第257話 人質にされた侯爵公子

統一歴九十九年四月二十一日、夕 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 陣営本部プラエトーリウム玄関ホールウェスティブルムを抜けて中庭アトリウムに入ったところでルクレティア付きの侍女クロエリアに出迎えられた一行はそのまま応接室タブリヌムへと案内された。そこは軍団長レガトゥス・レギオニスが主に平民プレブス階級の来客を出迎えるための応接室タブリヌムで、この陣営本部プラエトーリウム応接室タブリヌムの中では最も広く、貴族パトリキの謁見の間のような造りになっている。通常であればエルネスティーネのような貴族パトリキを出迎えるためには使われないが、今回は一度に会う人数が多いのと担架に寝かされたカールを横たえさせる都合上、十分な広さが求められたことからこの部屋が選ばれていた。


「お待ちしておりました、侯爵夫人エルネスティーネ


 部屋ではルクレティアが待っていた。カール専属の侍女たちが要塞司令部プリンキピア大ホールエクセドラ・マイウスでの会議に呼ばれている間、代わりにルクレティアがカールの様子を見ていたのだった。


「お待たせしましたルクレティア、御用意はよろしいかしら?」


「はい、ただ今、お呼びいたします。」


 ルクレティアはエルネスティーネに一礼すると応接室タブリヌムの奥側の扉の向こうへ去っていった。本当はリュウイチもここで待つと言っていたのだが、リュウイチに初めて会う事になる貴族らも準備の時間が必要だろうからと配慮したルクレティアが、別室で呼びに行くまで待つよう説得したため、このような勿体もったいぶったかのような仕儀しぎになっている。


「カール…?カール様なのか?

 寝ておられるのか?」

「おい、アロイス!様子がおかしいぞ!?」

「カール様!?カール様!?」

「エルネスティーネ!…いや、エルネスティーネ様!

 カール様のコレはいったいどうしたことですか!?」


 グスタフとアロイスは担架に乗せられて横たわるカールの異変にすぐに気づいた。カールはその体質ゆえに家族以外の人と接する機会が少ないため、訪ねて来てくれる親戚のことが幼いころから大好きだった。グスタフやアロイスが訪れてくれば怪我でもしてしまいそうな程はしゃぎ、まず落ち着かせるのに毎回苦労するほどだったのである。

 それなのに今日のカールは一言も発せず、大人しく横たわっている。うっすら目を開けたまま、まるで魂が抜けてしまっているかのようだ。


兄さんグスタフ、アロイス…ごめんなさい。今まで黙っていたけど、三日…いえ、日が沈んだから四日前ね、それからずっとこの状態なの。」


「何があった!?」


「ごめんなさい、分からないんです。

 ただ、カールが急に『悪魔がいる』って苦しみだして…」


「悪魔だって!?」

「カールに悪魔が憑いたって、姉さんエルネスティーネまでそんなことを言うのか!?」


「いいえ、違うわ。

 スパルタカシウス様も、ルクレティアもそんなものの気配など無いっておっしゃられたもの。たぶん…たぶん、何かの間違いです。

 でも、カールが…この子が…ううぅ…」


 二人の兄弟に詰め寄られているうちに、先ほどまで気丈に振舞っていたエルネスティーネも涙を浮かべて肩を震わせ始めた。


「二人ともそれくらいになさい。このこともあって、我々はリュウイチ様の申し出をお受けしたのだ。」


 見かねたルキウスがグスタフとアロイスをたしなめた。


「リュウイチ様の申し出ですと?」


 ルキウスの発言をグスタフがいぶかしむ。先ほどの説明を聞く限りではリュウイチは返済能力に不安を抱いて人質を求め、それに応じる代わりにカールの治療をさせることになっていたはずだ。カールの治療はこちら側から提示した条件なのではなかったのか?


「実は、人質云々は我々が『恩寵おんちょうの独占』を問われることなく、カール閣下を治癒することができるよう、リュウイチ様が考え出された方便なのだ。

 本当はリュウイチ様ご自身はお貸しくださった銀貨については返さなくてよいとさえ申されておる。」


 グスタフはまだ何か言いたそうだったが、応接室タブリヌム奥側の扉が開き、ルクレティアが戻ってきたことから話は中断となった。


「グスタフ伯父様もいらっしてたの!?」


「おお、ディートリンデ様!」


 ルクレティアと一緒にエルネスティーネの長女でカールの姉ディートリンデが飛び込んで来るとグスタフに駆け寄った。グスタフは相好そうごうを崩して膝をつき、愛らしい姪を抱きとめる。

 彼女は別室で他の妹たちと遊びながら待っていたが、今回のカールの治癒に立ち会わせるべくディートリンデだけこの部屋に呼ばれた。他の妹たちは幼すぎることから立ち会いを見送られている。ただ、彼女たちは先にルクレティアからリュウイチのことと今日これからカールを治癒することの説明を受けていた。


「伯父様たち聞いた?カールを治していただけるのよ!?」


「ええ、今しがた聞いたところですよ。」


「うっうんっ!…では、リュウイチ様が御入室されます。」


 ルクレティアが告げると、一同は一斉に跪き頭を垂れる。部屋に入ってきてその様子を見たリュウイチは思わず息を飲んだ。


・・・そんなことしなくていいのに・・・


 一瞬立ち止まり顔をしかめたが、そのまま歩いて玉座の方ではなくエルネスティーネらの前まで来ると声をかけた。


『どうか、顔を上げて、立ってください。』


 グスタフら初対面の者たちは戸惑うが、すでに慣れたルキウスはよっこらせと痛む腰を労わりながら立ち上がる。その後、エルネスティーネらも躊躇ためらいながら立ち上がった。


『それで、この子がカール君ですか?』


「はい…カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子にございます。」


 全員が立ち上がったのを見たリュウイチは担架に横たえられた少年を見下ろして尋ねると、エルネスティーネが涙声で答えた。

 リュキスカからは体質のことと病気がちで身体が弱いという事しか聞いてなかったリュウイチは、実際のカールを目の当たりにして戸惑いを隠せなかった。どう見ても体質どころの問題じゃない。肌や髪の毛が異様に白くて瞳が赤い…それは聞いていた通りだし、日光を浴びると火傷するというから想像した通りアルビノで間違いないだろう。だが、この魂が抜けてしまったような無表情無反応っぷりは植物化してしまっているようにしか見えない。脳機能に重大な損傷があることは疑いようが無かった。


・・・ほんとに魔法で治せるのかな?いざとなったらエリクサーを使うけど・・・


 ルキウスからはなるべくエリクサーを使わず、魔法で治してくれと頼まれていた。エリクサーを使えばどんな病気でも怪我でも治るだろう。フレーバーテキストにもそう書いてある。だが、エリクサーは存在そのものが「《レアル》の恩寵おんちょう」とみなされているため、エリクサーを使われると「恩寵おんちょうの独占」を回避できない可能性がある…と、ティトゥス要塞カストルム・ティティでの検討会議で指摘が上がっていたのだ。


 ひとまずやってみるしかない。


『では、やってみます。』


「ああ、お待ちを!」


 リュウイチが魔法を使おうとしたところでルキウスが待ったをかけた。


『何でしょうか?』


「いや、先に今回の件について契約書を完成させておきたいのですよ。」


 ルキウスがそう言って背後に控えていた侯爵家の筆頭家令ルーベルトの方を見ると、ルーベルトが予め作成しておいた羊皮紙の契約書を持って進み出た。

 正式な契約がなされる前に治癒してしまうと、この契約自体の正当性を担保できなくなる。契約は「恩寵おんちょうの独占」を回避してカールを治療するための偽装だと指摘された場合、それに反論できなくなってしまうのだ。だが、先に契約を結んでからなら、あくまでも契約が先でカールの治療は契約の結果リュウイチが行ったもので侯爵家から求めたものではないと反論できる。


『ああ、なるほど…えっと、ルクレティア?』


「はい、内容を確認させていただきます。」


 契約書はラテン語で書かれておりリュウイチには読めないため、ルクレティアに内容を読み上げてもらう。

 一つ、リュウイチはアルビオンニア侯爵家に対し銀貨で二百万デナリウスを無利子で融資する。また必要に応じて追加融資を行う。一つ、アルビオンニア侯爵家は融資を受けるにあたってカール侯爵公子を人質として差し出す。一つ、リュウイチはカール侯爵公子を人質として預かっている間、侯爵家の同意なくアルトリウシアから離れない。一つ、リュウイチはカール侯爵公子を人質として預かっている間、その能力の及ぶ範囲でカール侯爵公子の心身の安全を保障する。・・・ルクレティアの読み上げた条件は事前に両者の間で合意した通りのものだった。その書類の内容に間違いがないことを、この場にいるほぼ全員で回し読みして確認したのち、リュウイチがローマ字でサインする。エルネスティーネの署名は既になされていた。

 リュウイチが書類にサインしたことをルキウスが確認する。


「たしかに、ではこれでカール侯爵公子閣下は人質としてリュウイチ様に引き渡されました。

 一同、よろしいですな?」


 参列者はルキウスの宣言と確認に対し、頷いたり小声で「しかり」「確認した」などと返事をした。


『では改めて…魔法で治癒を試みますが、ダメだったらエリクサーを使います。

 それでいいですね?』


 リュウイチがそう言って周囲を見回す。誰も反対意見は出さず、沈黙をもって合意を示した。


『では…パーフェクト・ヒール』

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