第256話 謁見の場へ

統一歴九十九年四月二十一日、夕 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 要塞司令部プリンキピア大ホールエクセドラ・マイウスでエルネスティーネから衝撃的な報告を受けた者たちの内、カールの親戚にあたる御用商人のグスタフ・キュッテルとアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア率いる軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテル、カール付きの侍女たち、そしてルキウスの妻アンティスティアはエルネスティーネらと共にそのまま陣営本部プラエトーリウムへ回ってリュウイチと謁見し、カールの身柄の引き渡しと治癒に立ち会う事となった。他の家臣団は明日改めて謁見するよう命じられる。

 エルネスティーネやルキウス、アルトリウスらに伴われて要塞司令部プリンキピア裏口ポスティクムからリュウイチの住む陣営本部プラエトーリウムへゾロゾロと歩いていく。


「ま、まさかこのような事になるとはな…エルネスティーネが侯爵家へ嫁いで以来高貴な方々パトリキと接する機会は随分増えたし慣れたつもりだったが、まさか降臨者に目通りするとは思わなかった。」


アロイスもです、兄さんグスタフ

 レーマで留学中に何度か皇帝陛下インペラートルの御姿を拝見する機会はありましたが…まさかそれ以上の存在に直接お会いするなんて…」


 エルネスティーネの結婚はキュッテル兄弟の長兄エーベルハルトが仕組んだものだった。同じ兄弟とはいっても長兄のエーベルハルトと末子のアロイスでは歳がだいぶ離れており、エーベルハルトが父から家督を引き継いだのは二十二歳の時でアロイスが生まれたのと同じ統一歴七十一年のことだった。翌年の七十二年にエーベルハルトは没落寸前だったキルシュネライト伯爵家の令嬢エルメンヒルデと結婚してキルシュネライト伯爵家御用商人の指名を受ける。エーベルハルトは御用商人の地位を利用してキュッテル商会を大きく成長させるとともに、キルシュネライト伯爵家の再興に尽力し、絶大な影響力を獲得する。そしてキルシュネライト家のコネを使ってエルネスティーネを侯爵家へと嫁がせ、弟のグスタフをアルビオンニア侯爵家の御用商人に指名させた。

 エルネスティーネに縁談が持ち込まれた時、グスタフもアロイスもその場にはいなかったが、後で聞かされた時は耳を疑ったものだった。エーベルハルトが妹たちを貴族パトリキに嫁入りさせようと画策していることは知っていたが、せいぜい男爵バロ子爵ウィケコメスぐらいだろうと思っていたのだ。エーベルハルトは伯爵コメスから嫁を貰ったが、それは相手が没落貴族の名ばかり伯爵コメスだったからこそだ。普通はそんな上位の貴族パトリキとの縁談なんて成立するものではない。それなのにエルネスティーネの相手は侯爵マルキオーだ。皇族以外の領土持ち貴族パトリキの中では最上級の家格…あるはずのない出来事だった。あの時の驚きは今でも忘れない。

 しかし、それ以上の驚きを彼らは今日共にしていた。まさか侯爵夫人マルキオニッサになったエルネスティーネのコネで降臨者に謁見することになろうとは…きっと、エーベルハルトだって信じないに違いない。


あなたルキウスアンティスティア急だったからこんな格好だけど大丈夫かしら?

 言ってくださればもっとちゃんとした格好をしましたのに・・・」


 薄暗い通路を歩きながらアンティスティアが不安げに夫に話しかける。誰よりも貴族パトリキたらんとする彼女は夫を呼ぶ時はいつも「子爵閣下」と呼ぶ。だが心細くなると素に返ってしまい「あなた」と呼んでしまう癖があった。ルキウスはそんな時のアンティスティアが気に入っていた。


 貴族家の次男坊でいつも兄の予備スペア扱い…せめて気ままに自由にしてやるさと軍団レギオーで軍人として頑張ろうと奮起したところで落馬し、その怪我がもとで除隊。すっかり腐って世捨て人になってしまったルキウスの身の回りの世話を焼いていたのがアンティスティアだった。

 商家の娘で花嫁修業の一環としてルキウスの下へ送られてきていたわけだが、すっかり意気消沈してふさぎ込んでいたルキウスを他の貴族たちが腫物のように扱うのに対し、アンティスティアはいつも率直に接してくれた。ルキウスは次第にその貴族にはない素朴な態度に惹かれ、明るさを取り戻していった。


 貴族に対しては冷淡でそっけない態度をとる癖がついてしまっていたルキウスは嫁もろくに貰おうとしなかった。だが、嫁を娶らせないわけにも行かない。そこで、アンティスティアにだけは心を許すルキウスの様子を見ていた家族たちはいっそのこととアンティスティアにルキウスとの縁談を持ちかけた。本来ならこんな身分違いの結婚などあり得ず、当然親族らの反発が予想されたが、どうせ次男坊で家を継ぐ可能性も無く、また貴族の女には見向きもしないルキウスの性格から、子爵家の親族らはあっさり認めてしまった。

 こうしてアンティスティアはルキウスに嫁入りしたのだが、嫁入り後のアンティスティアは夫ルキウスにふさわしい妻になろうと奮起し、誰よりも貴族らしく振舞うようになってしまった。おかげで今ではルキウスの愛した昔の素朴さの面影はほとんど見られない。その素朴さが現れる瞬間…それはアンティスティアの心が緩んだ瞬間と心細くなった時だけだった。

 だから、ルキウスはいつもアンティスティアには優しく接しているが、アンティスティアが心細くなった時にはより一層優しく接するようになっていた。


「大丈夫だよアンティスティア、リュウイチ様はおおらかな御方だ。」


「そういうことを言ってるのではありませんわ。

 先方を御不快にさせないのは当然として、子爵夫人ウィケコメニッサとして恥ずかしくない恰好をしませんと!」


「心配しなくていい。お前アンティスティアは並の貴族パトリキよりよっぽど貴族パトリキらしく振舞えているよ。」


あなたルキウスったら、いつもそうやってアンティスティアをからかって…そういえば、子爵閣下ルキウス


「何だ、いきなり改まって?」


 アンティスティアの使う二人称が「あなた」から「子爵閣下」に変わったことにルキウスはドキッとした。それはいつもの小言が始まる予兆だったからだ。


子爵閣下ルキウスはこれまでもリュウイチ様にお会いなさったのですよね?」


「あ、ああ…」


「まさか、いつもの恰好でお会いしてたのですか!?」


「ああ…そうだが?」


「そうだがじゃありません!いつも楽な格好ばかりなさるんだから!」


「いや、リュウイチ様のことは秘密にしなきゃいけないんだから、特別な格好なんかしたら周りの者が何かあったかと思うだろう?」


「だからって!」


「まぁまぁ、アンティスティアさん。

 リュウイチ様は素朴な御方のようです。お食事もあまり派手な御馳走は好まれないようですから、私たちもあまり派手に着飾らない方が良いようなのですよ?」


 エルネスティーネがクスクス笑いながらルキウスに助け舟を出すと、アンティスティアも多少は落ち着いたようだった。


侯爵夫人マルキオニッサがそうおっしゃるのでしたら…でも子爵閣下ルキウスはもう少し御召し物に気を使っていただきませんと…」


子爵閣下ルキウスはまだ良いとして、アロイス…あなたはその恰好でリュウイチ様にお会いするつもり?」


 ちょうど陣営本部プラエトーリウム玄関ホールウェスティブルムに入ったところでエルネスティーネは立ち止まり、アロイスを振り返った。


「え、何か変かい姉さんエルネスティーネ?」


 アロイスはランツクネヒトの伝統にしたがったド派手な格好をしていた。黄色と黒を基調としてパッチワークを駆使した服は縫製の仕上がりこそ素晴らしいがまるで道化師のようだ。キュッテル家は昔から比較的裕福な商家だけあってランツクネヒト族の割に肌の色は薄い方だが、軍務で日に焼けたアロイスの顔の色はかなり濃い方だ。このため暗がりに立つと衣装の黄色い布地と目と口だけが浮かび上がって見える。

 それだけならまだいいが一番の問題は彼の股間だった。怒張した男性器を模した股袋コッドピースが存在感を主張していたのだ。中身はもちろん本物ではなく、綿が詰まったクッションのようなものだが、アロイスが動いたり歩いたりするたびにブラブラ動いて気になって仕方がないのである。


よ、

 今だけ取るわけにはいかないの?」


「何を言うんだ姉さんエルネスティーネ!?

 はランツクネヒトの伝統じゃないか!」


 アロイスは見せびらかすように股間を突き出した。彼自慢の股袋コッドピースがブルンと振れる。


「やめてちょうだい!

 、つけなきゃいけないモノでもないでしょう!?」


「ランツクネヒトの武人の象徴だよ!?外せないよ!!」


 アロイスは子供のころから妙なところで頑固だった。古のドイツ騎士とかランツクネヒトとかに強いあこがれを抱いており、自分自身もそうあらねばならぬと心に堅く決めている。そして、その信念に反することは決して受け入れようとしないのだ。

 エルネスティーネは諦めたように頭を振りながらため息をつくと、再び歩き始めた。行先は一番広い応接室タブリヌム。そこには既にカールが居るはずだった。

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