第257話 人質にされた侯爵公子
統一歴九十九年四月二十一日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
「お待ちしておりました、
部屋ではルクレティアが待っていた。カール専属の侍女たちが
「お待たせしましたルクレティア、御用意はよろしいかしら?」
「はい、ただ今、お呼びいたします。」
ルクレティアはエルネスティーネに一礼すると
「カール…?カール様なのか?
寝ておられるのか?」
「おい、アロイス!様子がおかしいぞ!?」
「カール様!?カール様!?」
「エルネスティーネ!…いや、エルネスティーネ様!
カール様のコレはいったいどうしたことですか!?」
グスタフとアロイスは担架に乗せられて横たわるカールの異変にすぐに気づいた。カールはその体質ゆえに家族以外の人と接する機会が少ないため、訪ねて来てくれる親戚のことが幼いころから大好きだった。グスタフやアロイスが訪れてくれば怪我でもしてしまいそうな程はしゃぎ、まず落ち着かせるのに毎回苦労するほどだったのである。
それなのに今日のカールは一言も発せず、大人しく横たわっている。うっすら目を開けたまま、まるで魂が抜けてしまっているかのようだ。
「
「何があった!?」
「ごめんなさい、分からないんです。
ただ、カールが急に『悪魔がいる』って苦しみだして…」
「悪魔だって!?」
「カールに悪魔が憑いたって、
「いいえ、違うわ。
スパルタカシウス様も、ルクレティアもそんなものの気配など無いっておっしゃられたもの。たぶん…たぶん、何かの間違いです。
でも、カールが…この子が…ううぅ…」
二人の兄弟に詰め寄られているうちに、先ほどまで気丈に振舞っていたエルネスティーネも涙を浮かべて肩を震わせ始めた。
「二人ともそれくらいになさい。このこともあって、我々はリュウイチ様の申し出をお受けしたのだ。」
見かねたルキウスがグスタフとアロイスをたしなめた。
「リュウイチ様の申し出ですと?」
ルキウスの発言をグスタフが
「実は、人質云々は我々が『
本当はリュウイチ様ご自身はお貸しくださった銀貨については返さなくてよいとさえ申されておる。」
グスタフはまだ何か言いたそうだったが、
「グスタフ伯父様もいらっしてたの!?」
「おお、ディートリンデ様!」
ルクレティアと一緒にエルネスティーネの長女でカールの姉ディートリンデが飛び込んで来るとグスタフに駆け寄った。グスタフは
彼女は別室で他の妹たちと遊びながら待っていたが、今回のカールの治癒に立ち会わせるべくディートリンデだけこの部屋に呼ばれた。他の妹たちは幼すぎることから立ち会いを見送られている。ただ、彼女たちは先にルクレティアからリュウイチのことと今日これからカールを治癒することの説明を受けていた。
「伯父様たち聞いた?カールを治していただけるのよ!?」
「ええ、今しがた聞いたところですよ。」
「うっうんっ!…では、リュウイチ様が御入室されます。」
ルクレティアが告げると、一同は一斉に跪き頭を垂れる。部屋に入ってきてその様子を見たリュウイチは思わず息を飲んだ。
・・・そんなことしなくていいのに・・・
一瞬立ち止まり顔を
『どうか、顔を上げて、立ってください。』
グスタフら初対面の者たちは戸惑うが、すでに慣れたルキウスはよっこらせと痛む腰を労わりながら立ち上がる。その後、エルネスティーネらも
『それで、この子がカール君ですか?』
「はい…カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子にございます。」
全員が立ち上がったのを見たリュウイチは担架に横たえられた少年を見下ろして尋ねると、エルネスティーネが涙声で答えた。
リュキスカからは体質のことと病気がちで身体が弱いという事しか聞いてなかったリュウイチは、実際のカールを目の当たりにして戸惑いを隠せなかった。どう見ても体質どころの問題じゃない。肌や髪の毛が異様に白くて瞳が赤い…それは聞いていた通りだし、日光を浴びると火傷するというから想像した通りアルビノで間違いないだろう。だが、この魂が抜けてしまったような無表情無反応っぷりは植物化してしまっているようにしか見えない。脳機能に重大な損傷があることは疑いようが無かった。
・・・ほんとに魔法で治せるのかな?いざとなったらエリクサーを使うけど・・・
ルキウスからはなるべくエリクサーを使わず、魔法で治してくれと頼まれていた。エリクサーを使えばどんな病気でも怪我でも治るだろう。フレーバーテキストにもそう書いてある。だが、エリクサーは存在そのものが「《レアル》の
ひとまずやってみるしかない。
『では、やってみます。』
「ああ、お待ちを!」
リュウイチが魔法を使おうとしたところでルキウスが待ったをかけた。
『何でしょうか?』
「いや、先に今回の件について契約書を完成させておきたいのですよ。」
ルキウスがそう言って背後に控えていた侯爵家の筆頭家令ルーベルトの方を見ると、ルーベルトが予め作成しておいた羊皮紙の契約書を持って進み出た。
正式な契約がなされる前に治癒してしまうと、この契約自体の正当性を担保できなくなる。契約は「
『ああ、なるほど…えっと、ルクレティア?』
「はい、内容を確認させていただきます。」
契約書はラテン語で書かれておりリュウイチには読めないため、ルクレティアに内容を読み上げてもらう。
一つ、リュウイチはアルビオンニア侯爵家に対し銀貨で二百万デナリウスを無利子で融資する。また必要に応じて追加融資を行う。一つ、アルビオンニア侯爵家は融資を受けるにあたってカール侯爵公子を人質として差し出す。一つ、リュウイチはカール侯爵公子を人質として預かっている間、侯爵家の同意なくアルトリウシアから離れない。一つ、リュウイチはカール侯爵公子を人質として預かっている間、その能力の及ぶ範囲でカール侯爵公子の心身の安全を保障する。・・・ルクレティアの読み上げた条件は事前に両者の間で合意した通りのものだった。その書類の内容に間違いがないことを、この場にいるほぼ全員で回し読みして確認したのち、リュウイチがローマ字でサインする。エルネスティーネの署名は既になされていた。
リュウイチが書類にサインしたことをルキウスが確認する。
「たしかに、ではこれでカール侯爵公子閣下は人質としてリュウイチ様に引き渡されました。
一同、よろしいですな?」
参列者はルキウスの宣言と確認に対し、頷いたり小声で「
『では改めて…魔法で治癒を試みますが、ダメだったらエリクサーを使います。
それでいいですね?』
リュウイチがそう言って周囲を見回す。誰も反対意見は出さず、沈黙をもって合意を示した。
『では…パーフェクト・ヒール』
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