な《地の精霊》が居ることも分かっていた。油断は無かったはずだ。


 だが負けた。完敗だった…そう言っていいだろう。こちら側は結局、目的を一つとして達成することが出来ず、撃退された上に捕虜までとられてしまったのだ。しかもその捕虜は使い捨てにしてよい盗賊の一味などではない。『勇者団』の一員、ゲーマーの血を引くれっきとした聖貴族だ。

 撤退する際、味方を逃すために殿しんがりとなり、敵を引き付けて時間を稼ぎ、そして帰ってこなかった…ジョージ・メークミー・サンドウィッチ。


 目が覚めた時、ここがどこだか分からなかった。それがアルビオンニウム攻略の際の拠点に使おうと決めていた木こり小屋の中であることを思い出し、「そうか…帰って来てたんだ…」と思って再び目を閉じようとしたとたん、昨夜の記憶が走馬灯と呼ぶにはあまりにも激しい勢いで次々と脳裏によみがえってきた。そしてその悔しさ、みじめさ、自己嫌悪、罪悪感、その他もろもろの感情が沸き起こり、ティフはバッと毛布を跳ねのけて身体を起こした。


「おお…ティフ、起きたのか?」


 跳ね起きたティフにゆったりとした、どこかとぼけた様子で声をかけてきたのは『勇者団』一の魔法攻撃職、マジックキャスターのペイトウィン・ホエールキングだった。暖炉の前でたいして意味もなく火を焚きながらくつろいでいる。


「ペイトウィン?…他は?」


「起きてる奴もいれば、まだ寝てる奴もいる。

 ソファーキングと、あと殿になったスモルとデファーグはまだダメだ。あいつら消耗しすぎてる。

 他も起きてはいるが、回復はまだだな。おっと、起こすんじゃないぜ?」


 ティフが周囲を見回すと、小屋の中にはティフの他五人が横たわり、寝息を立てていた。全員が顔色が青い。


「お前は…平気なのか、ペイトウィン?」


 一人平気そうなペイトウィンに、半ば呆れるように、半ばなじるようにティフが問いかけると、ペイトウィンは肩をすくめて言った。


「俺は装備がいいからな。」


 昨夜は戦場から離脱したペイトウィンを除く全員が、ここへたどり着くなりぶっ倒れてしまった。いつの間にか、靴やズボンの中に沼スライムスワンプ・スライムが侵入しており、脚から魔力を奪っていたのだ。スライムはひるとほぼ同じである。気づかないうちに吸い付いてくる。そして蛭は血を吸うが、スライムは魔力を吸い取る。

 ここにたどり着き、脚がやたら冷たく痺れている事に気づいた時にはもう遅かった。ズボンや靴の中はパンパンに肥え太ったスライムでいっぱいだったのだ。全員で靴を脱ぎ、ズボンを脱いで吸い付いていたスライムを退治しなければならなかった。スライムはすぐに死んでくれるからまだ良いものの、暗い中では透明なスライムは見えにくい。吸い付かれても濡れているという感触しかないから、スライムだと気づきにくい。おまけに自然発生したスライムの中には豆粒くらいの非常に小さいモノもいるから油断が出来ないのだ。実際、スモルの腰巻の下から出てきた時は全員がビックリし、全員が恥ずかしいのも無視して下着まで全部脱ぎ、下半身裸になってパニックになってしまった。

 魔力感知能力に長けたペトミーがいなければ、夜明け前に誰かが魔力枯渇になってしまったとしても不思議ではなかっただろう。


 その中でペイトウィン一人だけが平気だったのは、彼自身が言ったように装備が良かったからだ。スライムが一番好みそうなマジックキャスターであるにもかかわらず、低位モンスターを寄せ付けない魔道具マジック・アイテムを装備していたため、一人だけスライムに食われずに済んでいた。


「ここに居ないのは?」


「外に出てる。と言っても、完全回復してるのは俺だけだ。

 ペトミーは使い魔使って偵察とか、盗賊どもとの連絡とかしてるみたいだな。

 エイーとスマッグは食い物の調達だ。

 あ~、もしかしたらナイスも食料調達かもしれん。

 本人は偵察とか言ってたが…」


 ペトミー・フーマンはモンスターテイマーとしての技能を買って、偵察や連絡などを任せてある。元々戦闘が苦手なこともあって、昨夜は無茶らしい無茶もせず、それが良かったのかスライムにもあまり食われていなかった。いや、本人がモンスターテイマーでモンスターの気配に敏感であることから、自然とスライムを避けていたというのが本当のところだろう。彼に食いついていたスライムはどれも小粒な奴ばかりで、ここに着いてから取り除いた奴も肥え太ってなかった。


 フィリップ・エイー・ルメオは『勇者団』のヒーラーであり、ヘンリー・スマッグ・トムボーイはエンチャンターでどちらも魔法支援職だ。ペイトウィンと一緒に戦闘から離れ、常に安全な場所にいたのでスライムにそれほど多く食いつかれてはいなかった。しかし、まったく被害が無かったわけではなく、彼らも下半身裸になってペトミーにスライムをとってもらっていたし、消耗もしていた。あくまでも、程度が軽かったと言う話である。


 アーノルド・ナイス・ジェークは武器攻撃職だが弓を得意とするアーチャーだ。このため戦闘には参加していたが、スライムの発生源となったゴーレムたちとは距離を置いていたためか、やはりスライムの被害は武器攻撃職の中ではかなり軽い方だった。もっとも、水撃ウォーター・ショットで砕かれたマッド・ゴーレムの残骸からコアを探し出す作業には参加していたので無傷というわけにはいかない。

 ただ、目覚めてすぐに歩ける程度には回復していたし、弓が使えるので偵察と称して狩りに出かけていたのだった。


 ティフはペイトウィンの話を聞きながらもう一度小屋の中を見渡し、寝ているメンバーを確認する。


「一人、足らないな…ファド!ファドはどうした!?」


 誰が足らないかに気付いたティフはパッとペイトウィンの方を見て尋ねた。だが、ペイトウィンは暖炉で燃える薪の山を木の棒でつつきながら首を振った。


「まさか?」


「まだ、戻っていない。」


 ティフは起き上がろうとし、よろけて、そしてこけた。


「おいおい、まだ起き上がるのは無理だ。

 大人しくしてろ。」


 スライムたちに脚から感覚がなくなるほど魔力を吸われていたため、まだ脚の感覚が戻っていないのだった。貧血でも起こしたかのように、頭がグラグラする。


「ファ、ファドは、ファドは俺の、俺の作戦で…オッ、オゥエ゛エ゛エ゛…」


 ティフは嘔吐し、吐瀉としゃ物がビチャビチャと水音をたてた。


「ほら、言わんこっちゃない!」


 ペイトウィンは眉を寄せ、立ち上がるとティフに歩み寄った。壁際の藁束を掴んで、床に広がった嘔吐物の上に被せて吸わせる。


「まだ死んだと決まったわけじゃない。

 今、ペトミーが使い魔使って探してる。

 あの黒妖犬ブラックドッグが一緒なんだぞ?

 そう簡単に死んだり捕まったりするもんか」


「だけど、だけどファドは…俺が、俺が一人で行かせたんだぞ!?」


 ティフの声が涙声になっていた。目も涙ぐんでいるが、それが溢れ出た感情によるものなのか、それとも単に嘔吐したからなのかはわからない。


「それなら、一人で残っちまったメークミーのことも心配してやるんだな。」


「それも、それもそうだけど…くそっ、あんなに強いなんて!」


 ティフは悔しさで自分の膝を拳で殴った。


「おい!他の連中を起こすな!

 今は回復することだけ考えろ!

 回復したら助けに行くんだろ?」


「ああ、ああもちろんだ…ああ、そうだな、すまない。」


 なんとか落ち着きを取り戻したティフが壁に寄り掛かり、うずくまると、ペイトウィンは小さくため息をついて立ち上がった。そして暖炉の前に戻ると、入口からナイスが戻ってきた。


「ホエールキング様!ファドの奴、戻ったみたいですよ。」


 小屋に入るなりナイスがそう言うと、ペイトウィンとティフは驚き顔を上げた。


「「何!?」」


「あ、ブルーボール様も目覚めたんですね?

 今、山羊とウサギ獲って来たんで、これから捌きますから、楽しみにしてください♪」


 声が二人分聞こえたのでティフが目覚めたことに気付いたナイスは、自分の手荷物を漁りながら狩りの成果を自慢げに報告する。ナイスはウサギはともかく、山羊は大きすぎて手持ちのナイフだけでは捌けないから、必要な道具を採りにもどったのだった。

 だが、ティフとペイトウィンの反応はナイスの予想外のものだった。


「それはいいっ!

 ファドが戻ったって!?」

「どこだ!?無事なのか!?」


 せっかくの狩りの成果を否定されたような気分になってちょっとショックを受け、そして二人の食いつきにややたじろぎながらナイスは答えた。


「ええ、向こうからジェットの奴が歩いてくるのが見えました。

 指笛吹いたら俺に気付いたみたいだったから、きっともうすぐ来ますよ。」

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