第255話 新たな合意

統一歴九十九年四月二十一日、夕 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの拠点であり多数の避難民を収容しているうえに、最優先復興地域であるアイゼンファウスト地区に近いだけあって、要塞司令部プリンキピアティトゥス要塞カストルム・ティティのそれよりも人の出入りが激しい。

 しかし今、最奥の大ホールエクセドラ・マイウス周辺は厳重な人払いがなされていた。警備に当たっているのは要塞守備兵ではなく、クィントゥス率いる特務大隊コホルス・エクシミウスである。

 その異様な雰囲気の中、大ホールエクセドラ・マイウスに集められたのはアルビオンニア侯爵夫人マルキオニッサエルネスティーネ・フォン・アルビオンニアとその家臣たち、アルトリウシア子爵ウィケコメスルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウスとその妻アンティスティア、並びにルキウスの家臣たち、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子と軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムの全員、マニウス要塞カストルム・マニの司令部主要幕僚、アルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアのアロイス・キュッテル軍団長レガトゥス・レギオニス。セーヘイムの郷士ドゥーチェにしてアルトリウシア艦隊提督プラエフェクトゥス・クラッススヘルマンニ・テイヨソン、さらにエルネスティーネとアロイスの実の兄でありアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの兵站隊長の肩書を持つ侯爵家の御用商人グスタフ・キュッテル、子爵家御用商人でアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの兵站隊長でもあるラール・ホラティウス・リーボーと錚々そうそうたるメンバーだった。もしも今この中に爆弾が投げ込まれでもしたら、レーマ帝国属州アルビオンニアはほぼすべての機能を一挙に喪失するだろう。

 奇妙だったのはそうした貴族とは別に、クラーラをはじめとするカール付きの侍女たちも出席者として席を用意されていたことだった。


 アルビオンニアの主要な貴族のほとんどが一堂に会しているにも関わらず華やかな雰囲気はまるでなく、本来なら当たり前になされるべき個人間の挨拶すらそこそこに全員が半円形に並べられた席に着くと、これだけは贅沢に用意された鯨油ロウソクの灯りに照らされたエルネスティーネが声高に会議の開催を宣言した。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます。

 既にご存知の方もこの中には少なくありませんが、これよりとても重要な発表があります。しかし、これから皆さんにお知らせすることは厳重に秘されねばなりません。

 これより、この場で発表することについて、秘密を厳守することを、皆さんの信じる神に誓ってください。」


 エルネスティーネの要請に従い、全員が立ち上がりそれぞれの信じる神々の名を告げて誓いを宣言し始める。


守護神ラレスに誓って秘密を守ります。」

軍神マルスに誓います。」

勝利の女神ウィクトーリアに誓い秘密を守ります。」

「大神ユピテルに!!」

正義の女神ユースティティアに誓って!」

「大神オーディンと海神エーギル、そしてアルビオン海峡の精霊アルビオーネに誓う。」

「聖母マリアに誓います。」


「ありがとうございます。席に御つきください。」


 半円形のホールエクセドラ中央に設けられた貴賓席から全員が宣言するのを見届けたエルネスティーネが礼を言うと、全員がそれぞれの座席に再び座りなおした。


「この中ではすでに知っている者の方が多いのですが、まったく御存知ではない方もいらっしゃるので一応最初から説明いたします。

 去る四月十日、アルビオンニウムにおいて・・・」


 エルネスティーネは四月十日にアルビオンニウムで降臨があったこと、降臨者がかの《暗黒騎士ダークナイト》と同じ肉体、同じ能力を持ったゲイマーガメルであること、その名がリュウイチであること、それが現在マニウス要塞カストルム・マニに滞在している事など、現在までの経緯を説明した。


 ルキウスの妻アンティスティア、エルネスティーネの兄弟であるグスタフとアロイス他今回の降臨について初めて聞かされた者たちにとって、エルネスティーネの発表はまさに驚天動地きょうてんどうちの出来事であった。ただ、今回は既に降臨について知っている者たちの方が多く、会場全体が落ち着いていたこともあって議場が騒然となることはなかった。無駄吠えの多い犬を無駄吠えを一切しない犬たちの群れに混ぜると次第に吠えなくなるように、どれほど驚くべきことに直面しようとも周囲が落ち着いていれば意外とパニックに陥らなかったりするものなのだ。

 もちろん、当人は大変驚いているし、その驚きを周囲と共有できない事にいくばくかの混乱も内面に生じさせてはいる。


「貴公、驚いておらぬようだが知っておったのか?」

「うむ、口止めされておったのだ。」

「よりにもよって《暗黒騎士ダークナイト》とは…」

「それにしてもマニウス要塞カストルム・マニに匿われるとは大胆な…」

「するとこの背後の壁の向こうに!?」

「大丈夫なの!?」

「卿は初めて知ったのであろう?驚かないのか?」

「いや、驚いておるよ。驚きすぎて却ってどう驚いていいのかわからんのだ。」


 エルネスティーネが現状までのことについて説明し終え、一息つくと会場がざわめき始めた。無理もない…というより、この程度で済んでいる事の方がエルネスティーネやルキウスら既に事を知っていた貴族からすればむしろ不思議ですらあった。

 エルネスティーネは一息ついたが、どうも緊張はほぐれなかった。だが、まだ発表すべきことはまだ言い終えてないし、ここからが今日の本題であった。咳ばらいをして覚悟を決めると再び口を開く。


「当面は、このまま降臨の事実とリュウイチ様の存在を秘匿し続けます。レーマからの返事が来るまで、おそらく後二か月半から長くても三か月でしょう。皆さんにはご協力をお願いします。

 現在、アルトリウシアの復旧復興のために侯爵家、子爵家ともに大規模な財政支出を余儀なくされており、財政はひっ迫しております。ですが、幸いなことに、かのリュウイチ様より『恩寵おんちょうの独占』を禁ずる大協約に抵触しない範囲での支援を申し出てくださいました。そのおかげをもちまして、両家は十分な量のデナリウス銀貨を無利子で御融資いただき、アルトリウシアの復旧復興についての財政上の懸念は払拭ふっしょくされたと言って良いでしょう。」


「「「「「おおお~~っ」」」」」


「ですが、ここへ来てハン支援軍アウクシリア・ハンが戻って来ました。彼らは連れ去った住民たちを捕えたまま、エッケ島に隠れていたのです。

 私たちは今回の災厄の元凶である彼らにも対処せねばならなくなりました。」


 エルネスティーネは一旦ここで話を切ってホール内を見回す。

 先ほど、ティトゥス要塞でこの件についての検討の場に同席していた者は、静かに落ち着いた様子だったが、それ以外は皆固唾を飲んで見守っている。


「すでに事態は我々の対応力を越えようとしています。

 リ、リュウイチ様はそれを看破し、お貸しくだされた銀貨が本当に返せるのかに疑念を抱かれました。しかし、すでに莫大な銀貨を御借入れしており、融資を打ち切られるわけにはまいりません。

 そこで、信用の証として我が息子カール侯爵公子をリュウイチ様に人質を差し出すこととしました。」


「なんと!?」

「バカな、いくらゲイマーガメルが相手とは言え貴族パトリキの公子を人質になど!?」

「本気ですか姉さんエルネスティーネ!?」

「まぁ!!」

「反対です!そのような無体な要求は拒絶すべきです!!」

「そうです、人質なら代わりに私が!!」


 つい数時間前に見たのと同じような反応が沸き起こる。一人、ルキウスだけがエルネスティーネの横でパッと両手で顔を覆い、うつむいて肩を震わせていた。傍目はためには泣いているように見えるが、笑っているのを隠しているのだ。すでに話を知っている者たちはその様子を半ば呆れ、半ば困ったような顔で黙って見ている。


「お静かに!皆さんのおっしゃりたいことは理解しています。

 ですが、これは既に決定されたことです。」


 エルネスティーネも横目にルキウスの様子に気づいていたが、あえて無視した。


「どうかご再考ください侯爵夫人マルキオニッサ

 資金ならば我がキュッテル商会でかき集めてごらんにいれます!」


 エルネスティーネの実兄にあたるグスタフが立ち上がって叫んだ。キュッテル家はその昔、ランツクネヒト支援軍アウクシリア・ランツクネヒトの兵站に携わっていた商家の一つだが、侯爵家の御用商人に指名されたのはエルネスティーネを嫁入りさせたからこそだった。マクシミリアン亡き今、エルネスティーネの産んだカールは今後もキュッテル家と侯爵家を繋ぐ大事な存在である。そのカールを人質にだして万が一の事があれば、キュッテル商会のアルビオンニアでの地歩は大きく後退することになるだろう。もちろん、純粋に伯父として甥を心配する気持ちもある。


「控えなさい、キュッテルグスタフ。」


 エルネスティーネはあくまでも侯爵夫人マルキオニッサとして兄をたしなめた。


「もちろん、私も愛する息子を人質になど出したいとは思いません。

 ですが、これは私たちにとっても利のあることなのです。」


 エルネスティーネが毅然と言い放つとグスタフは渋々ながら席に着き、他に腰を浮かせそうになっていた者たちも姿勢を正した。


「私たちはこの人質という条件を飲む代わりに、リュウイチ様に対しいくつかの交換条件を提示し、子爵閣下ルキウスとルクレティア様に交渉していただき、リュウイチ様より承認をいただいております。

 一つは、侯爵公子カールを人質にとる以上は、アルトリウシアにお留まりいただく事。

 もう一つは、侯爵公子カールを人質に取っている間の身の安全と健康とに責任を持っていただくことです。

 そうですね、子爵閣下ルキウス?」


 両手で顔を覆って身を震わせていたルキウスがピタッと止まり、深呼吸を始めた。笑いを消してるのだ。


 笑い過ぎよ、こういう時は意地悪なんだから・・


 エルネスティーネが内心で呆れなあら小さくため息をつくと、ポーカーフェイスを取り戻したルキウスがようやく顔をあげる。


「いかにも、この合意により我々はリュウイチ様からの御融資の継続と、リュウイチ様が気まぐれに他所の土地へ去らないという保証を得ることができた。

 また、将来アルビオンニアを御継ぎになられる侯爵公子カール閣下の御健康を、リュウイチ様が保証してくださることにもなろう。」


 本当はカールの健康…もっと言えば現在の植物状態からの回復を目的としたものではあるが、それを前面に出せばさすがに「恩寵おんちょうの独占」という指摘を免れないであろうことから、あくまでもカールの健康は二の次でありもののついでであるという形を取らざるを得ない。

 エルネスティーネの今回の発表はそうしたアリバイ工作の一環だった。


 ルキウスは何だかんだ言いながら結局、先ほど彼がやらかした悪戯と同じことをやらざるをえなくなっていたエルネスティーネや家臣団たちの様子がおかしくて笑っていたのだった。彼は貴族でありながら次男坊ゆえに幼少期はずっと兄の予備スペア扱いされ続け、青年期は軍で頑張ろうとしていたにもかかわらず落馬によって夢を断たれたことから、いつの間にか世捨て人のような感性をはぐくんでしまっていた。おかげで貴族のこういう面倒臭さに嫌悪感を抱くようになっていたし、同時にそういう面倒臭さの自縄自縛に陥る貴族が滑稽に思えて仕方がないのだ。


「で、ではカール様を!?」


 先ほどまで怒りや困惑の表情を浮かべていた者たちは、何か奇跡でも目の当たりにしたかのような表情でエルネスティーネを見上げた。その視線が投げかける疑問にエルネスティーネは力強くうなずく。


「治癒していただけるでしょう。」

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